母になったわたしへ(無痛分娩出産の記録・後編)
無痛分娩出産の記録・前編の続きです。
じっと我慢の子であった
無痛分娩では、はじめに局所麻酔をしてから背中に太い注射針を指し、そこから麻酔液を腰のあたりに入れていく(この処置は全然痛くなかった)。
腰のあたりに液が流れ込んでいくヒンヤリとした感覚があって、まもなく、それまで規則的に訪れていた陣痛の痛みがフワッと一気に和らいだ。
私は痛みから解放され、世界はよろこびに満ちていた。ライフ、イズ、ビューティフル!
麻酔しゅごい…逃げ恥のドラマのとおりや…!とめちゃくちゃ感動していたところで、麻酔科の先生からスイッチのようなものを渡された。
先生曰く、「陣痛の痛みが強くなってきたらこのボタン押してね。背中から入れる麻酔液の量を増やせるからね」ということで、麻酔のさじ加減は妊婦本人の裁量に委ねられるスタイルなのである。
そして、なぜか私はここで生来のなるべく我慢しちゃう気質を発動させてしまう。
実際、お昼過ぎの時点では子宮口の開き方が芳しくなくて、助産師さんからは「1日に使用できる規定量最大の陣痛促進剤をすでに投与してしまっているので、これで子宮口がしっかり開かなかったら、今日のお産は諦めて、また明日促進剤入れるところからやり直しになるかも」みたいなことを言われていた。
そんな中で私は「麻酔を自分の気持ちひとつで増やしまくったら陣痛が遠のき、今日中に産めなくなるのではないか」ということを過剰に恐れ、なるべく早く分娩を終わらせたい一心で、無痛分娩を選んだにも関わらずできるだけ痛みに耐えようと、手元の麻酔追加ボタンを押すのを躊躇していた。
陣痛の波は感じるものの、痛みのレベルは最初に入れた麻酔のおかげでギリギリ耐えられるくらいの重めの生理痛くらいまでには緩和されており、数分に一回やって来るその感覚を、予習しておいたソフロロジー等の呼吸法により、数時間やり過ごしていた。
ちなみに、コロナにより夫の立ち会いは出産前後の1時間だけに制限されていたので、この子宮口が全開になるまでのあいだ、一人でずっと耐えている(ボタン押せよ)。
しかし、そうこうしていると、あっという間に陣痛サイドの痛みが格段にレベルアップしてきて、気づいたらもう呼吸法ではやり過ごせないくらいの、骨盤をトンカチでかち割られるみたいな痛みにまで増強されてしまい、痛みをセルフコントロールするのももう限界、ダメだ、これは無理だ、満を持して麻酔追加ボタンを押しちゃうぜ、とポチポチとボタンを押して麻酔を増やすものの、麻酔が効き始めるのより陣痛が強くなるスピードの方が早すぎて一向に痛みがおさまらない。
麻酔を入れるとベッドから動けなくなるので、痛みの波が来ても寝たきりの体勢のまま、ひたすら身をよじることでしかごまかせない。ペットボトルの水を飲むのもしんどくなってきて、助産師さんに来てほしい、と思ってナースコールを押すものの、なかなか担当の人が来ない。
なんか、もう、骨盤がメリメリ言ってる気がするっ、誰か来てっ。という気持ちで悶絶する夕方。(つらいポイント④+孤独)
おとなりの妊婦さん
実はこの日の早朝、隣の分娩室にもう一人の妊婦さんが入ってきており、彼女はおそらく自然無痛分娩で、どうやら自宅で陣痛がきてそのまま産院にやって来たらしい様子で、この方がとにかく、めちゃくちゃシャウトするタイプの方であった。
顔こそ見えないけど、麻酔を入れてもらうまで「ひいやあああああっ」「もうだめええええっ死ぬうううう」とずっと絶叫しており、おそらくその日いた分娩担当の助産師さんのほとんどが、こちらの妊婦さんのケアに回っていたのではないか、と推察している(この後、この人も麻酔を入れてもらったようで少し静かになったものの、基本的にお産終了までラウドであった)
となりの妊婦さんの雄叫びを壁一枚隔てて聴きながら、基本的に放置プレイの私は、ギリ耐えられないレベルにまで増強してきた陣痛を、ひたすら深呼吸と麻酔追加ボタンポチポチで、助産師さんが来るまでごくサイレントに乗り切っていた。
サイレント妊婦、ソフロロジーしてもひとり。
隣の分娩室から産声が聞こえた頃、ようやく助産師さん達が複数人戻ってきて、滝のように汗をかいて息も絶え絶えになっている私の子宮口を確認するやいなや、
「あっ、いつのまにか、もう赤ちゃん頭見えてますっ。子宮口ほぼ全開ですっ。赤ちゃん出てきちゃうので早くご主人呼んでください」
みたいなことをちょっと慌てて言った。
「お隣の赤ちゃんに誘われて出てきたのかもね〜!」とにこやかに言っていたけど、私としてはそんなことを言ってる場合ではない。
助産師さんに放置されていたこの数時間のあいだにこうして私の赤ちゃんはずんずん下界を目指して骨盤をこじ開けて、もう来るとこまで来てるんやで…!もっと私に構ってちょ…!と、サイレントに過ごしすぎたことをとても後悔した。
そこから虫の息で夫に電話をかけて、立ち会いに来てもらう流れとなった。
この時の私の電話の声が、あまりにか細く、本当に瀕死っぽい感じだったのが恐ろしかったのか、産院の近くのカフェでそわそわしながら仕事をしていた夫は、半泣きで産院に駆けつけたらしい。
約1時間後、コロナ対策の防護服に身を包んだ夫が分娩室に入ってきた。
この頃にはようやく追加の麻酔が再度効いて随分体が楽になっていて、会話ができるレベルにまで気力が戻っていた。猛烈に喉が渇いていたので、ひたすら飲み物を飲ませてもらった。(ペットボトルにつけるストロー、神アイテムである)
今にして思えば、辛かったらちゃんとナースコールした方がいいし、普通に最初から麻酔のボタンを素直に押しとけばよかったなと思った。我慢しすぎはよくないという教訓を得ました。
つらいときはつらいと言おう。声を上げよう(ぺこぱ風)。
午後6時、いつのまにか、もう赤ちゃんはそこまで来ていた。
こんにちは世界
いよいよ赤ちゃんを取り出すための最後の分娩モードに入ってからは、疲労により記憶があやふやではあるものの、麻酔のおかげでそこまでしんどくなく、早く出てきてほしい一心で、無心になっていきんだ。
下半身に痛みはなく、なにか股のあたりを助産師さんがコネコネしている感覚だけがある。
陣痛の「波」は感じられたので、その波のピークにあわせてぐっとお腹に力を入れるのを繰り返した。
「いきむの上手ですね〜!」と褒められたものの、出産以外にこのいきみスキルが役立つシーンもなさそうなので、そこまで嬉しくなかった。
30分ほど助産師さんによる股コネコネやお腹ぐいぐい(とても吐きそうになる)を施されたものの、どうやら産道の途中で赤ちゃんが降りてくるのが止まっちゃったっぽい、という旨の話をされ、ここにきて満を持してラスボス・院長が現れ、いよいよあらゆる手段を使って、何がなんでも赤ちゃんを出すぞ、という段階に突入したらしいことを理解した。
「これから私たちが赤ちゃんが出てくるためのお手伝いをするからね」と言って、院長がなにかの器材を準備しはじめ、それがどうやら事前説明で聞いていた、赤ちゃんの頭にトイレのスッポンみたいなカップをつけて引っ張り出す「吸引分娩」のための器材であるというのがわかった。
この時、もう既に股のあたりの感覚は「無」であったので、ぶじに出てくるならいかなる手段を講じてもよろしい、会陰切開でもなんでもやってくれ、という境地であった。(そして産前のマッサージむなしく、切られる会陰…。痛くはなかった)
「陣痛の波のピークがきたっ、と思ったら、ぐっといきんで!」と院長に言われて、
私は渾身の力でぐぐぐっ、
助産師さんはお腹ぐいぐいぐいっ、
院長はスッポンでギュギュギュッ(※イメージです)、
の三位一体の合わせ技により、
でゅるんっ
という感じで、なにか出てきた。
院長の入室後20分ほど、時刻にして19時8分であった。
といっても自分では赤ちゃんが出てきたのか、大を漏らしたのか分からず、周りの人の「おめでとうございます」という声で、どうやら、赤ちゃんが出てきたっぽいというのがわかった。ふぎゃふぎゃという、テレビで見たことがあるような、産声が聞こえた。
後日、夫が録画した動画で確認したところ、私の出産直後の第一声は「信じられない…」というものであった。
かろうじて視界の右の方で、真っ赤で小さな物体が助産師さんによって取り上げられているのが見えるものの、裸眼ではほとんど見えず、二言目には「メ、メガネ…」という言葉を発していた。
まあ、信じられないよね。ついさっきまでお腹のなかにいたものが、股の間から出てきて、生きてて、ふぎゃふぎゃ話してうごめいていて、なんかまるで、私、母みたい…と、当たり前のことを、当たり前じゃないことのように思った。
涙は、出ない。感動する余裕もなくて。
ちなみに吸引分娩でも出てこなかったら、緊急帝王切開になるところだったそうで、長期戦を覚悟していた私は、なんやかんや19時台(促進剤による陣痛開始後、10時間)という、深夜になりすぎないほどほどの時間に出てきてくれた我が子に、心から感謝した。
この後病院の夜ご飯も食べれるし、立ち会いに来た夫も電車が走っている間に自宅に帰れる…!というしょうもないことが、この時はやたら嬉しかった記憶がある。
重ね重ね、お腹の中でのんびりしてもらってたところ、こちら側の都合でちょっと早めに出てきてもらってすまねぇな、とも思った。
院長にすぽんと吸われた赤ちゃんの頭は、やわらかな後頭部がちょっと尖っていて、小さなエイリアンのような姿だった。
4Dエコーで見ていた通り、顔の下半分のパーツは私に似ていて、上から半分は夫に似ていた。
あれよあれよという間に、生まれたてほやほやの赤子・防護服を着た夫・ズタボロの私の三名によるスリーショット撮影、胎盤摘出、会陰縫合、清拭、などを経て、赤ちゃんは諸々の処置のために別室に移され、私は夫と二人、分娩室で夜ご飯を食べた。
その日の病院の夜ご飯は、握り寿司とメロンだった。
無痛分娩による麻酔のため、前日夜から絶食をキメていた私にとっては約1日ぶりの食事。
正直寿司もメロンも普段はそんなに好んで食べないけど、この日ばかりは、ほんとうにめちゃくちゃ美味しくて、こんなに美味しい寿司とメロンがあるかよ?という気持ちで、もりもり食べた。
(この経験により、産後、割と魚が食べられるようになり、カットフルーツ食べたいな、と思うことが増えた)
食後、麻酔のおかげでピンピンしていると思い込んでハイになっていた私は、出血多量で安静にしていなければならないにも関わらず、なぜか「いける」と思って自力で病室に戻ろうとしてしまい、立ち上がって歩き出した瞬間にはげしい目まいに襲われ廊下で倒れそうになった。その後、その姿を発見した助産師さんに割としっかり怒られた。
この時は、やっていいことと悪いことの区別もつかないというか、とにかく、ハイになっていた。
夜食のおにぎり
午後9時過ぎに、自分にあてがわれた病室に戻って、助産師さんが一通りの入院生活のオリエンテーションを済ませて出ていくと、一気に静寂が訪れた。
出産当日の夜は母体を休めるようにということで、赤ちゃんはナースステーションに預けられ、別室で過ごすことになっていた。
少しずつ麻酔が切れてきている感じがわかり、股のあいだの引きつれたような違和感が辛くて、処方された痛み止めと抗生剤を飲んだ。
まだまだ今日は、眠れそうになかった。LINEでもDMでも、とにかく誰かにこの高ぶった気持ちを伝えたい。そんな一心でいろんな人にメッセージを送った。
病室のベッドの上に、夜食のためのおにぎりが2つと、クッキーが置かれていた。
さきほど握り寿司とメロンをむさぼり食べたばかりだけど、まだまだお腹はすいている。
ありがたいサービスだ、食べちゃお。と思って、
おにぎりを頬張った瞬間、ふいに目頭が熱くなった。
産んだあと、赤ちゃんを抱いた時にも、夫によくがんばったねと労われた時にも、親にLINEで電話したときにも出なかった涙が、とつぜん、夜食の鮭おにぎりを頬張った瞬間あふれてきた。
「千と千尋の神隠し」で、千尋がハクにおにぎりをもらってぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら頬張るシーン、あそこで私はいつもうるっとしてしまうのだけど、あのシーンの千尋と、自分の姿が重なった。
おにぎりという食べものには、張り詰めていた緊張の糸をほどくような、何か特別なスイッチがあるのだろうか。よく分からない。
涙はそれからどんどんどんどん出てきて止まらなかった。
出産の終わりと、新しく生まれてきた命を育てていく母親としての人生の始まりの狭間で、疲労と、痛みと、静かな感動がごちゃまぜになり、目まぐるしい感情の渦になって一気に押し寄せてきて、私はおにぎりを咀嚼しながらさめざめとひとりで泣いた。
おにぎりもクッキーもぺろりと平らげたら、どこからか猛烈な眠気がやってきて、それから魂がシャットダウンしたみたいに、5時間ほど深く眠った。
(出産編 おわり)
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次回、「産んでそれから」編は、GWの帰省中あたりに書いてアップしたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた。
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