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バットマンとともに世界一周の旅を|『バットマン:ザ・ワールド』書評

2月25日頃発売予定の新刊『バットマン:ザ・ワールド』。アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、中国、韓国など世界14カ国から選ばれたアーティストが自国を舞台にバットマンを描くという画期的なアンソロジー企画が、日本語版でついに発売されます。

発売を記念して、バンド・デシネ翻訳家で、サウザンコミックス編集主幹として世界のコミックスの翻訳出版に携わっている原正人さんに、本書『バットマン:ザ・ワールド』をご紹介いただきました!

世界14カ国の作家が参加したグローバルな記念碑的アンソロジー

来る2022年2月25日(金)、『バットマン:ザ・ワールド』の日本語版が発売される。帯の文言をそのまま引用すれば、「世界14カ国から選ばれた最高峰の作家陣が自らの国を舞台にバットマンを描く! 豪華アーティストが参加する記念碑的アンソロジー」である。

『バットマン:ザ・ワールド』
世界14カ国のアーティストが参加する豪華バットマンアンソロジー。

原書は昨2021年9月14日、BATMAN DAY(バットマンデー)の目玉企画として出版された。BATMAN DAYの詳細については編集部の「年に1度のバットマンのお祝いだ! BATMAN DAY!」という記事を読んでいただきたいが、1939年に誕生したバットマンの75周年を祝して2014年から始まったイベントである。本書の原書が発売された2021年には、BATMAN DAY は8回目を迎え、その分、齢を重ねたバットマンは82歳になった。

本書は複数の作家が描いたバットマンの短編を集めたアンソロジーだが、こうしたコンセプトそのものは特段斬新ではない。日本でも「〇〇トリビュート」と題されたアンソロジーがいくつも出版されているのはご存じの通りである。筆者にとってなじみ深いフランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”の一例もあげておくと、1998年に始まった『Sillage(シヤージュ―航跡)』というSFシリーズ作品(ジャン=ダヴィッド・モルヴァン作、フィリップ・ブシェ画/2022年時点で既刊21巻 ※未邦訳)には、『Les Chroniques de Sillage(「シヤージュ―航跡」年代記)』というさまざまな作家が参加したスピンオフ短編アンソロジーがあって、2004年から2008年にかけて6巻分(そのうち1巻は日本のマンガ家たちの作品だけで構成)も刊行されている。

『Les Chroniques de Sillage』
(Delcourt社、全6巻、2004-2008年)

本書は単に複数の作家が参加しているだけでなく、複数の国にまたがる国際的なアンソロジーでもあるわけだが、これも今や特に珍しいことではない。アメコミ好きの読者には言わずもがなだろうが、アメコミでもバンド・デシネでも、そして日本のマンガでも、今や国境を超えた制作が頻繁に行われている(その一端については、よかったら筆者が「メディア芸術カレントコンテンツ」で連載していた「越境するグラフィックノベル」の第4回「国境なきマンガ」をお読みいただきたい)。例えば、筆者自身、『ターニングポイント』というアンソロジーの邦訳に携わっているが、これも複数の国にまたがった企画だった。

『TURNING POINT(ターニングポイント)』
(飛鳥新社、2017年)

この『ターニングポイント』は、フランスの出版社ユマノイドの創立40周年記念企画で、当時ユマノイドの拠点があったフランスとアメリカ、日本の3カ国で活躍する14名の作家が参加している。それぞれの地域の著名な作家が参加した本書は、今振り返っても豪華な企画だったと思うが、本の向こう側に感じられる世界のマンガの広がりという意味では、本書『バットマン:ザ・ワールド』に見劣りすると認めざるをえない。何しろ『ターニングポイント』に参加しているのが3カ国(作家の国籍としては、フランス、アメリカ、日本の3カ国にスイスとスコットランドを加えた5カ国)であるのに対し、『バットマン:ザ・ワールド』は14カ国なのだ。「ザ・ワールド」という言葉に恥じない、それこそ「記念碑的アンソロジー」である。

14作品世界一周

改めて『バットマン:ザ・ワールド』の参加14カ国の内訳を作品の収録順に確認してみると、アメリカ、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、チェコ、ロシア、トルコ、ポーランド、メキシコ、ブラジル、韓国、中国、日本となっていている。

作家と作品をザッと眺めておこう。

アメリカからはブライアン・アザレロ(作)とリー・ベルメホ(画)の「街から世界へ」『ジョーカー』などで日本でもよく知られるコンビで、アメコミファンにはもはや説明不要だろう。

『ジョーカー[新装版]』
(小学館集英社プロダクション、2011年)
※2018年に新装版として再販

フランスからはマチュー・ガベラ(作)、ティエリ・マルタン(画)「パリ」。バンド・デシネの翻訳者として恥ずかしながら、あいにく筆者は作品も読んだことがないのだが、ふたりともコンスタントに作品を発表し、活躍しているバンド・デシネ作家である。

スペインからはパコ・ロカの「本日休業」。パコ・ロカは『皺』『家』が邦訳されていて、海外マンガファンの間ではおなじみである。

『皺』(パコ・ロカ作・画)
(小野耕世監訳、高木菜々訳、小学館集英社プロダクション、2011年)
『家』(パコ・ロカ作・画)
(小野耕世監訳、高木菜々訳、小学館集英社プロダクション、2018年)

イタリアからはアレッサンドロ・ピロッタ(作)、ニコラ・マリ(画)、ジョバンナ・ニーロ(彩色)「イアヌス」

ドイツからはベンヤミン・フォン・エッカーツベルク(作)、トーマス・フォン・クマント(画)「よりよい明日」。ドイツで最も過激な環境保護団体“ベター・トゥモロー”のメンバーとジョーカーの出会いを通じて、環境保護運動の二面性を描いたスパイスの効いた佳作で、筆者のお気に入りである。ちなみに作者のふたりはドイツ人だが、2013年から2021年にかけて『GUN HO(ガン・ホー)』という全5巻の作品をバンド・デシネとして出版し、第1巻の刊行当時、大いに注目を集めていた。

『GUNG HO』
(Paquet社、全5巻、2013-2021年)

ここからは、日本の海外マンガの文脈ではまだあまりなじみのないヨーロッパの国々が続く。チェコのシュチェパーン・コプシバ(作)、ミハル・スハーネク(画)「赤い群れ」。ロシアのキリル・クトゥーゾフ、エゴール・プルートフ(作)、ナタリア・ダイドワ(画)「バットマンと私」。トルコのエルタン・エルギル(作)、エセム・オヌル・ビルギチ(画)「ゆりかご」。ポーランドのトマシュ・コロジエチャク(作)、ピオトル・コワルスキー(画)、ブラド・シンプソン(彩色)「街の守護者」

続いて中南米。メキシコのアルベルト・チマル(作)、ルーロ・バルデス(画)「葬儀」。そしてブラジルのカルロス・エステファン(作)、ペドロ・マウロ(画)、ファビ・マルケス(彩色)「ヒーローのいる場所」

アジアからは韓国のチョン・インピョ(作)、パク・ジェグァン、キム・ジョンギ(画)「記憶」。キム・ジョンギは、圧倒的なライブドローイングのパフォーマンスで知名度を高めた作家で、作品の翻訳こそないものの、寺田克也と合作した『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』が日本で出版されている。さらに中国のシュイ・シャオドン、ルー・シャオトン(作)、チウ・クン(画)、イー・ナン(彩色)「バットマンとパンダガール」

『寺田克也+キム・ジョンギ イラスト集』
(玄光社、2017年)

最後に日本の崗田屋愉一「縛られぬ者」。まさかの江戸を舞台にした時代劇で、本書の中では唯一の全編モノクロ作品として異彩を放っている。崗田屋愉一と言えば、筆者的にはやはり『ひらひら 国芳一門浮世譚』『大江戸国芳よしづくし』だが、本作はその世界とも地続きになっている印象があって、崗田屋ファンにもうれしい作品だろう。バットマン=蝙蝠の活躍を直接描くのではなく、瓦版(歌川国芳や月岡芳年を参照した奇想がにくい)を通じて想像させるという作りが実に粋である。シリーズものとして蝙蝠のお江戸での活躍を見てみたいと思うのは筆者だけではあるまい。

『ひらひら 国芳一門浮世譚』
(岡田屋鉄蔵名義、太田出版、2011年)
『大江戸国芳よしづくし』
(日本文芸社、2017年)

ことほどさように、読者はバットマンとともに、北米から西欧を経て東欧に向かい、そこで踵を返して中南米にひとっ飛びすると、東アジアで長い旅を終える。まさに世界一周といった趣である。新型コロナウイルス感染症のパンデミック下で、海外への移動がままならない今の時代だからこそ、本書の意義が一層強く感じられる。

世界のマンガへの格好の入り口

本書のようなアンソロジーに参加するに当たって、作家の側も付け焼刃というわけにはいくまい。バットマンについての相応のリテラシーが要求されたはずだ。トルコの作家エルタン・エルギルなどは、自ら出版社を立ち上げ、バットマン作品のトルコ語版を出版しているほどの好事家だそうだが、そこまで極端でないにせよ、バットマンのオリジナル作品を描くことができる作家がさまざまな国に存在するほど、バットマンが世界中に浸透しているということだし、そんなことが可能なのは、バットマンが80年以上の長きにわたって世界中で愛され続けてきたからでもあろう。

14の物語はそれぞれ、参加作家たちの祖国を舞台に展開される。ゴッサムシティから始まって、フランスのパリ、スペインのベニドルム、イタリアのローマ、ドイツのバイエルン、チェコのプラハ……。それらの都市を舞台にバットマンがどんな冒険を繰り広げているのか、その都市の刻印がバットマンの物語にどのように刻まれているのか、まずはそこをお楽しみいただきたい。

それぞれの冒険からは、しばしば、作者が拠って立つローカルなマンガ文化が垣間見えることだろう。本書はまた、世界のマンガを知るためのまたとない入り口でもあるのだ。もしかしたら本書において、アメリカで生まれ、ある意味アメリカのコミックスを代表すると言っていいバットマンが、世界各地のマンガ文化と習合を遂げていく様子がうかがえるかもしれない。

本書を読んで、「ザ・ワールド」と謳っている割りに、アフリカの作家も、中東やオセアニア、東南アジアの作家も取り上げられていないではないかと、難癖をつけることも可能だろう。もちろんそれらの国にコミックスが存在しないわけではないが、そういった網羅的な企画を実現することが困難を極めることは容易に想像がつく。『ターニングポイント』を引き合いに出して述べたように、14カ国の作家が一堂に会し、それぞれの祖国を舞台にバットマンの物語を描いているというだけで既に快挙なのだ。いつの日かアフリカや中東発のバットマンが出現することを夢見つつ、それまでは本書『バットマン:ザ・ワールド』をじっくり堪能し、その先に広がる広大な世界のマンガに思いを馳せることにしよう。

今回ご紹介した本

◆筆者プロフィール
原正人(はら・まさと)
1974年生まれ。バンド・デシネ翻訳家。サウザンコミックス編集主幹として海外コミックスの翻訳出版に携わる。『闇の国々』をはじめとするバンド・デシネ関係の訳書多数。Twitter:@MasatoHARA