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恋にならなかった恋の話 ウリ専編 最終


夏が来て、僕と友達は最初の計画通り、ウリの稼ぎでベトナムの豪華なビーチリゾートに一週間滞在した。

旅の最終日に立ち寄ったホーチミン・シティの夜店でチェーというベトナム式のかき氷を食べていた。すぐ横を車やバイクがビュンビュン走るプラスチックのおもちゃみたいなテーブルで、埃っぽい熱帯の風と日焼けで火照った肌に少しうんざりしながら、成田に着いたら寿司が食いたいなんていう話をしていた。

そこに宝くじ売りの少年がやってきた。
まつ毛が長くて鼻筋のすっと通った少年は、歳の頃なら小学校中学年くらいで、奇跡みたいに可愛かった。
僕たちは少年を椅子に座らせてチェーをもうひとつ注文した。
身振り手振りで年齢などを尋ねてみたけれど全く埒があかず、少年は表情を固くしたまま首を振るばかりだった。

やがて、てっぺんに小豆の乗ったチェーが来ると少年はすごい勢いで平らげて、ポケットからしわくちゃなお札を取り出して僕たちに差し出した。

「No.No」

僕たちは首を振り、少年が持っていた50枚ほどの宝くじを指差した。
明日でベトナムを発つ身だし、当選番号の確認の仕方すら知らなければ調べる気もないけれど、ただ、今夜の少年の仕事がこれで終わって早く家に帰れたらいいなという思いで、全部買った。

お金を渡し「バイバイ」と手を振ると、少年はようやくほっとしたように微笑んで手を振りながら去っていった。
気がつくと、周りでチェーを食べていたベトナム人の大人たちがこちらを見てクスクスと笑っていた。

僕たちはシンプルに良いことをしているつもりだった。だけど、少年にしてみれば、酷く恥ずかしくて恐ろしい体験だったのかもしれない。
そんな反省をしながら、僕たちは夜道を歩いてホテルへ戻った。
50枚ほどの宝くじは、翌朝、ホテルのベッドの上に枕銭と一緒に置いてきた。

さてと。

目標は成し遂げた。

ウリをしていた数ヶ月、五社英雄の世界を自分なりに妄想することが度々できたし、体を売るという仕事について、自分なりの意見や感想を持つこともできた。
もう、これ以上、ウリを続ける理由がない。

気になったのは先生のことだけだった。

先生とは、この関係を続けても良い気がしていた。だけど、細々とは言えダラダラと、ウリを続けるのはいかがなものだろうと悩んだ。いっそ先生とはただのセックスフレンドになってもいいのかもしれない。 いや、好きなタイプでもなんでもない還暦越えの先生と、僕はそこまでしてセックスがしたいのだろうか?

自分でもなんだかよくわからなかった。

いろいろ考えて一番しっくりきたのは『120分3000円くらいで買ってもらう関係』だったけど、いまさらそんな破格の値引きを宣言されても先生だって戸惑うに違いない。

というわけで、キッパリと足を洗うことした。

最後の日。
セックスを終えて、茶碗に残っていたお茶を飲みながら先生に告げた。

「今日でこの仕事辞めるんですよ」
「…店をうつるの?」
「いえいえ。完全撤退です」
「ああ…そうかい」

それから先生はしばらく黙り込んだ。
お茶室に沈黙はよく似合う。
僕はズズズとお茶を啜りきり「ごちそうさまです」と告げると先生がぽつりと言った。

「君みたいな人を、どこかでまた探さないとな」

その言葉にキュンときて思わず『120分3000円』の件が喉元まででかかったけどどうにか留まった。

そして、代わりにこう言った。

「僕は君ではなくて、圭介でもなくて、真文と言います。真実の真に文章の文で真文です。いつかどこかで見かけたらそう呼んでください」
「呼んでもいいのかい?」
「もちろんです」
「この歳の差じゃ関係を疑われるよ」
「そんなのなんでもいいですよ。友達でも、親戚でも、生き別れの親子でも、お茶の先生と生徒でも良いです」

服を着て、最後のお年玉をもらい、玄関先で靴を履いてから振り返ると先生が言った。

「ま、またお茶が飲みたくなったら、いつでも寄りなさい」
「ありがとうございます」

僕は深くお辞儀をして先生の家を出た。

いくつかの恋を繰り返して知ったことだけど、好きな男が住んでいる街というのは、その人と別れた途端、赤の他人みたいな顔をする。引き留めるでもなければ、さよならを言うでものなく、僕のことなんて最初からなかったことのように、街はそれぞれの営みを粛々と続けていく。

先生が住む街もそんな顔をしていたから、僕は、僕が思うよりも先生のことが好きだったんだったのかもしれない、と感じた。
いや、でも、だからと言って、道を引き返すほどの情熱はないのだけれど。

夕陽が差す道を駅へ向かいながら、ホーチミン・シティの少年は元気かなーと思った。

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