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母になったわたしへ (無痛分娩出産の記録・前編)


2022年1月末に第一子となる男の子を出産した。
計画無痛分娩からの吸引分娩というやつである。
生後まもなく3か月、息子の睡眠時間も日に日に規則的になり、ようやく隙間時間に過去を振り返る余裕が出てきたので、出産の記録を残しておく。

里帰りも、痛みも、ないんだよ


もともと本当は地元で里帰り出産したいという淡い希望はあったものの、世間はコロナ禍。
実家付近にただ一つしかない小さな産院には、「うち、いま県外からの里帰り出産受け付けてないんですよ…」と早々と断られてしまったので、里帰りを諦め、近場で無痛分娩を取り扱っている産院を予約することにした。

私は昨年のお正月の逃げ恥スペシャルを見てから、もし里帰りせずに出産するなら絶対無痛分娩にする、と堅く心に誓っていた。ガッキー演じるみくりの出産シーンを観て、こんなお産のスタイルがあるのか!とものすごく感銘を受けたのである。

痛いのを回避できる方法があるなら喜んでお金を出す、そのための日々の労働じゃい、産みの苦しみがなんぼのもんじゃいの気概であった。

産婦人科の選定にあたり、まずはネットの口コミを見てみるものの、玉石混交というか賛否両論というか、いい口コミばかりの産婦人科は基本的にほぼない。
ある程度の知名度のある産院だと、「先生がテキパキしててよかった!」といったコメントと、「先生が素っ気なくて聞いたことしか教えてくれない!」のようなコメントが賛否両方あるという感じであった。
結局は受け手の心情次第なのではないか、テキパキした処置と先生の素っ気なさはある意味では表裏一体なのではなかろうか、とネットの海を漂っているうちにだんだん選定基準が分からなくなり、最終的に厚生労働省のホームページに掲載されている無痛分娩の症例数の多い産院の中から通いやすいところを選ぶことにした。
安心材料として症例数を参考にするのは結構ありだったなあ、と思う。

ただ後編にて記載のとおり、生来のなるべく我慢しちゃう気質がたたり、じっさいは無痛分娩でもまあまあ痛い思いはした。が、もちろん自然分娩よりは間違いなく楽だと思われ、何より産後の回復スピードがめざましかったので、無痛を選択してホントーに良かった、と思っている。

お産は突然に


その日は突然やって来るよね。

妊婦健診も終盤にさしかかり、そろそろお産の兆候があるかと思っていた38週目、「まだぜんぜん子宮口が開いてないね。ガッチガチやね」と先生に言われた。
要するに、この子宮口という赤ちゃんの出てくるところが開いてないと、お産が進まないのである。

私は突然発生する出来事に対しての耐性が著しく低いため、無痛分娩の中でも計画無痛分娩という、あらかじめ手術日を決めて「この日に産むぞ」という感じで産めるスタイルを希望していたのだけど、かかっていた産院は子宮口がほどほどに開いてからでないと無痛分娩の日程を組めないことになっていたため、この時点ではまだ日取りが決まっていなかった。

お産の兆候がないなら予定日より遅い出産になるだろうと、「出産の日が選べるなら、語呂よく2月2日とかがいいなあ。節分イブやな」などと呑気に考えながら、ミスドの限定ドーナツの行列に並ぶ、ラヴィットを録画して観る等してひねもすのたりのたりと過ごしていた。

ところがその次の健診では、前回と違う先生(院長)から、
「きょうレントゲン撮ってみたら、お母さんの骨盤の大きさと赤ちゃんの頭のサイズ的に、赤ちゃんが産道を通れるの今週がギリかも。ということで明日から入院して明後日に赤ちゃん出しましょう
といった旨の話を、至極あっさり、体感では30秒くらいで宣告されたのである。



ええええええっ。計画分娩ってもう少し先の、せめて1週間くらいはバッファのある日取りで、ある程度心の準備をしてから挑むものなのではないのかっ。明日入院、というのは、ぜんぜん計画的ではないのではないかっ。と、突如訪れた妊娠期間の終了宣告にただ混乱し、そうこうしているうちに院長は促進剤使用の同意書とか諸々の書面にどんどん手際よくサインして、あっという間に当初の予定日より4日早い日程で計画分娩の運びとなった。

産院を出てからはしばらく放心状態だったけど、とりあえず目についたレストランに入って昼食のオムライス(味がしなかった)を黙々と食べているうち、徐々によっしゃ産んだるでという覚悟が芽生えてきて、帰宅後、あらかじめ数週間前から万全に準備しておいた入院バッグの持ち物の最終確認をし、入院前最後のお風呂(奮発してAYURAの入浴剤を入れた)等を済ませた。

「こちら側の都合で、少し早めに出てきてもらうことになり、申し訳ないね」という気持ちで、ぱんぱんに膨らんだお腹との別れを噛み締めながら、入院の日を迎えたのであった。


バルーンからの、促進剤からの、陣痛


1月25日、入院日
私はまだ子宮口が全く開いてない状態からの入院だったので、入院当日は子宮口を拡張するためのバルーンという風船のような器具を入れる措置をして、日中の診察は終了した。
バルーンの処置自体はそんなに痛くなかったものの、時間が経つに連れてじわじわ子宮の入口が押し広げられていく感じがあり、次第に重い生理痛のような鈍い痛みが定期的にやってきて、夜になるとその痛みと違和感で眠れない。
どうやら前駆陣痛というものらしく、これが結構既にしんどかった(つらいポイント①)ので、子宮口が2センチくらい開いたところでバルーンを抜いてもらい、少しだけ眠った。

1月26日、分娩の日
明け方6時に赤ちゃんの様子をチェックするために病室から分娩室に移動している途中に、ばしゃっ、と股から不随意に大量の水が出て、「こ、これが破水…!」と明らかにわかるやつがきたので、そこからそのまま分娩室で過ごすことになった。と同時に、陣痛を誘発するための飲み薬も服用しはじめる。

午前9時、赤ちゃんは少しずつ産道を降りてきているものの、先に破水してしまって本陣痛が来ていなかったので、さらに陣痛を誘発するための点滴を投与してもらったところ、この点滴により一気に痛みの最大値が引き上がり、規則的な痛みの波がギュンギュンやってくるようになる。
「こ、これがマジの陣痛…!」と、またしても明らかにわかるやつが来て、悶絶。

ちなみにこの本陣痛開始の時点では、まだ無痛の麻酔は入れない。子宮口がまだそこまで開いてない状態であまり早く麻酔をすると、陣痛が遠のいて、お産が長引くためであるらしい。そのため、子宮口がもう少し開くまで、しばし、陣痛に耐える(つらいポイント②)

さらに、陣痛誘発のための促進剤と一緒に打った抗生剤が身体に合わなかったのか、その副作用による想定外の猛烈な下痢症状に見舞われ、ひたすらトイレと分娩室を行ったり来たりする時間がしばらく続いた。これが地味にきつかった。トイレに行ったら、赤ちゃん、出てきちゃうのではないかと心配になる程の、子宮と肛門のせめぎ合いみたいな。
何やねんそれ、って感じだけど、まじで、せめぎ合っていた(つらいポイント③)

急きょ、その場で下痢止めを処方してもらい、やがてもう赤ちゃん以外出すものなくなったわ、となった頃、ようやく正午前に麻酔科医の先生が来て、麻酔ぼちぼち入れよっか、という段取りになった。

無痛分娩出産の記録・後編に続きます。

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