がんばりの像
「頑張っても頑張っても
頑張っている気がしない」
という気持ち
そうして自分を責めてしまうことは
よくあることです
ですが、この言葉には
1つ大きな仕掛けがあると思います
次のように2つに分けてみたいと思います
「頑張っても頑張っても」
「頑張っている気がしない」
実はこの言葉を使うとき
「頑張っても頑張っても」と
自分の頑張りを認めることが
できているのです
ではなぜ後半の
「頑張っている気がしない」に
繋がってしまうのでしょうか
それは"がんばりの像"のせいだと
私は思います
夜更けにカチコチとキーボードを打つ人
ハチマキを巻いて勉強をする人
汗水ながして重いものを運んでいる人
私たちは知らない間に
頑張っている人はどういう人なのか
"がんばりの像"
を定めています
でも、頑張っている人は
そういった人だけではないですよね
人それぞれ様々な頑張り方があるでしょう
怠けているように見える
頑張り方だって
あって不思議ではありません
なのでこの
「頑張っても頑張っても
頑張っている気がしない」
は
「頑張っても頑張っても
がんばりの像とは違っている」と
言い換えることができるでしょう
それはただ「違っている」だけです
否定には繋がりません
そう思うと
少し楽になるような
そんな気が私にはします
おわり
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