Reincarnation〈ショートショート〉
「生まれ変わったら,もっとラクな生き方を選ぶのになあ」
男の疲れた声が部屋に響く.
「うっ,頭が…」
椅子から立ち上がった男は,とつぜんの頭痛に耐えきれず床に倒れた.
そしてその意識が戻ることはもうなかった.
都会のとあるビルの1室.
そこは製薬会社の研究所だった.
倒れた男の腕時計の針はすでに次の日付の時刻を指している.
男の仕事は,害虫を殺すためのクスリを作ることだった.つまり殺虫剤だ.
当然,部屋中にムシの入った透明なケースが所狭しと置かれている.
この虫たちを相手に実験しながら,殺虫剤として使える化学物質を見つけ出すのだ.
夜遅くまで研究に精を出すのにも理由がある.
昔に比べ科学技術は発達した.
しかし近年,殺虫剤の成分の効かないムシが増加傾向にあったのだ.
男の残業時間も増える一方だった.
「おや,ここはどこだろう」
男が目を覚ます.
視界には薄暗い,埃の積もった床が映った.
そして暗闇の奥からヤケに大きく,黒い,研究室でずっと飼っていた生き物がこちらを見ていた.
埃の中を,カサカサと近づいてくる蜚蠊.
「おお.新人が来たぞ.君は人間の頃はなにをして暮らしていた?」
男は,蜚蠊が何を言っているのか理解できた.
だが,それは男が同族であることを証明した.
「生まれ変わりというやつだ.こうなった以上,この身で長生きするしかあるまい」
蜚蠊が,黙り込む男を優しくなだめる.
「わたしは殺虫スプレーの開発を…」
「それはよかった.おれは最新の製品から身を守るために研究しているんだ」
「野草から殺虫剤の効果を和らげるものを探し出して食べたりな,まあ一緒に頑張ろうや」
先輩の蜚蠊は,頼もしそうにそう言った.
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