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キレイな you me〈ショートショート〉

蝉があわただしく鳴く昼下り.
残された時間の少なさを嘆いてるのだろうか,などと想像している初老の男.

しゃがんで,線香をあげた.
細い白煙が登っていく.
そして妻の眠る墓の前で目を閉じると,そっと手を合わせた.

「昨日は自分でカレーを作ったよ.君のほどは美味しくなかったけど.家事も慣れたもんさ」

「あとゴルフを始めた.日中退屈でさ.まだ真っ直ぐも飛ばないけど」

「子供達もひとり立ちして,家もだいぶんすっきりしてね.もういつでもそっちにいけるよ」
男は寂しそうに笑った.

妻の居なくなってからの生活は虚しかった.
自分が半分になったような,味気の無い生活.
何か男が失敗をする度に,恐ろしい剣幕で怒る妻は家族の太陽だった.

長い間,仕事に子育てに翻弄され忘れていた喪失感は,定年退職した途端に男を苦しめた.

しかし,妻は元気にしているのだろうか.
天国には行った筈だ.善い人間だったから.

だが,私はどうだろう.
いやきっと妻が天国まで案内してくれるだろう.
その瞬間が楽しみなのだ.
早く連れていってくれてもいいのだが…
男はそう思った.

「ダメよ.もう少し,私の分も…」
そんな妻の声が聞こえた気がした.
遠くから,珍しく優しい声だった.


その時,誰かが横にいるのに気がついた.
「よかった,とりあえずお飲みになって」
どこからか現れた和尚が水を手渡す.

「この時期は,お一人で墓参りはやめた方がいいですよ」

「熱射病で意識を失って,そのまま…なんて話をよく聞きます」

男はようやく事を理解すると,和尚に感謝の言葉を伝えた.
「どれ,一応病院まで送りましょう.坊主も今どき免許くらい持っていますから」

さっきまで長かった線香は,もう倒れてほとんどが灰になっている.男は呟く.
「いつかは迎えに来てくれてもいいからな」

そしてもう一度手を合わせると,和尚の腕を掴んで立ち上がった.

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