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禅とジブリ 〜鈴木さんの“生き方“に触れて〜【読書感想】

「坐禅」
怒りや憎しみを調合するのは“自分”。
坐禅が自己を見つめるというのは
そこのことです。

「ジブリ」
“世の中捨てたのんじゃないよ”
というのがジブリの基本姿勢なんで。 

「鈴木さんの言葉の燈」
「一切をあるがままに受け入れるところに真の自由がある」
この言葉を知って、ぼくは救われた気持ちになった。

本書目次

『どんな本?』

▪️「即今目前」という生き方
▪️「柳緑花紅」鈴木さんの心の奥にある言葉
▪️受け身こそ絶対
▪️鈴木さんも“承認欲求”を否定
 (アドラー心理学と共通)

鈴木敏夫さんと三人の僧侶が語る、
対談、鼎談形式で善の考え方と
ジブリの哲学から
この時代のやり過ごし方を考えます。

『読書感想』


とんでもない名著に

またもや出会ってしまった。

心に染みる言葉の宝庫でした。

鈴木さんの生きる姿勢と、禅の心。

そこには“共通点“があり、

そこからジブリ作品の理解を深め、

人生観を見つめ直すことができた。

書かれていること
それは現代人が忘れてしまった「生き方」。

「今、ここに生きる」

その生き方が強く、逞しく、儚く、美しい。

この本は生き方、哲学、思想、禅を考える本です。

鈴木さんの著書の中でベストワンかもしれない・・・

『言葉の燈〜心に沁みた言葉〜』




こういう社会でみんな大変だろうから、
それに対する励ましは
あっていいんじゃないかな、と。
でも常々自分に言い聞かせているのは、
それに捉われてはいけない、ということ。
結果として多くの人が見てくれれば嬉しいですが、
「本当にわかる人に届けばいい」
そういう気持ちでいますけれどね。

伝えると伝わるは違う、ですね。

「放下著」
放り出せ
「即今目前」
今を生きよ

いろんな人を見てきても、
目の前のことを忘れている人が
多すぎるから。
今、みんな悩んでいますよ。
人生は本来、ケセラセラ。
明日のことなど分からないはずなのに、
みんなが過去に捉われ、
未来のことを考えている。

何も分からないからおもしろいはずなんですよね。
自分の身に何が降りかかるのか。
ジブリで一時、辞めたいという人が
続出したことがあったんです。
その理由がみんな同じなんですよ。
「このままじゃ自分を見失いそう」
って必ず言う。
そのとき僕がいつも言ったのは、
「それは理想とする自分がいて、
そこから今の自分を見ているからでしょ。
そうじゃなくて今、
目の前のことをちゃんとやりなさいよ」
ってこと。

理想の自分と比べたら、現実の自分は
みすぼらしく見えるに決まっているもん。

目標に向かって努力するのは
もちろん立派ですが、
僕なんかは、自分でやりたいことなんて
何もなかったし、それよりも目の前のことを
コツコツやって拓けていく人生に
付き合おうという考え方だったんです。

「この世は辛いけれど、あの世へいけば幸せ」
僕にはそう見えてしまったんです。
もしかすると、そう言う感げかたが
日本だけではなく世界中で蔓延
しているんじゃないかな、
って言う気がして。


「この世の中、捨てたもんじゃないよ」
というのがジブリの基本姿勢なんで。

だからやっぱり言いたくなるのは
「もっとさ、先のことを考えずに
今のことをちゃんとやったら」ってこと。
そういうときに「放下著」「即今目前」
という言葉は、もっとみんな
知っておいた方がいいんじゃないの、
って思ったんです。

被災者の方から「死んだあの人に会えますか」
と訊かれ、「会えます」とは簡単には言えません。
「会えない」とも言い切れない。
「わからない」というのが本当の答えではないか。
しかし「共に生きることはできる」と。

もののけ姫で「分からぬ」というセリフに
注目された方は初めてですね……。
とても興味深いご指摘です。

一本の映画で、家族の崩壊を押し留めるなど、
無謀な戦いであることは先刻承知だった。
ただ、一矢報いたい。
ちなみに「ホーホケキョとなりの山田くん」は、
後に米国の美術館MoMの要請により、
永久所蔵されることになる。

私はよく「坐禅はゴミ捨て場」と言います。
何かわからないことがあると、
すぐにスマホに答えを求めてしまう時代だからこそ、
ちょっと立ち止まって、自分にベクトルをめける時間。

僕も、何でもスマホで調べていましたが、
最近我慢するようになたんですよ。

便利になったものの、どこか間が抜けている。
便利になったからこそ、
立ち止まる時間が必要だと思います。


宮さんと僕が考えたのは、
「空を飛ぶ能力は特別か」ということ。
それで、「特別ではない」と決めたんです。

惹かれたんです。というのは、彼女、
今この瞬間のことしか考えてないんですよ。
とかく現代人は、昔のことや先のことを考える。
でも、その子は過去もなければ未来もない。
いつも「今」なんです。
それが強く見えたんです。

思想家の渡部京二さんの本「逝しき世の面影」。
幕末、明治に日本に来た外国人が
国へ送ったレーポートや手紙をまとめた本。


今は物を欲しがる時代だけれど、
物がみんなに行き渡ったら、
欲望の対象が物から時間の消費に
変わるんじゃないか。
………。
その次の世代は高級車よりも
スマホゲームのポケモGOの方がいい。
あのゲームって時間をどう使うかってことでしょ。

僕はね、本当の幸せを求める時代に
なってくると思っています。

お寺に来る方も、若い方が増えてきました。
自分を見つめる機会を求めているんでしょうね。

「どうすればシンプルな生き方ができるか」
というのは、
大切なテーマになってくるんじゃないかな。

表紙没案



宮崎駿は「いま、ここ」の人である。


タイトルが素晴らしかった。
まさに「終わらない人 宮崎駿」である。
「これまで等身大の自分を
さらけ出した作品を作ってこなかった。
最後にそれをやりたい」。

「作っている途中で死ぬかもしれない」
その気持ちが彼を駆り立てる。
僕の老後の楽しみは
どこへ行ってしまうのか。
しょうがない。
宮さん共に生きて来た人生だ。
協力せねばと確保した。

背中を見て感じていく、
というのも私たち若い世代が
忘れていることかもしれません。
教えてもらうのが当然に
なってしまっているのかな、と。

ただ居るだけで生きるに値するのではなく、
やっぱり僕らももがくことは
必要なんじゃないかな、と思うんです。

やっぱり大切なことは言葉では説明したくない。

言葉ではなく「間」で伝えていくんですね。

僕、落語が好きなんですが、
柳家小三治師匠の間は絶妙なんですよ。
僕なんかも人前で話すとき、
それはすごく意識しますね。
みなさんに考える時間を与えること。

そこは若い人と接していて、
気になることが多いです。
「枝葉末節」という言葉があるけれど、
ここへ来て、みんながこだわって
いるのは枝葉どころじゃない。

そこは若い人と接していて、
気になることが多いです。
「枝葉末節」という言葉があるけれど、
ここへ来て、みんながこだわって
いるのは枝葉どころじゃない。
僕は強く言いたいのですが、
「木を見て森を見ず」どころか、枝葉、
そして現代が見ているのは葉脈です

極端ですよね。
どんなものにも二面性があるのに、
一面だけを見て全てを否定するから。
寛容性も多様性もありませんよ。

「壺中日月長」
時間を超越した悟りの境地のこと。
つぼの中に入り、出てきたときには
成長しているということ。


そもそも僕は、自分と向き合うことが
極めて少ないんです。
とくにある年齢になってから
「生きていくことは人のために何かすること」
と思うようになりました。

「道楽」は仏道を歩むことを
楽しむという仏教用語。

僕に言えるのは、
「オン・オフは作るな」ということでしょうか。
「頑張るとき」と「解放されるとき」、
そうやって境界線を引くから
疲れるんじゃないですか。
いつも同じ気持ちでいられた方が
いいんじゃないかと思うんです。
「ここまでは仕事で、ここからはプライベート」
それ、くだらないですよね。

「自我」は自分だけがという心。
一方。「自己」はじっくりと見つめべき対象
とういう考え方です。
英語なら「エゴ」と「セルフ」。
エゴは捨て、セルフは忘れてはならない。
「自己をしっかり持ちながら、
誰かのために生きていく」。

表紙没案

「柳緑花紅」

黒澤明の映画「姿三四郎」に登場する言葉。
まっすぐ正直に生きる。
高校生だった僕らは三四郎から
生き方を学んだ世代だった。
富田常雄の原作を買い求め、
本がボロボロになるまで読み込んだ。
気がつくとノートの切れ端のそこかしこに、
ぼくは「柳緑花紅」と書き込んでいた。

宮崎駿と知り合った頃、話が「三四郎」に及んだ。
宮さんも三四郎が大好きだった。
一冊の本が人の関係を取り持つことがある。
ぼくと宮さんは一気に親しくなった。
「風立ちぬ」で、関東大震災の後、
二郎がヒロインの菜穂子の女中さんを助けるシーン。
それは「姿三四郎」の三四郎と乙美の
出会いのシーンへのオマージュだった。

死は近くにあるもの、いや、
なきゃいけないものだと思うんです。
今の世の中、あまりにも
死を隠そうとするじゃないですか。

やっぱり衣食住とかかわるんですよ。
いくら技術が進歩しても、この身体はそのままで、
必要なものは変わらない。
技術が進歩すると、要するに体を動かさなくても
いいようになっていくんですな。
電車に乗り、エレベーターに乗って、
それで暇があたら、皇居の周りを走ってるんです。
矛盾ですね。

身体は石器時代から変わらず、
マンモスを追いかけていた頃と同じですら。
走ると体が喜ぶわけです。

一番いい師弟関係は「敵同士」だと。
二番目は「恩を感じる」、
三番目は「勢いに気づく」。

素直に言うことを聞いたらダメですよね。
僕も生意気な部下の方が好きです。
やっぱり突っかかってくる奴じゃなと
おもしろくないですよ。

「競争心を持つのはいけないのか」
という質問を受けたんです。
漢方薬にはトリカブトが入っていた。
トリカブトは毒として有名ですが、
優れた漢方薬でもあるんです。
微量に摂れば活性化する。
大量に摂ると毒になる。
怒りや憎しみ、競争心もそうなんです。
程よくは入って言いれば、
人間は元気になって働いていける。

ちょっとの毒が必要なんですね。

徹底的にいじめ抜くんですよ。
それに対してね、この野郎って
気持ちにならないと、力が出ない。
怒りは原動力になりますね。

逆をいく。
それが一番楽しいですよ。
だから新しいものが生まれるわけで。

怒りや憎しみを調合するのは自分。
坐禅が自己を見つめるというのは、そこですね。


所沢に住んでいなければ、
「トトロは生まれなかった」。
僕は宮さんに対して初めて畏敬の念を抱いた。
歩いて、観察して、感じたのであろう
その感受性に対して。

中国に両国という言葉があります。
それは対立するもの両方を
そのまま生かしておくと、
必ず何か生まれる、
という考え方なんです。

「荘司」という本の一節。

「一切をあるがままに受け入れるところに
真の自由がある」
この言葉を知って、ぼくは救われた気持ちになった。
何を隠そう、ぼくは受け身で
生きてきたへんな自信がある。
とはいえ、そんな立派な考えで
そうやってきたわけじゃない。
ましてやそこに真の自由があるなど
考えたこともない。
しかし、この番組をきっかけに、
ぼくは積極的に受け身を追求してみよう決めた。


「大菩薩峠」という映画。
主人公の机竜之介の剣の構えは「音無の構え」。
相手がかかってくるまで仕掛けず、
受け身で相手をやっつける。
必殺の構えなんです。
小学四年生のときに映画を見て以来、
それが頭にこびりついてね。

私自身も鈴木さんと同じく、
受け身こそ絶対だと思います
けれど、最近は受け身という考え方は
あまり受けが良くないですよね。
目標を立てて自ら努力し、達成しよう、
そんな世の中だと思います。

夢や希望、別な言い方でま前向き、
とういう言葉があります。
それらに対してものすごく抵抗があるんです。
どちらかというと、後ろ向きが好きで…。

近づいたり、離れたりしを繰り返している
うちに見えてくるのがあ本質だ。
若い夫婦に問題が生じるのは、
必ず「向き合おう」とするからだと。
建築家ガウディが作った「夫婦のイス」。
夫婦のイスは90度の角度で接している。

昨今、承認欲求という言葉があるじゃないですか。
あの言葉を発明した人は許せないと思うんです。

僕らの時代にそういう言葉はなく、
人の評価をあんまり気にしなかったんです。
ただ、言われた仕事をやればいい。

「喫茶湖」という禅の言葉

ある和尚は、修行したいと僧がやってくるたびに、
「喫茶湖」といったそうです。
どんな人にも無心で「お茶をどうぞ」と言う。

リンドバーグの奥さんの本「海からの贈り物」。
「今」、「ここ」と言う言葉が何度も出てくるんです。

ぼく、作者のル・グウィンは、西洋の物語に
東洋の考え方を持ち込んだ方だと思っているんです。
あらゆるものに通り名と「真の名」があり、
己の「影」こそ対峙すべき相手としている。
そういった物事に二面性を見るのは、東洋的でしょう。

宮さんはね、やっぱり「ゲド戦記」が好きなんですよね。
それはつまり、物事には必ず「光と影」
二つの側面があるということなんです。

「老いの熟成」

老人が書く老人に、枯れた人なんてどこにもいない。

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