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クリームパンだった僕

こんにちは、SHOTAです!
今回はおいしいスイーツの話ではありません。(笑)
僕の暴飲暴食、ダイエット、筋トレ、減量について書きたいと思います。

途中はいいので、最後だけでも読んでほしいです!

陽気でやんちゃな野球少年

9歳の僕は肥満児でした。骨折したの境に大幅に太り、気づいた時には肥満児でした。まわりは物心つく頃で、僕のあだ名は白豚でした。定番あだ名だと思っていたので気にしてはいませんでした。

      太りすぎて目が開いてない10歳

そこから僕は野球をはじめ、成長期に入りました。
膝や腰のけがもありましたが、みるみるうちに身体は引き締まっていき、小学生にしてはがたいのいい野球少年になりました。推定100mのホームランを打ったことも。

期待の逸材からキャプテンに

中学生になり、野球部に入りました。当時の野球部は県ベスト4位のチームであり、163㎝60㎏にまで成長した僕は1年生では珍しくノックに入り、未来の4番候補として部活動に励みました。

                  キャプテンになる前最後の笑顔

しかしながら、いつの間にか身長は168㎝で止まり、期待の逸材はただのキャプテンになりました。悩み続けるほどに、身体は不調になりました。精神面も併せておかしくなり、正直バグっていました。その頃ある記憶は練習前に下痢止めを飲み、ひたすら腹痛に耐えていたことくらいです。(笑)



受験勉強と暴飲暴食

身体は不調のまま、野球部を引退しました。そのまま受験勉強に励みましたが、待ち受けていたのは暴飲暴食する毎日でした。ある日の受験勉強の1日は、朝昼夕はがっつり食べ、3Lのジュース、大量のスナック菓子、カップラーメン、間食に揚げ物を摂取し、覚醒したまま勉強を続けていました。

それが常態化し、あっという間に引退時65kgだった体重も79㎏になりました。ニキビだらけの顔、臭い体臭、不潔感すべてがコンプレックスでした。

             卒アル用に着たユニフォーム えぐい

あだ名はクリームパン

高校生になった僕は運動部の多い高校での体育の授業もあり、そこまで太ることはありませんでしたが、82㎏まで体重は増え、野球部で培った筋肉は徐々に落ちていきました担任の先生やクラスのみんなは、僕のまん丸の手を見てクリームパンの愛称で呼んでいました。

ただ、男としては恥ずかしく、なんとかしたい気持ちが芽生えてきていました。この頃、ダイエットを決意しました。

                      顎なし。169cm82kg

過酷な食事制限なんていらない

高校2年生から卒業するまでに結果として18㎏痩せました。正直簡単でした。筋肉はまったくというほど無くなりましたが、2年かけてダイエットを成功させました。

方法はたった2つです。
規則的な食事をすること大量に水を飲むことです。
僕はこのふたつを意識するだけでみるみる体重は減っていきました。トレーニングは一切せず、運動は学校の体育だけでした。

食事も当時母が作ってくれていたものを3食食べていましたが、ダイエット前と変わったところは野菜の摂取量が若干増えたくらいでほとんど同じでした。
規則的な食事がなんなのかというと、間食のない食事習慣と食事をする時間です。
朝は6時、昼は12時、夜は19時の決まった時間に食べていました。間食は基本的にしない、ジュースもほとんど飲まず水ばかりで飲んでも0カロリーのコーラを飲んでました。
水は1日4リットル飲んでましたが、最初はしんどかった思い出があります。水の摂取は正直慣れだと思いますが、こまめに水分補給をする習慣がある人は簡単だと思います。

66kgまで痩せたけどこのブサイク顔

12kgの箱も持てないなんて

ダイエットに成功して憧れの大学生活を始めた僕でしたが、食事制限のみのダイエットのデメリットを感じるようになりました。それがアルバイトでの荷出しでした。
コンビニの夜勤をしていた僕は夜中に来る飲み物の荷出しをしていたのですが、500ml×24本のダンボールが重すぎて落としてしまった事がありました。

正直悔しかったです。男なら、これくらい軽々持てなくてどうするんだと思いました。でも筋トレして変われるんかって当日はめちゃくちゃ思ってました。

運命的な出会いはYouTubeでした。
マッチョ達が昔はガリガリだったとか、めちゃぬちゃ太ってたとか、減量の過程の話をしていて、自分ももしかしたらと思うようになりました。

お金無くて不健康になった大学1年生

初めてのプロテイン

2017年6月24日。この日は今でも覚えています。
京都に住む僕を訪ねてきた母を連れてスポーツ用品店に行き、プロテインとシェイカーを買いました。そして、母にマッチョになると宣言しました。

その日から半年間は自重トレーニングを行い、半年間続けられたら2018年からジムに通うことを決めました。7月中にアブローラー、プッシュアップバーを仲間に加え僕のトレーニング生活は順調に進みました。食事も変え、鶏胸肉を大量に食べる生活を始めました。秋には生煮えの鶏胸肉にあたることもありましたが、なんとか半年の自重を終え、身体はスッキリし始めました。

ジム通い出した頃、ちょっと痩せはじめた

ジムトレの難しさ

ジムトレーニングを始めましたが、通いだしたエニタイムが遠かったです。近くのゴールドジムが怖かったのでエニタイムにしましたが、遠いエニタイムに行く気は少しずつ削がれて行き、バイトや勉強を理由に行く頻度はどんどん下がっていきました。駆け出しトレーニーはマシンやウェイトの使い方がわからず、続けられない人が多い理由がなんとなくわかりました。無知の頃のひとりトレーニングは孤独でした。

ジムトレの初期は慣れるまで辛抱するかトレーナーつけるかだと思い、悩みましたが、留学を控えていてお金が無かった僕は辛抱することを選びました。完全に遠回りでしたが、目標が曖昧だったので、そんなに深く考えていませんでした。

トレーニングの国オランダ

大学年次の留学先はオランダでした。待ちに待った留学、遊びまくりましたが、その一方で他大学のジムに入会し時間を見つけては通っていました。
少し遠かった記憶がありますが、そこのジムではレベルは違えど皆一生懸命にトレーニングしていました。

とある日、ベンチプレスをしていた僕にフォームの指導をしてくださった方がいました。どこの誰かも知らない人に声をかけられ、一瞬戸惑いましたがその出来事に感動しモチベーションがぐんと上がった記憶があります。オランダでは圧倒的にお酒を飲む時間が多かったですが、ベンチプレスは75㎏まで上がるようになっていました。

等身大ではないクリロナと並ぶちょっとやつれた人

就活で衰えた筋肉

留学を終えた僕を待ち構えていたのは、就活でした。結果的に半年間、就活に貯金と時間を捻出し、ジムに通うことはできませんでした。特に時間のほとんどは、就活でなくなっていき、失敗するたびにメンタルはすり減っていきました。
半年間の就活を終え、僕はジムに再び通うことにしました
。規則正しいトレーニングとタンパク質メインの食事を心がけ、就活でだらしなかった身体も少しずつ戻すことができました。その時はパスタといか、えびを中心に食べ、トレーニングは3分割で胸と脚を中心に鍛えました。

ジム復帰から3ヶ月後には増量を開始し1か月後には減量を行い、微妙に痩せました。その時は達成感はありましたが、痩せて筋肉が落ちた自分がすごく悲しかった記憶があります。

社会人1年目の忙しさとの葛藤

社会人になり、毎日研修と勉強で時間は奪われていきました。コロナの影響もあり、ジムには行けないので家でトレーニングを開始しました。
朝起きたら、アブローラーをして仕事が終わったら30分だけ自重トレーニングをする。この頃は、筋肥大を目的とせず毎日今の状態を維持することで精一杯でした。

研修も落ち着き、ジムにも一度は通いだしましたがなかなか思うように時間との折り合いがつかず、目的を見失いつつあったので思い切って翌年のBestBodyJapan出場を掲げ、増量を開始しました。

見た目にもこだわるプロレスの練習生みたいな23歳

本気の仕事と本気の筋トレ

社会人1年目も少しずつ慣れ、年を越すタイミングで運命の人と出会うことになります。ピンキーまえのさんです。当時ベンチャー企業の関西代表トレーナーをされていた彼と東京でトレーニングをしました。

初めてのパーソナルで僕の今までの筋トレがすべて覆りました。もっとトレーニングの精度を高めて、意識しないと上には行けないと確信しました。

そして、会社に大会に出ること、本気でトレーニングすること、ただ仕事も本気ですることを宣言しました。

正直、担当持ちたてでパンクしそうでした。ただ、まえのさんとマンツーマンで頑張る自分を客観視し、自分の気持ちを高め続けていました。

運命的な出会いで筋トレの意識が180度変わった

大会2ヶ月前からの記録と記憶

少しずつ変わる身体とがむしゃらにやり続けた結果が出始めた4月、僕は社会人2年目になりました。

4月から仕事がもの凄く忙しくなりました。正直チャンスでした。忙しい仕事と減量末期。とことん自分を追い込むことができるので、さらにしんどくなっても生きながらえる自信をつけられる気がしていました。覚醒状態の僕はさらに過酷な減量を好みました。減量末期の人間は皆覚醒すると思いますが、過覚醒した人間は何をするかわからないので危険だと言われ続けてきた僕でしたが、危険な道もいとわないつもりの精神になっていました。まえのさんと相談を重ねながら、減量をおこなっていきました。

初めての減量はやはり人に教わりながら行うのが一番だと思いました。僕ひとりでも出来たかもしれないけど、それは長く続かない気がします。

結局最後は水抜いたり、やりたいことやって大会に臨めたので満足です。順位のつくのが大会ですが、ボディメイクは自分との闘いだと実感した日でした。
結果的に体重は半年間で14kg落ち、体脂肪率も10%減りました。

出番3分前は人生で1番ワクワクしてた

大会後の反応

ボディメイクを行っていることは、地元の数人の友人にしか伝えていませんでした。大会が終わり、盛れた写真をLINEやインスタのアイコンにしました。

すると、色んな人からコメントを貰いました。
変わりすぎてるとか筋肉凄いとか。‪(笑) 最高に気持ちいい感覚でした。
中には、合成してる?って聞いてきたり、誰かわからんくてフォロー外そうとしてしまった。って教えてくれたり、ありがたいお言葉ばかりでした。

僕が1番太ってた時期を知ってる人から言われるとやはり大きな実感となり、さらにモチベーションが上がるきっかけになりました。

やり切ったあとのマクド最高!

最後に

僕の身体は不健康なデブから不健康な中肉中背を経て、健康的な人間に移り変わりました。

今が1番顔がスッキリしていて、そして明るいです。
自信もつく、これだけの頑張りは一生モノです。

人はいつからだって変われます。僕がそうだったのですから。腹筋だって1回も割ったこと無かった。運動やめてダイエットして筋肉が無くなってもベンチプレス85kgあげられるようになった。半年減量すれば、大会にも出れた。

やれば成果が出るのが筋トレ、ボディメイク。
僕の人生を変えてくれました。


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