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DXはオワコンなのか?

ブームの終焉をもたらしたDXの「分かりにくさ」

DXはオワコンなのでしょうか。ChatGPTの盛り上がりに押されて存在感が薄くなったまま、消えゆく運命にあるのでしょうか。


書店で数年前までかなりの面積を占めていたDX関連書籍は、いまやその割合を大きく減らしています。Googleトレンドでも、デジタルトランスフォーメーションのウェブ検索は2022年半ばがピークに見えます。2018-2019年くらいに盛り上がってきたことを考えると、ブームとしては頑張った方かもしれません。

結局、よく分からない。DXとは何か。

何をしたらいいのかも漠然としているし、どこに向かうのかも書いてない。

コンサルやITベンダーがビジネスのために作り出した虚像なんじゃないかという疑惑もぬぐえない。


その点ChatGPTについては手放しで素晴らしいと思われるでしょう。誰でも普通に文章で使えるし、それなりの品質の回答が瞬時に得られる。生産性爆上がりです。

あと、XといえばSX (サステナビリティトランスフォーメーション) についても疑義を唱える方は少なそうです。地球環境のためにビジネスを変革するのは、もはや単なる社会貢献ではなくて、ビジネスの本来像になりつつあります。各社必須の活動ですよね。


こういう活動に比べると、DXという言葉からは、どうにも焦点が定まらない印象を受けるのではないでしょうか。IT導入の言い換えなのか何なのか分からないし、DXを推進する人たちは、変革を煽っておいて、いざ取り組もうとすると何がやりたいのか逆に聞いてきます。


企業で働く個人としても、DXに関わるとキャリアが一気に不透明になる感覚があるかもしれません。組織としても不安定だし、スキルセットも会社の本流から遠い。転職組がはしゃいでいて、プロパーの人たちからは距離を置かれている印象があります。そんな中に飛び込んでまで得られる何かがあるとはちょっと思えない。


……こんな印象だと思います。DXって何年も話題だったけど、結局のところ何なのか分からないと感じる方は多いのではないでしょうか。

だから、ブームが終わるのは自然だと思います。


DXを疑問視する背景にあるのは、情報技術に対する認識のずれ

ただ、筆者はDXが必要という確信があります。では結局、何が問題だったのでしょうか。それは、いま世の中で何が起こっているか、その環境認識のずれだと思っています。


会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために』を著した石井光太郎は、Corporate Directionsのサイトでこう書いています。

技術(technology)といえば、経済学的には生産関数において生産性を決定づける因子であり、経済学者J.A.シュムペーターが経済発展の原動力たるイノベーションの重要な誘因としてきた通り、まさに競争相手に勝利し利益を生み出すoriginalityの源泉として、経営者が主体的にmanagementする要素であり続けてきました。
しかし、現代の急速に革新・進化する科学・技術は、その主客関係を逆転させ、むしろ経営は技術環境の急流の中を受動的に泳ぐことを強制されている、と言った方がもはや実感に近いかもしれません。

Corporate Directions, Inc.『CDIグループのテーマ』

ここで言及されている「技術」はITに限りませんが、世界の時価総額ランキングの変遷を見れば、近年でもっともビジネスに影響を与えた技術が情報系であることは明らかでしょう。


つまり、経営においてコントロール可能なツールだったITが、もはや否応なしに、ときに暴力的に影響を与え続けてくる環境になった。それを知覚している人にとっては、ITありきのビジネスに生まれ変わる、つまりDXの必要性は自明です。


しかしITはどこまで進歩しても道具だと思っている人には、AIやIoTを売り込むためのキャッチコピーにしか思えない。この違いが、DXに対する態度を二極化させているのだと思っています。

ITが溶け込んだ快適な生活に劣後するビジネスは淘汰される?

ビジネスの環境認識とは何か、少し補足しましょう。


例えば高度経済成長期は、作れば売れる時代でした。言い換えるなら、需要に対して供給が不足していました。しかし供給能力が上がり社会が豊かになると、こんどは需要を作る必要があります。この環境変化を読み取った企業がマーケティング手法を変更しました。

このような環境の変化は、これまでも数多くありました。円高になったので海外に拠点を移したり、団塊世代が退職するので技能継承に力を入れたり。


では現在の環境変化を生む一番の要因が何かといえば、筆者はインターネットだと思っています。


Amazonが大型書店と異なる点は何か。全国に拠点を持つ書店であれば、かなり高度なITが導入されているでしょう。ではその高度化の延長線上にAmazonがあるのか。

ホテルチェーンとAirbnbの違い、あるいはタクシー会社とUberの違いもそうです。それらの中でも最も典型的なのは、Wikipediaではないでしょうか。何十冊もの分厚い百科事典が、コンピュータに収まればWikipediaになれるでしょうか? 実際にそういった製品も存在しましたが、消えてしまいました。


これがIT化とDXの違いです。つまり、ITがツールから環境になったのは、インターネットが私たちの生活に溶け込んだからなのです。


ひとつひとつの要素を見れば、それぞれは昔のITが発展したものに過ぎません。だから、微視的に見ている限りにおいて、環境の変化を感じることはできません(すべからく環境とはそういうものでしょう)。


生活者としての私たちは、確かにインターネットと不可分に暮らしています。しかし一方で、仕事の仕方はどうでしょう? ビジネスの仕組みは? それらがもし、30年前のインターネットがなかった時代と比べてあまり変わっていないなら、恐るべきことです。


というのも、新しい世代が新しいビジネスを立ち上げる際には、そんなやり方を採用せず、もっと遥かに効率的でダイナミックな会社を作るからです。もしそんなことが可能なら、いまの会社は明らかに劣後してしまいます。これがDXの必要性の本質なのです。


DXとは制御不可能な環境のなかでビジネスのあり方を問う活動

さて最初の問いに戻りましょう。DXはオワコンなのでしょうか。

機械学習とか、IoTとか、そういう個々の技術に関しては流行り廃りがあります。ですので、例えばDXを既存システムのクラウド化だと考えている人にとって、DXはそろそろ終わりでしょう。大規模言語モデルによる業務効率化を想像している人なら、ブームの終焉はもう少し先だと思います。


ですが、DXというのはそういう小さな話ではありません。ITがツールから環境となったなかで、どうやって今のビジネスを立て直し、変化を生き延び、将来に発展できるかという話です。DXが分かりにくいのは、漠然としているからです。それは当たり前で、目に見えない環境変化、しかも現在進行形で世界同時進行の、お手本のない状況だからです。


日本企業お得意のタイムマシン経営*がうまくはまらないとしたら、その対策を自分たちで考えるしかありません。そういった、分かりやすく飛びつけるソリューションが枯渇したことをもってブームの終焉と見るなら、そんなショボい世界観でいいはずがないのではないでしょうか。


という訳で、DXは今後も継続するというのが筆者の見解です。この見立ては、未来予測というよりはDXの定義や現状認識からきているのがご理解頂けたでしょうか。

次回以降は、デジタルとは何か、必要な人材とは何なのかなどに触れていきたいと思います。


* 日本は欧米より遅れているので、先進的な海外企業の成功事例の真似をすると日本で間に合うという経営手法


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