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本にまつわるツレヅレ#8 人からもらうモノから見えること

6月6日。紫陽花が見たくなって、あじさい神社に行きました(まだ見頃には早いのでは?という声もあったけれど)。本殿脇の龍王神社に参拝したところ、通り雨。「棒が一本あったとさ」で始まる絵描き歌が思い浮かんで、急な雨にもニヤニヤ。
はい。
No,No,Yes! 所作生産部の椿による、「本にまつわるツレヅレ」第8回目です。


アーノルド・ローベル作、三木卓 訳『ふたりはともだち』文化出版局、1972年。
「おてがみ」を小学校の国語の教科書で読んだ記憶があるひとも多いだろう。そう、かえるくんとがまがえるくんのお話。

この本は、6年前に東京から姫路に引っ越しをした際、離れる友人が送ってくれたもの。
それまで贈り物の選択肢に「本」という発想がなかった私は、包みを開いたとき嬉しさと共に新鮮味を感じた。…その後、人に聞いたり、様々な媒体の記事を読む中で、本の贈り物はわりかた一般的なのだと知る。

個人的に贈り物をするのは楽しい。
相手に似合いそうなもの、その人が持っている様子しか思い浮かばないもの、美味しかったから是非食べてほしいもの、「良い!」と思ったから使ってほしいもの… 私の場合、完全に自己満足である。そのうえで、相手が喜んでくれるのであれば御の字だ。

この際なので、「贈り物」の意味を調べてみる。「人に祝いやお礼や記念として贈る品物」という記しから、マルセル・モースの『贈与論』まで目に入り、これはリボンのジャングルに囲まれることになるぞ ということで、そっと引き返す。普段何気なくしている行為ーーここでは贈り物ーー、も文化人類学の領域なのだと意識すると、脳みそがぐるぐる巻きになりそうだ。

自分と他人を一緒にしたら、また齟齬をきたす。けれど、あまりにその贈り物(および贈られたもの)に関して深読みするのはちょっとやめておこうと思った。
例えば、また別の友人が10年ほど前にくれたポストカードとシール。かの有名な革命家の肖像モチーフの。容姿の格好良さに着目して、その時からそのまま保管したまま。
つい先日たまたま、訪れたブックカフェで、1998年に刊行された生誕70年記念出版の日本初写真集に出会う。先述のポストカード等を思い出し、一緒に持っておきたくなった。100頁ほどで、文章は彼の思い出について始め5頁に書かれるのみ。人柄を少し垣間見つつ、写真を眺めよう。
思想や活動のことを考えると、友人がくれた意図を推察するのは荷が重い。ただ、このポストカードはポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルによるシルクスクリーン作品のものだと、ここ2週間のあいだに知ったことは有益だった。

贈り物における自己満足から、逆に「相手から自分はこう見えてるのか」ともらったものを見て考えがち。
アンディ・ウォーホルは言う、
“I’m afraid that if you look at a thing long enough, it loses all of its meaning.”
(ものごとを見すぎることで、それが持つ意味がまったく見えなくなることを私は怖れる。)




それではまた次の日曜日に。


椿

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