声優 斉藤壮馬さん、TikTokクリエイターけんご@小説紹介さん推薦! 『今日、僕らの命が終わるまで』第1章を無料公開!③
ルーファス
一時五九分
里親夫婦が下で待っている。話を聞いてすぐ、ふたりはここに駆けつけようとしたけど、俺にはもう少し時間が必要だとわかっているマルコムがボディーガード役を果たしてくれた。サイクリング用の服に着がえる。スポーツタイツをはいて、スパイダーマンみたいに股間が目立たないように、その上にブルーのバスケットショーツをはき、お気に入りのグレーのフリースを着た。この格好にしたのは、エンド・デーに街をあちこち巡るのに自転車以外の移動方法が思いつかなかったからだ。安全が第一だからヘルメットも忘れない。最後にもう一度部屋を見る。三人でキャッチボールをした思い出がよみがえっても、ここで泣き崩れたりはしない。部屋の電気はつけたまま、ドアは開けたままにして部屋を出る。そのほうが、マルコムとタゴエが部屋に戻るとき、妙な気分にならずにすむだろう。
マルコムがかすかに微笑む。冷静なふりをしていても、動揺しているのが見え見えだ。ほかのみんなも同じで、逆の立場なら俺だって動揺したはずだ。
「おまえ、マジでフランシスを起こしたのか?」
「ああ」
ひょっとすると、俺は里親の手で殺されるのかもしれない。彼を起こしていいのは目覚まし時計だけだ。
マルコムのあとについて階段をおりていくと、タゴエとジェン・ロリ、フランシスがいた。みんな無言のままでいる。俺は真っ先に、エイミーから連絡がないか尋ねそうになった。おばさんに引き止められているとか、何か言ってきていないか知りたい。けど、いまそれを訊くのは場違いだ。
俺に会いたい気持ちが変わっていないことを、心から祈る。
たぶんだいじょうぶだろう。とにかくいまは、ここにいる人たちのことだけを考えよう。
フランシスはすっかり目覚めていて、お気に入りというよりも、それ一枚しか持っていないバスローブを着た姿は、悪事の富を築いた犯罪組織の親玉みたいだ。なけなしの収入を俺たちにつぎこんでいる技師にはとても見えない。いい人なのにすごく荒っぽい印象なのは、まだら状になった髪のせいだ。数ドルの散発代を節約するために、自分で切っているからそうなる。なんでそんなばかなことをするのか信じられない。ここにはタゴエという、ヘアカットの達人がいるのに。嘘じゃない、タゴエのフェードカットはこの街でも最高の腕前だ。あいつは脚本家になる夢なんかあきらめて、いつか自分の理髪店を開いたほうがいい。だけどやっぱり、フランシスは色が白すぎてフェードカットは似合わないな。
ジェン・ロリが古いカレッジTシャツの襟で涙をぬぐい、それからまたメガネをかける。タゴエが好きなスラッシャー映画を一緒に見るときみたいに椅子の端っこに浅く腰かけ、映画のときと同じようにさっと立ち上がる。ただ、それは不気味な人体の自然発火現象が起きたせいじゃない。ジェンは俺を抱きしめ、肩に顔をうずめて泣く。通告を受けてから誰かにハグされるのは、これが初めてだ。このまま手を離してほしくない。だけど俺は前に進まなきゃいけない。ハグしたあとも、ジェンは床を見つめる俺に寄り添っている。
「食わせなきゃならない口がひとつ減るってことだろ?」
誰も笑わない。俺は肩をすくめる。こういうとき、どうすればいいのかわからない。自分が死ぬときにまわりの人間を元気づける方法なんて誰も教えてはくれない。死ぬのが健康な一七歳の少年なら、なおさらだ。ここにいる俺たちはみんな、深刻な事態はもう十分に経験ずみだ。だから、俺はみんなに笑ってほしい。
「じゃんけんしようぜ。ほら、じゃん、けん、ぽん!」
俺は広げた手のひらにこぶしを打ちつけ、誰にともなくチョキを出す。もう一度、こんどはグーを出しても、対戦相手はまだいない。「ほらみんな、やろうぜ」と声をかけ、三度目でようやく、俺のチョキに対してマルコムがパーを出す。そこからまた少し時間はかかったけど、勝ち抜き戦が始まった。フランシスとジェン・ロリに勝つのはかんたんだ。勝ち進んでタゴエと当たり、グーがチョキに勝つ。
「やり直し」とマルコムが言う。「タゴエが後出しでパーからグーに変えた」
「おまえなあ、よりによってこういう日に、なんで俺がルーフをだますんだよ?」
「おまえはイヤなやつだからさ」
俺は、じゃれ合うようにタゴエを小突く。
そのとき呼び鈴が鳴った。
玄関に飛んでいき、ドキドキしながらドアを開く。あらわれたエイミーの顔は、頬にある大きな痣が見えなくなるくらい真っ赤だった。
「あたしをばかにしてんの?」
俺は首を横に振る。
「スマホの着信履歴を見せるよ」
「あんたのエンド・デーのことじゃなく、これ!」
そう言うとエイミーは横に一歩ずれ、階段の下を――ペックと、無残に傷だらけになった彼の顔を――指さす。一生見たくないと言ったはずの、あいつの顔。
マテオ
二時〇二分
世界中で〈ラストフレンド〉のアクティブアカウントがいくつあるか知らないけど、いまこの時点で、ニューヨークだけで四二人がネットワーク上にいる。ユーザーの一覧をながめていると、高校の講堂で初日の授業を受けているみたいな気分になる。すごく緊張して、何から始めたらいいかわからない。そうこうするうちに、一通のメッセージが届いた。
受信トレイに入った明るいブルーの封筒が、点滅しながら開封されるのを待っている。件名はなく、基本情報だけが表示される。〈ウェンディ・メイ・グリーン。一九歳。女性。ニューヨーク市マンハッタン(距離:二マイル)〉。プロフィールをタップする。彼女はデッカーじゃないふつうの女の子で、遅くまで起きて、なぐさめる相手を探していた。プロフィールには「スコーピウス・ホーソーンのすべてにハマってる本好き」とあるから、たぶん僕との共通点を見つけて連絡してきたんだろう。彼女は散歩も好きで、「特に五月下旬の、天気のいい日はサイコー!」と書いてある。だけど、五月にはもう僕はいないよ、ウェンディ・メイ。彼女はいつからこのプロフィールを使っているんだろう。そんなふうに未来の話をされたら傷つくデッカーもいるし、自分には人生の残り時間がたっぷりあると見せつけるのは良くないと、彼女に注意する人はいなかったんだろうか。プロフィールは飛ばして写真をタップする。色白、茶色の目、茶色の髪、ノーズピアス、満面の笑み――なかなかいい子っぽい。彼女からのメッセージを開く。
ウェンディ・メイ・G(二時〇二分):ハーイ、マテオ。本のシュミがすごくいいね。もしかして、死神の目をくらます魔法が使えたらって思ってない??
悪気がないのはわかるけど、彼女のプロフィールといい、このメッセージといい、なんだか釘でも打ちつけられているみたいにグサッとくる。僕としては、そっと背中を叩いてなぐさめてほしいのに。だからといって失礼な態度はとりたくない。
マテオ・T(二時〇三分):やあ、ウェンディ・メイ。ありがとう、きみも本の趣味がすごくいいと思うよ。
ウェンディ・メイ・G(二時〇三分):スコーピウス・ホーソーン、すっごい好き!……ところで、元気?
マテオ・T(二時〇三分):あまり元気じゃない。部屋から出なきゃいけないのはわかってるんだけど、出る気になれなくて……。
ウェンディ・メイ・G(二時〇三分):あの電話ってどんな感じ? 怖かった?
マテオ・T(二時〇四分):ちょっぴりびびった――ほんとはがっつりびびった。
ウェンディ・メイ・G(二時〇四分):(爆笑)あんた、おもしろいね! それにカワイイし。パパとママもパニクってるんじゃない?
マテオ・T(二時〇五分):悪いけど、そろそろ行かないと。じゃあおやすみ、ウェンディ・メイ。
ウェンディ・メイ・G(二時〇五分):なんか悪いこと言った? あんたたち死ぬ人たちって、なんでいつも途中で話をやめるわけ?
マテオ・T(二時〇五分):別にたいしたことじゃない。ただ、僕の両親はパニックできないんだ。母さんはもういないし、父さんは昏睡状態だから。
ウェンディ・メイ・G(二時〇五分):そんなの、あたしが知るわけないでしょ?
マテオ・T(二時〇五分):僕のプロフィールに書いてある。
ウェンディ・メイ・G(二時〇五分):まあ、別にいいけど。じゃあ、家にはほかに誰もいないの? こんど彼氏と初めてするから、その前に練習しておきたいんだけど、相手してもらえないかな。
相手が次のメッセージを打ちこんでいるあいだに僕は退出し、ついでに彼女をブロックする。不安な気持ちはわからないでもないけど、もし彼女が本当に恋人を裏切るようなことになれば、ふたりにとって良くないと思う。それに、僕にはそんな役目は果たせない。ほかにもいくつかメッセージが届いていて、こんどは件名もついていた。
件名:420?
ケヴィン・アンド・ケリー。二一歳。男性。
ニューヨーク市ブロンクス(距離:四マイル)。
デッカーですか? いいえ。
件名:お悔やみ申し上げます、マテオ(すてきな名前だね)
フィリー・ブイザー。二四歳。男性。
ニューヨーク市マンハッタン(距離:三マイル)。
デッカーですか? いいえ。
件名:ソファー売らない? コンディションは良好?
J・マーク。二六歳。男性。
ニューヨーク市マンハッタン(距離:一マイル)。
デッカーですか? いいえ。
件名:死ぬなんて、最悪だよね?
エル・R。二〇歳。女性。
ニューヨーク市マンハッタン(距離:三マイル)。
デッカーですか? はい。
ケヴィン・アンド・ケリーのメッセージは無視。420(マリファナ)には興味がない。J・マークのメッセージも削除。父さんが週末に昼寝するのにまた必要になるだろうから、ソファーは売らない。フィリーのメッセージには返信するつもりだ――彼がいちばん良さそうだから。
フィリー・B(二時〇六分):やあ、マテオ。調子はどう?
マテオ・T(二時〇八分):やあ、フィリー。どうにかもちこたえているなんて言ったらダサすぎる?
フィリー・B(二時〇八分):そんなことない、つらい状況だと思うよ。僕だって、デス=キャストから電話が来る日を楽しみに待ってるわけじゃないし。ところで、きみは病気か何か? 死ぬにはずいぶん若いよね。
マテオ・T(二時〇九分):僕は健康だよ。どんなふうに死ぬんだろうと思うとすごく怖い。だけど外に出ていかないと、そんな自分に失望しそうで不安なんだ。それに、ここで死んで部屋を悪臭だらけにしたくないし。
フィリー・B(二時〇九分):それなら僕が手を貸すよ、マテオ。
マテオ・T(二時〇九分):手を貸すって?
フィリー・B(二時〇九分):きみが死なないようにしてあげる。
マテオ・T(二時〇九分):そんなの誰にもできっこない。
フィリー・B(二時一〇分):僕にはできる。きみはいいやつみたいだから、死ぬのはもったいない。僕の部屋においでよ。これは内緒だけど、僕は死を遠ざける魔法の道具を持ってるんだ――パンツのなかに。
僕はフィリーをブロックし、エルのメッセージを開く。三度目の正直だ。
ルーファス
二時二一分
エイミーが詰め寄り、俺を冷蔵庫に押しつける。彼女の脅しはハンパじゃない。なにしろ彼女の両親は、ふたりそろってコンビニに強盗に入り、オーナーと二〇歳になるその息子を襲撃したつわものなのだ。ただ、こうして俺を小突き回しても、エイミーが両親と同じように刑務所に入れられることはないだろう。
「彼を見なよ、ルーファス。いったいどういうつもり?」
キッチンカウンターに寄りかかっているペックから、俺は顔をそむける。どれだけのダメージを与えたかは、やつが部屋に入ってきたときにもう見ている――片方の目は開かず、唇は切れ、腫れ上がった額に乾いた血が点々とついていた。ジェン・ロリがやつの横で、額に氷を当ててやっている。俺はジェン・ロリの顔も見られない。いくらエンド・デーでも、俺にはすっかり失望しているだろう。タゴエとマルコムは俺の両側にいて、同じように黙りこんでいる。とっくに寝ているはずの時間に、俺と一緒にペックを襲いに出かけたことで、ジェン・ロリとフランシスからすでに大目玉を食らったからだ。
「さっきの威勢の良さはどうした?」
「黙ってて!」
ペックが俺を挑発すると、エイミーはくるりと振り向いて自分のスマホをカウンターに叩きつけ、みんなをぎょっとさせた。
「誰もついてこないで」と、エイミーがキッチンのドアを押し開ける。フランシスは状況を把握しようと階段のそばをうろうろしながらも、デッカーに恥ずかしい思いをさせたり罰したりする必要はないと思ってか、口を出さずにいる。
エイミーが俺の手首をつかみ、リビングに引き入れる。
「で、どういうこと? デス゠キャストから電話が来たから、自分はもう誰にでも自由に殴りかかっていいってわけ?」
通告を受ける前から殴っていたことを、あいつはエイミーに言わなかったんだろう。
「俺は……」
「なに?」
「いまさら嘘を言ってもしょうがない。俺は最初からあいつを襲うつもりだった」
エイミーが一歩あとずさる。次は自分が襲われるかもしれないと言わんばかりのその反応に、俺は打ちのめされる。
「聞いてくれ、エイミー。俺はもう頭がどうにかなりそうだった。デス゠キャストに爆弾を落とされる前から、もう未来なんかないような気がしてたんだ。学校の成績はさんざんだし、もうすぐ一八になるし、おまえを失ったし、もうどうすればいいかわからずに荒れてた。俺なんか正真正銘のクズだと思ってたら、同じことをペックにも言われたよ」
「クズなんかじゃないよ」
エイミーは少し震えながら俺のそばに来た。もう怯えてはいない。彼女は俺の手を取り、ふたりでソファーに腰かける。プルートーを出て、彼女を引き取る余裕がある母方のおばさんのところに行くことを、エイミーはこのソファーで初めて打ち明けた。そしてそのあとすぐ、俺に別れを切り出した。白紙の状態からやり直したいという安っぽい言い訳は、彼女の小学校時代のクラスメイト――ペックの入れ知恵だ。
「あたしたち、もうだめだったよね。あんたの言うとおり、嘘を言ってもしょうがない。たとえ最後の日でもね」
エイミーは泣きながら俺の手を握る。ここに来たときはあんなに怒っていたのに、こんなふうにしてくれるのが不思議だ。
「あたしはお互いの気持ちをかん違いしてたけど、だからって、あんたのこと愛してないわけじゃないよ。あたしが怒りを爆発させたくなると、いつもそばにいてくれたし、何もかもがいやで、そんな状態にうんざりしてるときも、幸せな気分にさせてくれた。そういうのって、クズじゃできないよ」
そう言うと、エイミーは俺に抱きついて肩にあごをのせた。以前はよくこうやって、好きな歴史ドキュメンタリーが始まる前に俺の胸に体をあずけてくつろいでいた。
あらためてかける言葉が見つからず、ただエイミーを抱きしめる。キスしたい。でも、その気がないなら応じてほしくない。だけどこんなに近くにいる。少しだけ身を引いて彼女の顔を見た。最後にもう一度だけ――それならありかもしれない。俺をじっと見つめるエイミーに顔を近づけ……。
そのときリビングに入ってきたタゴエが、「あっ、ごめん!」と、あわてて目を覆う。
俺は体を起こす。
「いいよ、気にすんな」
「そろそろ葬儀を始めないと。でも急がなくていいよ。今日はおまえが主役なんだから……ごめん、主役とか変だよな。誕生日じゃないし、むしろその逆だし……」
タゴエの首がピクッと動く。
「みんなを呼んでくるよ」そう言ってタゴエは出ていった。
「あんたを独り占めしちゃだめだよね」
そう言いながらも、エイミーはみんなが来るまで俺を放そうとしなかった。
俺にはそのハグが必要だった。そして葬儀のあとにする最後の”プルートー太陽系”のハグも、俺には必要だ。
ソファーの真ん中に腰かけ、ひと息ひと息数えるように呼吸する。マルコムとエイミーが俺の両隣に、タゴエが足元に座った。ペックは離れたところでエイミーのスマホをいじっている。彼女のスマホを使っているのが気に食わないが、あいつのを壊したのは俺だから何も言えない。
俺の家族は葬儀をしようなんて考えなかったから、デッカー葬はこれが初めてだ。あのときは自分たちがいればほかには誰も――同僚も、古くからの友人たちも――必要なかった。デッカー葬に出た経験があれば、ジェン・ロリが参列者じゃなく直接俺に向かって追悼の言葉を述べるのにも面食らわなかったかもしれない。無防備にみんなの視線を浴びているうちに涙がにじんでくる。誰かにハッピー・バースデーを歌ってもらうときと同じだ。マジで、毎年必ず目頭が熱くなる。
熱くなった――過去形だ。
「……初めてここに来たときから、あなたはけっして涙を見せませんでした。泣く理由はいくらでもあったのに、何かを証明しようするかのように、一度も泣かなかった。ほかの子たちは……」
ジェン・ロリは仲間たちのほうを一瞥もせず、目をそらしたら負けだと言わんばかりに、俺から片時も目を離さない。それが礼儀だからだ。
「みんな泣いたのよ、ルーファス。でもあなたは泣かず、とても悲しそうな目をしてた。最初の二日間、あなたはわたしたちを見ようともしなかった。そのとき思ったわ、誰かがわたしになりすましても、この子はきっと気づかないんだろうなって。だけど、あなたの心にぽっかりとあいた大きな穴も、友だちや大切な人ができると、少しずつ埋まっていきましたね」
エイミーのほうに顔を向けると、彼女も目をそらさずじっと見つめ返してくる――俺に別れを告げたときに見せた、あの悲しそうな顔で。
「おまえたちがみんなで力を合わせて何かをするのが、俺はいつもうれしかった」
こんどはフランシスの番だ。
今夜の一件のことじゃないのはわかってる。死ぬのはたしかに最悪だけど、刑務所に入れられて、自分がいないところで世の中が動いていくのはもっと最悪なはずだ。
フランシスはそれ以上何も言わず、しばらく俺をじっと見つめたあと、「時間がたっぷりあるわけじゃない」とマルコムに手で合図する。
「次はおまえだ」
マルコムが部屋の中央に進み出て、猫背の背中をキッチンに向けて立つ。咳払いをすると、のどに何か引っかかっているような不快な音がして、口から唾が飛ぶ。いつもだらしがなくて、食事のマナーの悪さや正直すぎる物言いで、無意識のうちに相手を不愉快にさせるタイプだ。それでも人に教えられるくらい代数が得意だし、秘密は守る。マルコムへの追悼を述べるとしたら、俺はそのことを話すだろう。
「ルーフ、おまえは……おまえは、俺たちの兄弟だ。こんなの嘘だ。ぜんぶでたらめだ!」
マルコムはうつむき、左手の指のささくれを引っぱっている。
「あの世に連れてくなら、おまえじゃなく、俺を連れてくべきなんだ」
「そんなこと言うなよ。マジで、やめろ」
「俺だってマジで言ってるんだ。誰だっていつかは死ぬ。だけど、おまえは人より長生きするべきだ。人一倍生きる価値のある人間なんだ。世の中そういうもんだろ。俺は図体だけデカくてなんの役にも立たないカスだ。スーパーの袋詰めの仕事でさえクビになるんだぞ。だけどおまえは――」
「死ぬんだよ!」
俺はマルコムの言葉をさえぎって立ち上がり、腹立たちまぎれに彼の腕を思いきり殴りつける。あやまりはしない。
「死ぬのは俺で、人生の交換なんかできないんだ。おまえは図体だけデカいカスなんかじゃない。いいかげんダメ人間のふりはやめろ!」
次にタゴエが、ピクッと動きそうになる首をさすりながら立ち上がる。
「ルーフ、これからはもう、そんなふうにバシッと叱ってもらえないんだな。人の皿から勝手に取って食うし、トイレの水もろくに流さないマルコムをぶっ殺しそうになる俺を、おまえはいつも止めてくれた。その憎たらしいしかめっ面を、俺はジジイになるまで見続ける覚悟でいたんだぞ」
タゴエはそこでメガネをはずして手の甲で涙をぬぐい、ぎゅっとこぶしを握った。そして死神の形をしたくす玉でも落ちてくるかのように天井を見上げたまま言った。
「おまえのことは、一生忘れない」
誰も何も言わず、すすり泣きが号泣に変わる。まだ生きている俺の死をみんなが嘆くようすに、猛烈に鳥肌が立つ。なぐさめの言葉をかけたくても、放心状態から抜け出せない。家族を失ってからずっと、俺は自分が生きていることに罪悪感を抱き続けてきた。ところがデッカーなったいま、みんなを置き去りにするんだと思うと、こんどは死んでいくことへの奇妙な罪悪感に打ちのめされそうになる。
エイミーが部屋の中央に進み出た。かなり率直な追悼の言葉になるのは、みんなわかっている。きついな。
「悪い夢から抜け出せずにいる気分なんて言ったら、嘘っぽく聞こえるかな? これまでずっと、”まるで悪夢のよう”なんて、すごく芝居がかった表現だと思ってた。悲惨なことが起きたとき、ほんとにそんなふうに感じるのって。でもいまなら言える、”悪夢”がまさにぴったりの表現だったって。もうひとつ、これも月並みな表現だけど、あたしはこの悪夢から覚めたい。それができないなら、いっそ永遠に眠り続けたい。そうすれば、ルーファスとの楽しい思い出の夢をいっぱい見られるかもしれないから。たとえば、ルーファスがあたしを見ていたときのこと。あのときあんたは、この顔にある大きな痣じゃなく、ちゃんとあたしを見てくれてた……」
エイミーは胸に手を当て、嗚咽で次の言葉が出てこない。
「つらすぎるよ、ルーファス。あんたがいなくなるなんて、あたしはもう電話もハグも……」
そのとき、エイミーが俺から目を離し、俺の背後の何かを見て顔をしかめ、胸に当てていた手をおろした。
「誰か警察呼んだの?」
はじかれたように立ち上がると、家の前で赤と青のライトが点滅しているのが見えた。俺は一瞬でパニックになり、時間が異常に短く、かと思えば信じられないくらい長く、永遠の八倍くらいに感じられた。そんななか、驚きもせず、あわててもいないやつがひとりだけいた。エイミーのほうを向くと、俺につられるように彼女の視線がペックに向く。
「あんた、まさか――」
エイミーはペックに向かって突進し、やつの手から自分のスマホをもぎ取る。
「あいつは俺に暴行を働いたんだぞ!」ペックが叫ぶ。「死にかけていようが、知るか!」
「そういう言い方はないでしょ!」
嘘だろ? いったいどうやって通報したんだ? ここに来てから、ペックはどこにも電話なんかかけなかった。とにかく、よりによって俺の葬儀の最中に、あいつは警察を呼びやがった。あのクソ野郎にも、もうじきデス゠キャストから電話がかかってくるのを願うのみだ。
「裏から逃げろ!」
首をピクッピクッと激しくひきつらせ、タゴエが言う。
「一緒に来いよ、おまえたちもあの場にいたんだから」
「俺たちは時間稼ぎしとくよ。なんとか引きとめる」とマルコム。
ドアをノックする音がする。
「行きなさい!」ジェン・ロリが奥のキッチンを指さす。
ヘルメットを素早く手に取ってキッチンのほうに向かいながら、プルートーズ全員の姿を目に焼きつける。前におやじが、別れの言葉は「絶対に無理だと思っても言えるもんだ」と言っていた。誰だってさよならなんか言いたくない、だけど言えるチャンスがあるときに言わないのは愚かだと。なのに俺は、場違いなやつが葬儀にあらわれたせいで、言うチャンスを奪われてしまった。
仕方がないとあきらめて裏口から飛び出し、いったん呼吸を整えてから、蚊やショウジョウバエがうようよいるせいで誰も足を踏み入れようとしない裏庭を大急ぎで駆け抜け、フェンスを飛び越える。そこからこっそり表に回りこみ、すきを見て自転車を取りにいけないかようすをうかがう。家の前にパトカーが止まっている。それでも警官はふたりとも家のなかにいるはずで、もしペックがチクったとすれば、もう裏庭まで来ているかもしれない。俺は自転車を取ると、押しながら歩道を走り、勢いがついたところで飛び乗った。
行くあてもないまま走り続ける。
どうにか葬儀は乗り切った。だけど、いっそ死んでしまったほうがよかったのかもしれない。