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眠い時の僕を僕だと思わないでほしい。

この原稿を書いているのは、失敗したなぁ、と思った日の夜。
今日あったことを思い出して、俯瞰した気になって書いてみたくなった。

大学の授業でのグループ活動中、眠気で頭が動かず、話がまとまっていないのを誤魔化すかのように大きな声でたくさん話し、分かってもらえないとちょっとイラっとした感じを出してみたりして、同級生をたいそうイラつかせた。

眠い時の僕は、うまくいかない。眠い自分を誤魔化そうと努めるのにとっても苦労する。そしてその誤魔化す行為が、毎回ことごとく失敗しているような気がする。いつもより早い相槌(動作)、過剰な返事(声)、逆にそれに自分が気づいて静かになっている状態、そのすべてが、結局空回りする。眠い自分を相手に見せないパフォーマンス。難しいし、もうやりたくない。

眠い時の僕、別な状態の僕に似ているな、と書いていて思い出した。トイレに行きたいけど行けないときの僕だ。
トイレに行きたい時の僕も、相槌が早くなって、過剰な返事をしている。こういうことをしているのは話を早く切って寝たいからとか、トイレに行きたいから、とかではない、と思う。その状態の自分を隠したいというただそれだけ。

「誤差」を許してほしい、と思う。眠い時の僕、トイレに行きたい僕、そんな状態の僕は、本人も認めたくないくらいの僕なのだ。(正しくは眠い時とトイレに行きたい時に、うまくそれを回避する術を持ち合わせていない。)それらの状態の僕に居合わせた人にはわざわざ説明して回りたいくらい。「相槌早くてうざかったよね。ごめん。あの時眠くて気がおかしくなってたんだ。」と。

逆に、僕も誰かの「誤差」を許す人でありたい。「あの人返事がぶっきらぼうだったけど、何かその前に嫌なことでもあったのかな。」とか。
お酒を飲んでいるときは当たり前のようにみんなそうやって考えてる。

でもそれ以外の時は、全部「まっさらの人」みたいに扱われているような気がする。

想像力を働かせて、色んな状態の人を許したいと思った。

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