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大工見習いから逃げて正解でした



昨日は新宿で勉強会を開催したんですが

生徒さんの中で

『やりたくない事をやっている時は辛いですよね』

という話しになりアドバイスしたんですが・・・・


人は『自分がやりたくないと思うことをしている時が
1番ストレスを感じやすい』ですよね。

僕は、17歳から仕事をしていますが
最初に始めた仕事は大工の見習いでした。

毎日、毎日、親方の家に行って
ノコギリで木を切る練習をしていました。



当時、家の近所に親方の自宅があり
そこまで弁当を持ってチャリで通っていました

親方の家は借家の平屋で
その家の庭で大工の練習をしていたんですが

親方は僕らが現場に出れるようになるまで
そこで練習をしてろと指示だけ残し
自分は大工の現場へ行きます

当時もう1名、僕以外で同世代の弟子がいて
毎日2人でノコギリの練習とカンナで木を
削る練習をしていました。

『この練習・・・いつまでやるんだろうな
もう飽きたんだけど』

弟子

『文句言ってねーで頑張ろう。親方が
 やれって言うんだから』

毎日そんな感じでどっちかって言うと
僕は出来損ないの弟子で
もう1人は真面目で腕のいい弟子です

3ヶ月が経ち、4ヶ月が経ち
毎日同じことの繰り返し

正直、僕は
ストレスでした。

僕はただお金がもらえて
大工はかっこいい!と言うイメージだけで
仕事を探していたし

手先が器用ではない僕にとって
大工の基礎練習は苦痛だったんです

そんなある日

優秀な弟子の方が親方に認められ
現場に連れて行ってもらえるようになりました。

彼は僕よりも大工の才能があり
腕がいいので
先に現場デビューが決まったのです

大工練習は僕、1人だけになりました。

そこから1ヶ月くらいは真面目に
ノコギリ練習をしていたんですが

ついに耐えられ無くなった僕は
親方に申し入れをしたのです

『親方、毎日、毎日
ノコギリの練習は辛いです。
僕も現場に行かせてください』と

親方が言いました。

『ダメだ。

お前はまだ基礎もなっていないし
集中力がない。

今のままでは到底現場に
連れていけるレベルではない。

あと6ヶ月は言われた通り
ノコギリの練習をしてろ』

しょぼくれた僕は
言い返すこともできず

その次の日かの
ノコギリ練習は悲惨なものでした




ノコギリで親方の指示があった
『まっすぐ切る』という意識も弱く

気づいたらノコギリを置いて
友達と仕事中に長電話したり

親方の家を離れて
彼女と公園で遊んでいたり

親方が現場から戻る頃には
僕もこっそり親方の家に戻り

あたかも1日頑張っていたかのような
素振りを見せていました。

親方は僕が仕上げた木材を
チェックします。

『相変わらず全然ダメだ。
まっすぐ切れていない。

あとお前

今日はこれしかやっていないのか?

1日何をしてたんだ?』

親方は

僕がサボっていたことを見抜いています

でも17歳の僕は
そんな親方に
逆キレしてしまったんです

『毎日、毎日、親方の言われることだけをやって
行きたい現場にも行けずこんなの
求人票と違うじゃないですか!?
もうノコギリもやりたくありません』

と。

そのまま僕は親方に

『もう、辞めます』と告げ
親方の元を去りました。


親方は『根性なしが!』と
僕に怒号を浴びせてきましたが

僕はやりたくないことをやる日々が
耐えられなくなり
大工見習いから逃げ出したのです。


今思えば
あんなダメな僕に給料までくれて
大工の練習をさせて
可愛がってくれた親方に
申し訳なく思います


きっと期待もあったんだと思います。
そんな親方の気持ちや頂いた配慮も気づかず
僕は好き勝手やってしまったのです



大工見習いをやめた後
僕の仕事はどれも長続きしませんでした。

嫌だ嫌だとすぐに飽きて
次々に違うことをしてました。

周りが僕を中途半端野郎と言います。
でも僕はそれを才能だとさえ思っていました。

『みんなのような我慢して
仕事するにはどうしたらいいのか?』

と最初は悩んでいましたが

次第に

『みんなのように
我慢して生きていたくない』

変わっていったのです


仕事は

『きっと自分に合う仕事があるはずだ』
人に説明できない自信がありました


そこから7年後

僕はリクルートに入社し


その2年後
起業家になりました。


僕は何が言いたいかって

人生は1度きり

『自分がやりたくない事を
いつまでもやる必要はない』

ということです

もちろん

やり切る力とか
嫌な事から逃げないとか
そんな教訓もありますが

嫌な事から逃げることと
『責任を放棄すること』は
僕は違うと思います。

僕は少なくても
自分の人生を生きる

という責任は放棄しなかったし
周囲がなんと言おうと
自分を最後まで信じていたし

わがままと
ありのままは違うと思っています


嫌なものは嫌だって言える人生を大切にする

そもそも

嫌なことは他人にとって
好きだったり得意だったりします

それならそういう人に
任せればいいとさえ
思うようになりました。

自分には自分のステージがあり
自分には自分の挑戦や価値観がある

そんな事を考えて生きていたら
口癖がパッション!になっていたんです。

僕も今でも
『やりたくねー』なんて沢山あります。
でも責任を放棄する気は毛頭ありません

ただ人に迷惑をかけない自由がきく
やりたくないは放棄するか
人に任せるか、の判断をします

人生で大切なのは
自分が一番やりたいことをやる!

と言うことです

誰になんと言われようとも
やりたい事をやり
幸せ感全開になればきっと周囲にも
その幸せ感は伝染しますからね


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