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ココロノコリ 1-9


 雄大の寒さがうつったかのように、川村もきゅっと両腕で、自分の身を抱いた。
「撫でてほしかったんだね」
「え?」
「今の猫。さっき、うちの方でも見かけたんだ。もしかしたら僕についてきたのかもしれない」
「──へぇ」
「死んでるみたいなのに、普通にトコトコ歩いてるから、こいつにも心残りがあるんだなって……消えられないんだなって、思ったんだけど」
(心残り)
 川村の口から発せられるその言葉は、なんだかやけにさらりとしていて、雄大をやるせない気分にさせる。
 ──心残り。
(川村にも、あるのか)
 そうだ、川村にこそ、それはあるだろう。学年で一、二を争う秀才だ。のんびりした田舎の高校で、トップクラスの国公立大学を目指せる数少ない生徒だと言われていた。一流大学へ行き、一流企業へ勤めて、順風満帆の人生を送れたはずだ。その、川村若葉の。
(最後の一年だったんだな)
 自分が土足で踏みにじり、教室の隅でうつむかせていた毎日は、川村若葉の人生の、最後の一年だったのだ。
「可愛がってほしかったんだね」
「──え?」
「猫。だから、伊東くんが撫でたら……」
「ああ」
 つられたように、雄大も細い月を見上げる。
「満足して、成仏したのか、あいつ」
「たぶん、そうだと思う」
 川村の言うのが本当だとして。あの猫は生きている間に、どれくらい愛されて暮らしたのだろう、と、雄大は思う。日々撫でられて、愛され尽くして暮らしたから、最後にもう少し甘えたかったのか。それとも、生きている内には与えられなかったものだから、生涯の無念として小さな魂に刻まれていたのか。──愛情、それとも、ささやかな愛撫。
「伊東くんはすごいね……」
 川村の呟きに、雄大は困惑する。
「は?」
「僕は、だっこしてあげようなんて、思いもしなかった」
 それは単に猫が好きか嫌いかの差なのではないかと言いかけて、雄大はもっと重大なことに気づく。
「ってことは、俺たちも、そうってことか?」
「え?」
「なんか、やり残したことがあるから、成仏できなくてふらふらしてんのか」
 ほんのわずか、迷ったような沈黙のあとで、川村が、小さく肯く。
「だって、僕ら、賭けをしたでしょう?」
 結末を知る前に、暗闇にかき消された賭けを。

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