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べっこう飴とはちみつ

幼い頃母に連れられて近所のスーパーへ行くと、いつも心を惹かれていたものがあった。
それは透き通った黄金色の小さな塊。
透明な袋の中に6つ。規則正しく並べられて包装されている小さな塊だった。

袋は棚に並んでいるわけではなくて、袋の上の方にある穴にフックを掛けられてぶらさがっているお店が多かった。
どのお店でも通路からよく見えるところにあることが多かったと思う。


袋の中で規則正しく並んでいたのは中の包装のおかげ。
あれは何といえばいいのだろう。
錠剤の薬やヨーグレットと同じタイプの包装。

この包装ならヨーグレットと同じように、
グイッと指で押して
ペリッと包装を破って取り出すのだろう。
そんなことを考えながら母に連れられてその横を通るたびに目を奪われていた。
形も包装も合理的で無駄がなくて。
何だか潔くて、とても綺麗に見えた。

私はそれをべっこう飴だと思っていたので、どうして他の飴と同じようにお菓子売場にないのだろうか、と不思議に思っていた。
特別扱いをされているのか、それとも仲間外れにされているのか。
同じべっこう飴でもおばあちゃんのうちで出てくるような、大きな袋に乱雑に入れられたものはちゃんとお菓子の棚にあるのに。


あれがべっこう飴ではなくてはちみつだったと知ったのは結構最近になってからだった。
私がべっこう飴だと思っていた固形はちみつは以前はどこのスーパーでもわかりやすいところにあったと思うのだけれど、時が経つにつれてあまり見かけなくなっていった。
だから私はそれをべっこう飴だと思ったままで、大人になった。
そして大人になった私はある日スーパーでそれを久しぶりに見つけたのだ。

そのときの私の心中は
(あー懐かしいなこれ。小さいころいつも気になって見てたっけ。...っておい!お前べっこう飴じゃなかったのかい!)
と、そんな感じだった。


それにしても不思議なもので、スーパーでよく固形はちみつを見ていたあの頃の私は、幼いといっても文字は読める年齢だったはずなのに、どうしてはちみつだと気づかなかったのだろう。
推測にはなるが、きっと袋の目立つところには大きく「はちみつ」の文字があったはずなのに。
不思議だ。
不思議だけれどこういうことって何故だか良くある。

母親にそれを買ってくれとねだらなかったのも少し不思議だけれど、私は幼い頃甘いものをほとんど食べない子だったので、その点も納得はいっている。
こと甘いものに関しては見た目に引かれて買ってもらっても、結局食べ切れずに残すなんてことが多かったから。
その辺はきっと子供らしからぬ慎重さを身につけていたんだろう。

だからこそいつも想像をするだけ。
どんな味なんだろう。
口に入れると少し冷たいのかなとか。
噛んでしまえば簡単に割れちゃうんだろうかとかそんなことを考えた。
そして頭の中で実際に口に入れてみたことも何度もある。
グイッ。
ペリッ。
パクッと。
想像の世界に広がった甘くて優しい味。
そういう私だけの想像の世界では、それがべっこう飴かはちみつかどうかなんてことはどうでもいいことで、だからこそあえて正解を見つけようとしなかったのかもしれない。


べっこう飴だと思っていた固形はちみつ。
実はまだこの年になっても買ったことがない。
買わない理由としてまだもう少し頭の中でその味を想像して楽しみたいというのもある。
けれどそれよりもっと大きな理由。
想像という無形なものではあるけれど、それは幼い頃から頭の中にずっといるパートナーみたいなものだから、ある日現実を知ってそれを失ってしまうことは面白くないし怖いかなと思っているからだ。
だから小さい頃の勘違いを綺麗なままで持っていてもいいんじゃないかって。
何も困ることはもちろんないのだから。


そんな風にいればいつかもっと歳を重ねたときに、ひょっとしたらこんなことが起こるかもしれない。

(以下妄想タイム)

「ほらおじいちゃん、体にいいからこれ舐めて」

久しぶりに遊びにきた孫。
ますます体が弱くなってきた私を気遣ってか、最近色々と気にかけてくれるようになった。
そんな孫から突然口に放り込まれたのはなんとあの固形はちみつ。
何十年もずっと想像でしか食べなかったそれが、突然私の舌の上に落ちてくる。何の前触れもない初めての出会い。


きっとその頃には母に連れられて通ったスーパーはなくなっていて、残念ながら母もいなくなっているかもしれない。
そんなとき思わず溢れるものが堪えられなければ私は上を向くだろうか。
それとももう誤魔化すことなどせずに下を向いているだろうか。

「え、、、そんなに泣くほど美味しかったの?」

驚いた表情でこちらを見る孫になんて説明したらわかってもらえるんだろう。
べっこう飴がはちみつだったんだよなんて話したところで、わかってもらえるはずもない。
だってそれは何十年も自分の中だけにあった物語だから。

そんなセンチメンタルなことを考えながら歳をとった私は続けて思うのです。

(甘い、、、やっぱり甘い。もうこれいらないからお茶が欲しい)
と。

ほら、そういう人生もなかなかいいじゃない。
だからやっぱり食べずにとっておこう、そう思います。

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