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小松左京「一生に一度の月」感想

麻雀が登場する小説を集めている。amazonを駆け回りYahoo知恵袋を虱潰しているのだが、大抵は「阿佐田哲也」と答えられて終わりだったりする。そんな中で今一番アツいツイートはこれだ。


この引用リツイートとリプライに挙げられる小説一覧の収穫が半端じゃない。「一生に一度の月」もそうやって発見した。このように役立つところを見るとちょっとはツイッター潰れるなという気持ちになったりもする。

一生に一度の月 ショート・ショート傑作選」小松左京著

文字量を積み重ねたアマチュア創作はいいものだが、文字量を極限まで削ったプロフェッショナルショートショートもいいものだ。アイディアさえあれば自分にも書けるのではないかという錯覚を覚えさせてくれるから。バベルの図書館はある。

アポロ11号の月面着陸が中継される傍ら、その偉業を見届けるために集まったにも関わらず麻雀牌を広げ始めてしまうSF作家達。そして着陸の瞬間を他所に、海の底から化現する幻の役満・九蓮宝燈。麻雀牌にシンボルを重ねる小説といえば灘麻太郎プロの小説「牌の宿命 再会の中」(2007)があるが、牌にふった、中=再会、白=死、といったシンボルは灘プロの創作だと考えられる。一方の小松左京はさすがに小説のプロ。海底老月という麻雀役の中でも誰しも認める美しい役とアポロの着陸が重ねられている。九蓮宝燈がいかに誇り高き役満かという描写によって、麻雀を嗜まない読者にもこの小説の肝となる「月」と「運のツキ」の比喩は伝わる。しかしテクスト内で直接言及はないが、このアガりには中国麻雀に由来する一筒老月というローカル役(最後の手番で一筒をツモるとつく役)のイメージも重ねられている。さらにアガった後の「すごい! おまけに九筒がドラですよ」という投げっぱなしの一言にも、麻雀を知っている読者だけが「役満なんだからドラ3なんて関係ないだろ」とニヤリとさせられる。人類の誰もがブラウン管から見て認める月面着陸という成果と、麻雀とかいう中国語が飛び交う知らない人にはどうでもいいゲームの妙竹林な場面に興奮する大人達の対比。アポロ着陸の中継はとっくに終わっていた。

この部屋の中で行われるべきゲームは囲碁でもオセロでもなく、麻雀でなくてはならなかったことがわかる。夜と怠惰とエキゾチックの象徴たる麻雀。そういった文化の印象はMリーグ大時代の中いつまで生き残り続けることができるのだろうか。伊坂幸太郎の「砂漠」(2006)は大学生という限られた時間の中にまだ息づく麻雀文化を描写したが、それさえも大学生の娯楽などいくらでもあるこの現代においては歴史的記述になってしまうのかもしれない。

しかし、九蓮宝燈を和了った「私」は興奮の中でアームストロング船長にこう語りかけている。

人それぞれに、その時その時の感激の瞬間というものがあり、それは、その瞬間において、当人にとって最も重大なものであって、一方でもって、他方を否定することができないし、逆に人それぞれ固有の感激を通じて、わかりあう面があるはずだ、といった、いわれのない確信のようなものが、その時の興奮した気分の中にあった。――これが「現代」というものだ、といった確信が。

小説はまさにアポロが月面着陸した1969年当時に執筆されているが、この「現代」という言葉は現代でより一層真に迫る。『「予測」や「予見」を大きな要素とするSF』(本文より)の面目躍如といったところだ。そこで気がつく。煙草を吸っていなくても、明るく小綺麗な雀荘の中でも、海底で一筒をツモるその興奮に現代の私は共感することができる、と。

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