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和紙漉き 8  和紙の雑記帳 I

1.ハスの紙(蓮紙)


  昔、和紙仲間が蓮の和紙を作るというので、一緒について行った。
  蓮の刈り取りをやって、茎を使って紙にする。
  東京、町田市に大賀藕絲館(おおがぐうしかん)という障碍者福祉施設
  があって、大賀蓮を育てている。町田市では、1979年ごろの市長が大賀
  蓮に興味を持ち育成した。薬師池は大賀蓮の鑑賞ができる公園だが、
  大賀藕絲館では蓮を刈り取って、糸をつむいだり、蓮の実などを使い、
  この施設で、いろいろなものを作って作業をしている。
  ちょうど、蓮の刈り取りを手伝い、茎をいただいた。茎はそのまま煮熟
  して、どろどろにして、粘剤を混ぜて、紙に漉いたと記憶している。
  楮の和紙のような特性はでなかったかとおもうが、紙素材として面白味
  はある。歴史を超えて大賀蓮に触れるということは、感動だ。

町田市大賀藕絲館ハス田
ハスの茎の束
作業

いただいたハスの茎を煮る
茎を煮熟した後
漉いたハスの繊維の顕微鏡写真

2.世界の紙の産地と発展

 あまり、小生は詳しくはないが、記述しておこう。

 ① タイ、中国

  日本の国産楮は価格が高いので一般的に輸入楮が使われている。
  多いのは、タイ楮で、よく使う。中国の楮も輸入されている。
  確か中米のほうの楮もあったようだ。
  東南アジアの気候で栽培されるので成長も早いようだ。
  紙材料にすると、繊維は少し長いようだ。
  あきる野の和紙仲間のKさんは、タイの奥地まで行って、紙の世界
  を調査に行った。学術論文でまとめていた。王子の紙博物館で発行
  している会員向けの機関誌”百万塔”に寄稿していた。
  あきる野で東京和紙として、和紙仲間で活動している。和紙の人生、
       たいしたものだと思う。
  和紙にこだわった職人、アーティストが周りにいるが、まだまだ、
  先は明るいと思う。女性が多いが、、、

 ② ネパール、インド、

  小生は世界の和紙産業についてはあまりくわしくないが、知っているこ
  とを、記そう。
  ネパールの紙づくりは、昔から有名で日本人もよく訪れているようだ。
  紙仲間の友人でチェコのアート写真家で第一人者のBRUNTON氏から、 
  昔、北インドに行くと連絡してきた。ロクタ紙の材料を仕入れたいとの
  ことだった。私自身、知らなかったが、調べるとインド、ネパール
  やブータンなどの紙づくりの歴史は長い。
  ロクタとは紙の原料となるこの地方の樹木で樹皮を使い、いい紙がで
  きるようだ。彼は結局は、仕入れなかった。彼は若いころ、ネパールを
  訪ね、中国へ行き、そして日本の和紙の世界にたどり着いた。
  SNSでいろいろ検索すると、ネパールなどの紙つくりのビデオも出てく
  る。紙を輸入している方もいるようだ。
 
  つい先日、インドの手作り紙つくりの話を、以下のYouTubeで見た。
  古布と古紙をまぜて、紙材料を作っている。環境に配慮して生産してい
  た。日本以外では、そのほとんどが、溜め漉きといって、簀桁に組み上
  げた材料を、前後左右に揺らさない。漉いた紙はあとで剥がしやすいよ
  うに、薄い布を間に敷いて重ねていく。
  さすが大きな国のインドで、ロクタ紙ではないが、手作り紙生産といっ
  ても、作業する人も多く、規模が大きい。いろいろなデザインの紙が作
  られていた。
   https://www.youtube.com/watch?v=KvVZF4jbKH4
  

 ③ ヨーロッパへの紙漉き技術の展開

  中国ではじまった紙漉き技術は、シルクロードを通じて、ヨーロッパへ  
  伝わった。ピエール=マルク•ドゥ•ビアシ著「紙の歴史」創元社に詳し
  いので、参考にさせていただこう。写真や絵図が多くとてもよくまとめ
  られた本でおすすめだ。著者に感謝だ。

  ウズベキスタンはシルクロードの重要な中継地点だ。
  ここで今でも紙漉き生産がおこなわれている。サマルカンド紙と呼ばれ  
  中国の技術者が常駐していた。中国はシルクロードを通して紙を輸出し
  ていたのだ。751年イスラム軍のアラブ人がサマルカンドを占領した。
  この時、そこにいた中国人の紙職人を捕虜にして連れ去った。
  バグダッドに製紙所ができ麻と亜麻を原料とするサマルカンド紙がイス
  ラムの発展と同じく席巻して行った。中東のイエメンなど各所に製紙所
  ができて、紙の道はコンスタンチノープルを経由して北西ルートへ、
  南西はエジプトへ伝わって行った。エジプトではパピルスという、川の
  水草を利用していた。パピルスは片面にしか書けなかった。
  羊皮紙は両面に書けた。紙はパレスチナ、シチリアへ伝わって行った。
  発展したのは1000年ごろのコーランの製作だった。
  この本によると18世紀まで、コーランの印刷は許されなかった。
  書写で制作していたのだ。印刷のような複写は偶像崇拝とされたのだ。
  手書きのカリグラフィーが発展したわけだ。

  ウズベキスタンは、なんといっても、青の世界であり壮大な青タイルの
  イスラム寺院は有名だ。

有名な青のタイルのモスク(Wikpediaより)

  日本のNGOの援助の一環で、石州和紙の和紙職人が派遣され、
  漉きの技術や道具を寄付した。(2003年)

  昔、仕事上での知り合いが、独立して後、ウズベキスタンの
  首都タシケントに政府援助の一環で、1,2年間派遣されていた。
  誘われたが、仕事がいそがしく余裕がなかった。リタイヤ後、一番行き
  たい国だが、月の光で照らされる青のモスクの写真や踊りを撮りたい。
  もう、無理かな、、、

  紙の技術はシルクロードを西へ進み、南西ルートはエジプトに到達す
  る。エジプトでは有名なパピルスや羊皮紙があった。羊皮紙はにおいが
  強かった。
  紙漉き技術は、北アフリカを西へ伝わって行き、スペインからヨーロッ
  パへ上陸する。
  フランス、イタリア、そしてドイツへ、さらに隣のチェコへ伝わって行
  った。それまでのヨーロッパでは古布すなわち麻や亜麻が材料だった。
  シチリアやイタリアが発展する。そしてドイツへ入っていく。
  原料は主に古布を集め再利用した。肌着などへも亜麻などが使われるよ
  うになって、古布が増えたようだ。
  13世紀にヨーロッパに現れた紙は、15世紀に入って突然、激変する。
  活版印刷技術の出現だ。1450年ごろ、印刷技術が現れ、その代表者は
  グーテンベルクだ。活版で紙に圧力をかけて、効率よく印刷する手法が
  発明された。まずは聖書の印刷であった。
  美術紙も普及し、かのレオナルドダヴィンチも素描に使った。
  こんな古くから、現在私が遊んでいる墨流し、いわゆるマーベリング手
  法で液面のカラーインク模様を紙に転写していた。
  今も手法は何も変わらない。
  紙幣も出るようになった。
  印刷術の発明後の300年で世界は激変した。さらにそのあと産業革命も
  始まって、世界の産業経済が巨大に変化していった。
  私の近しいチェコも紙の技術はドイツ同様に古くから根付いていて発展
  してきた。
  16世紀に創業した製紙工場が今もある。日本語翻訳すると、理解でき
  る。


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