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【おしえて!キャプテン】#8 大注目のマーベルヒーロー シャン・チーのルーツを探る!【後編】

アメコミを深掘りする連載コラム。今回は、前回に引き続き絶賛発売中の新刊『シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ』の解説から溢れてしまった「シャン・チーの父親について」をお送りします。アメコミ『シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ』、そして本日公開の映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』と併せてお楽しみください!

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▲発売中の新刊『シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ』。兄妹達を守るため、最強のヒーローが立ち上がる!

シャン・チーの父親は誰なのか

マーベル・コミックスにおけるフー・マンチューの扱いは、もう一つ別の事情で複雑化した。フー・マンチューはそもそもサックス・ローマー財団が権利を持つ著作物である。そのためマーベルは、漫画化権を失ってからはフー・マンチューおよび関連キャラクターの名前が使えなくなったと言われている(ただし公式のデジタルコミックなどで、旧作は公開されている)。しかしシャン・チーはマーベルが持つ創作物であるため、フー・マンチューの名前を出さずに活躍を続けていくことになった。

2000年の『マーベル・ナイツ』誌には「シャン・チーの父親」としてフー・マンチューそっくりの人物が登場するが、その名前が言及されることはなかった。
2003年の『シャン・チー:マスター・オブ・カンフー』誌にも同じ人物が登場しているが名前が出ていない。
2005年の『ブラックパンサー』誌#11はブラックパンサーことティチャラが配偶者を探す展開だったが、「シャン・チーの父親」なる人物が娘をティチャラに花嫁として差し出そうとする。この時、「フ……」と名前を呼ばれかけた彼は、その呼び名を拒否して「ハン」という名前を使うように言った(ちょうど、小社刊の『ブラックパンサー:暁の黒豹』の次の展開に当たる)。
しかしこの呼び名も定着せず、最終的には2011年の『シークレット・アベンジャーズ』でゼン・ズーが本名と設定された。『シャン・チー:ブラザース&シスターズ』でも、この設定が踏襲されている。

なお、映画版では父親の名前はウェンウーとなり、ビジュアルも大きく変わった。ウェンウーがテン・リングスを持っているのは映画独自のアレンジである。

現代と、未来におけるシャン・チー

さまざまな過去を背負ったシャン・チーを現代化する役目を、コミックにおいて担うことになったのが、アジア系アメリカ人作家ジーン・ルエン・ヤンである。2006年に発表されたヤンの出世作『アメリカン・ボーン・チャイニーズ』(日本語版は2020年に花伝社より刊行)は、アジア系アメリカ人の少年が、自分の出自と周りの関係に悩む心情を、神話やカリカチュアの交錯を通じて描いた傑作として高い評価を得た。DCコミックスの作品の中では、スーパーマンのキャラクターとしての発展と移民としての属性、そして差別との戦いをさまざまなレイヤーで描いた『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』(小社刊)で2021年にアイズナー賞を受賞している。

2020年のヤンへのインタビューによれば、シャン・チーが出自に悩みながら現代アメリカ社会で生きる姿は、アジアン・アメリカンとしてのアイデンティティに呼応するものがあったという。ヤン本人は元々ヒーローコミックのファンだったが、大学生になって自分の出自を受け入れられるようになるまで、アジア系キャラクターの多くは気恥ずかさを感じるものだったようだ。バットガール(カサンドラ・ケイン)の登場が心情の変化のきっかけになり、コミックの中におけるアジア系キャラクターを追求を始めたという。

一方で、フー・マンチューはアジア人に対する人種差別とステレオタイプのまさに象徴と言えるキャラクターであり、さらにその息子が(その業績はともかくとして)やはりアジア人のステレオタイプであるブルース・リーに影響を受けたキャラクターであるというのは、大きな問題と思えたとのことだ。フー・マンチューのキャラクターとしての問題が指摘されたのは、すでに記載した通り最近に始まったことではない。

ちなみに、シャン・チーのアメリカ白人の母親(40年以上で2回しか登場しておらず、名前すら設定されていない!)については、テーマが複雑になるため、少なくとも今回の『シャン・チー:ブラザース&シスターズ』では触れないとかなりの議論の末に決めたということである。

ヤンが思うに、フー・マンチューの物語とは一種の幽霊物語であり、アジア人の怨念に対するイギリス人の恐怖や罪の意識、そして後ろめたさに呼応した結果人気が出たのではという。実際に『怪人フー・マンチュー』を読むと、中国に仇をなすイギリスの上流階級が変死を遂げていき、フー・マンチューは神出鬼没の暗躍を続け、最後は炎の中に消えていき死体は見つからない。物語のカタルシスは主人公のイギリス白人が逃げ延びるところにあるというものであった。フー・マンチューは、実質的に「怨霊」として機能しているのだ。一方で、マーベルが作ったシャン・チーは父親に敵対し西洋の味方をすることを選ぶ。ヤンの解釈によれば、後ろめたさに対する西洋の守護者となったことが、シャン・チーの人気の秘訣だったのではないかと考えているようだ。


シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ(ドラッグされました)

▲『シャン・チー:ブラザース&シスターズ』で、幼い頃のシャン・チーを苦しめるゼン・ズー(翻訳:吉川 悠)

「過去の怨霊としてのフー・マンチュー」は本作『シャン・チー:ブラザース&シスターズ』の重要なモチーフとなっている。シャン・チーの現在を悩ませるのは、異常な閉鎖環境で究極の毒親のもとで育った過去であり、ゼン・ズーの亡霊はそれを象徴している。しかしそれを乗り越えるヒントをくれるのも、やはり過去の亡霊であるゼン・イー(ゼン・ズーの弟、シャン・チーの叔父)である。メタ・フィクションの文脈で言えば、シャン・チーの父親が黄禍論の象徴であるフー・マンチューであったことは(名前がどうあろうが)、消せない過去なのだ。家族と出自を受け入れて過去の呪縛に背を向け、未来を見据えようとする作中のシャン・チーの姿は、現代におけるキャラクターの立場をそのまま象徴していると言える。

本日登場した本


◆筆者プロフィール
吉川 悠
翻訳家、ライター。アメコミ関連の記事執筆を行いながらコミック及びアナログゲーム翻訳を手がける。最近の訳書に『ブラック・ウィドウ:イッツィ・ビッツィ・スパイダー』『ヴェノム・インク』『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』(いずれも小社刊)など。Twitterでは「キャプテンY」の名義で活動中(ID:@Captain_Y1)。