腕時計と文化と機能と

腕時計の機能.
それは時間を私たちに教えてくれることだ.
その上持ち歩くこともできる.

Wikipediaで調べてみると,どうやら西暦1800〜1900年頃に初めの腕時計は造られたらしい.
その後2度の世界大戦の中で,ストップウォッチ的な機能が搭載されたり,その性能は大幅に改良された.
(その時代にGPSなど当然存在しない.飛行機は太陽の方角を頼りに,地図とコンパスと時計で飛んでいたはずだ)
という事は,腕時計の文化・歴史というのはせいぜい100年程度だということだ.もっと長いと思っていた.

私も20歳を迎えた時,TAG Heuer の時計を両親から贈られた.
機械式で,裏からわずかに動き続ける名前もわからぬパーツやゼンマイが見えたりして,その精巧さに感動する.

腕時計の不必要性

でもまあ正直に言うと,スマートフォンを常に手にしている生活を送っている以上「時間が分からない」なんてシチュエーションは無いわけであって,サバイバルの場でもない限り,腕時計を装着する明確なメリット・目的というのはここ10年20年くらいで薄れてきたんだろうなと思う.

大学でも,腕時計を着けている人もいれば,着けていない人もいる.居酒屋とかで一世代二世代昔のおっさんに会ったら大抵着けている.
最近は,ちょっといい時計を買ってる人もいたりするんじゃないだろうか.

着けている人ですら,時間を知る機能としての腕時計はそこまで必要としていないように思う.
でも若い人はそのファッション性に,社会人などは社会的な地位を示すアイコンとして.
あるいは装着していることがマナーであったり,一種のステータスであったりと,腕時計から生まれた付随的なカルチャーがまだ私たちの中に生きているのはめんどくさいような,素敵な事だと思う.

スマートウォッチはあんまり周りの人で持ってる人は多くないっていうのもまた面白い.「時間を教える」以上の機能を搭載しているにも関わらずシェアがそこまで伸びてないって事は,私たちが腕時計に求めてたものは少なくとも汎用性では無かったらしい.

これからも「不必要」な腕時計という文化が、形を変えながらでもいいから、細々とでいいから、続くといいなあと思う.

完全に余談だけどG-SHOCKって凄い.
ただ「衝撃による破壊」に対する強度を極限まで高めるという,男のロマンみたいな作品だと思う.
でも,アメリカの軍人さんが持ってたり,一方日本の女の子が持ってたり,カシオの宣伝努力を感じる.

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