【おしえて!キャプテン】#38『生誕85周年記念!バットマンの苦難の時代について』
DCタイトルの『フラッシュポイント・ビヨンド』が3月14日頃より発売中です。本書は、ブルース・ウェインの父、トーマス・ウェイン(並行世界のバットマン)が主人公の作品で、息子を救うために奔走する父トーマスの物語が狂気的かつドラマチックに描かれています。
さて、そんなバットマンですが、彼は1939年に初めて『ディテクティブ・コミックス』#27の表紙を飾りました。その記念すべき初登場から、今年(2024年)が85周年イヤーにあたるのは、皆さんご存知でしたでしょうか?
今でこそ誰もがその名を知るキャラクターではあるものの、バットマンも決してデビュー当初からずっと人気者だったわけではなかったようで……。今回は、我らが“闇の騎士”の「苦難の時代」について、ライター・翻訳者の吉川 悠さんに詳しく解説していただきましょう!
連載コラム38回目です。今年2024年は、1939年刊行の『ディテクティブ・コミックス』#27でバットマンがデビューしてから85周年にあたります。また、DCコミックスは登録商標のデータを元に、バットマンの初登場日を「3月30日」と定めています。
現在のバットマンは人類の歴史に残る巨大なアイコンと言えますが、そこに辿り着くまでは決して順調だったわけではありませんでした。そこで今回はバットマンの歴史を振り返るうえで無視できない「苦難の時代」についてご紹介しようと思います!
バットマンの低迷期
今でこそバットマンはヒーローコミックスのシンボルとも言える存在であり、毎月刊行されているタイトル以外にも、ミニシリーズが数多く刊行されています。しかしその歴史を調べていると、「1980年代に入ってから『バットマン』誌の売り上げは低迷し、DCはバットマンを死なせることも考えていた」という言説をしばしば見かけます。
この説を裏付ける資料は見つかっています。1981年から1992年まで刊行されていた『アメージング・ヒーローズ』というコミックファン向けの雑誌で、これには売り上げ部数ランキングが掲載されていました。
例えば、1984年2月のランキングではマーベルの『シークレット・ウォーズ』#2が圧倒的な1位を取っており、2位は『X-MEN』#182、そして3位はなんとカナダのヒーローチーム『アルファフライト』#11と、マーベル作品が上位を独占しています。5位になって初めて出てくるDCのタイトルは『テールズ・オブ・ティーン・タイタンズ』です。
ちなみに当時の『テールズ・オブ・ティーン・タイタンズ』誌の展開は、その後のタイタンズの歴史に巨大なインパクトを残した一大ドラマの「ジューダス・コントラクト」編だったりします。後から読んでいる身としては、このランキングを読んでいると「『シークレット・ウォーズ』と「ジューダス・コントラクト」とウォルト・サイモンソンの『ソー』と(その他諸々)って同時期に刊行されてたの!?」と驚いてしまうんですね。刊行時期を考えれば当たり前なんですが、リアルタイムの読者は盛り上がっただろうなあ……と感慨に耽ってしまいます。
むしろ、このランキングから読み取れるのは「80年代のクリス・クレアモントのX-MENがいかに巨大な存在だったか」「ティーン・タイタンズの人気がどれほど高かったか」「アルファフライトを手掛けていた、ジョン・バーンにどれほどの人気があったか」という、バットマンの人気云々というよりもコミック業界全体の動向なのですが、その話はまた別の機会にとっておきましょう。
さて、そうした後年まで語り継がれる名作が刊行されている時期に、同じランキングで『バットマン』誌は何位だったかというと……60位。
なんと、まさかの60位です! しかも27位には『バットマン&アウトサイダーズ』誌があるのに、それよりはるかに下です。1984年時点での『バットマン』は今では考えられないほど売れていなかったんです。当時のティーン・タイタンズの担当ライターだったマーヴ・ウルフマンも「(ティーン・タイタンズの一員だった)ロビンの漫画がバットマンの漫画より売れていた時代があった」という談話をインタビューで語っています。
しかし、なぜバットマンがX-MENやティーン・タイタンズにこうも売上で差をつけられたのでしょうか? 当時人気を博していた2チームタイトルの共通項として「様々なキャラクターたちが集まりチームを結成して、個性をぶつけ合って長大な連続ドラマを展開する」という特徴は挙げられます。そうした形式のコミックが時代の流行りとなっていたのかもしれません。
では、バットマンの人気はこの状態からどのように復活したのでしょうか?
闇の騎士の帰還
現代に続くバットマン人気に火をつけ、キャラクターとしての転換点になったのは1986年に刊行された、フランク・ミラー作の『ダークナイト・リターンズ(以下DKR)』だというのが定説になっています。
当時、フランク・ミラーはマーベルの『デアデビル』誌で、すでに人気作家になっていました。彼はオリジナルSFコミック『ローニン』をマーベルから刊行する予定でしたが、そこへ当時のDCコミックス社長であったジャネット・カーンが「やりたいことがあったらなんでも言って。変わった企画でも、前例のない企画でも構わない。実現できるかどうか挑戦してみる」とミラーに声をかけたのです。
そして『ローニン』はDCから出版されたのですが、ミラーのこだわりは印刷手法や本の装丁(デザイン)、紙の質にまで及び、それまでのコミックスとは一線を画すものになりました。『ローニン』は高評価をもって迎えられ、普段はコミックスを読まない読者からも反応があったそうです(ちなみに、先ほどのランキングでは『ローニン』#5が11位につけています)。
その成功が下地にあってから刊行された『DKR』はさらに大きな反響を呼びました。カーンは後年のインタビューで「『DKR』は時流の大きな変化の兆しだった。その後に刊行された『ウォッチメン』『キリング・ジョーク』『アーカム・アサイラム』『サンドマン』『プリーチャー』『プラネタリー』『オーソリティ』『100バレッツ』といった偉大なタイトルは全て(『DKR』に対して)借りがある。(『DKR』をきっかけに)コミックが書籍として図書館に置かれるようにもなった」とまで答えています。
さらに『DKR』の影響は1989年の映画『バットマン』にも及びました。このことからも『DKR』が、バットマンが世界的なアイコンへと返り咲くきっかけになったと言えます。ブームを巻き起こした1966年のTVドラマ版『バットマン』以来のことです。(大流行したTVドラマ版も、いまだに世界のどこかで再放送されている可能性があり、文化的アイコンとしてのバットマンを支える重要な作品となってます)。
「あの作家」がバットマンに寄せた思い
もう一つ、興味深い証言があります。『DKR』が刊行されたのは1986年の前半ですが、後半の10月に刊行された『バットマン』#400記念号にある小説家がコラムを寄稿していました。これも当時のバットマンの事情がわかる貴重な証言です。その一部を引用します。
これは1986年の後半に出版された文章ですが、同年の前半に出版された『DKR』についてこのように書かれていることから、当時の衝撃がどれほどすさまじいものだったかが推測できます。また、80年代に入ってからはバットマンの人気に翳りがあったことは、読者の目にもわかっていたのかもしれません。
ちなみにこの文章を寄稿した小説家は、スティーブン・キングという方でした。どこかで聞いた名前のような……。
後追いの難しさ、キャラクター語りの難しさ
こうしてバットマンの苦難の時代を紐解くことで、現代日本の読者にとって想像もつかない周辺の状況が見えてきます。そもそも、いま現在のバットマンのコミックを豊かにしているのは独立性の高い単行本の数々ですが、1980年代にはそれもなかったわけです(コミックブックが単行本になることがマレでした)。
こういった当時の空気を想像しながら、それぞれの作品の意義を考えて後追いで読む……というのはなかなか難しいことだと感じます。しかし、だからこそ資料をひも解きながら当時の空気を掘り起こすのは、スリリングでも楽しい作業の一つと言えるでしょう。
フィクションやキャラクターというものは、時代と状況に大きく翻弄されるのが常です。作品単体の批評や分析はともかく、総体としてのキャラクター語りはどうしても曖昧模糊とした話になりがちです。
今回のこのコラムも、ヒーローコミックとその映像化作品の話を混ぜてしまうという、「アメコミ関連」記事につきまとう問題点から逃れることができていませんが、読者の皆さんがバットマンというキャラクターを理解するための一助となれば幸いです。バットマンのコミックが途絶えることなく85年も刊行が続いたのは素晴らしいことです。90周年、そして100周年の時もアイコンであり続けてほしいですね。今後も、バットマンの活躍を見守っていきましょう!
★最後までお読みいただき、ありがとうございます。アカウントのフォローと「スキ」ボタンのクリックをぜひお願いいたします!