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恋にならなかった恋の話

Olivierとはロンドンで3年近く暮らした。
OlivierはSM愛好者だったから、同棲中、セックスは一度もなかった。
『セックスは家の外で』が我が家のルールだった。

ロンドンを離れる3週間前ほど。
夜明けに近い時間、ジントニックを片手にクラブの壁にもたれていたら声をかけられた。

「You are beautiful!」

本当に申し訳ないのだけれど(誰に?)、ちょっとしたアジアン・ビューティで鳴らしていた僕は、こんなことは言われ慣れていて、返す言葉も決まっていた。

「You must have bad taste!(趣味が悪いんだね)」

アジアン・ビューティとは言え、大和撫子の奥ゆかしさは忘れたくないし、
褒められっぱなしで終わるのではなく、冗談のきく感じの良い子という雰囲気を醸し出したくて、いつも、こう返していた。

大抵の男はこの一言で笑ってくれた。

だけど、その人は「No!」と少し怒ったように否定した。

「I' m Italian. We know what's truely beautiful and I say you're beautiful, which means you are truely beautiful!(僕はイタリア人だ。僕たちは何が本当に美しいのか知っていて、その僕が君を美しいと言っているのだから、つまり君は本当に美しいのだ)」

真面目な表情でそう言った。

僕は、恥ずかしかった。
なぜなら、彼こそが本当に美しかったから。

180cmを優に超える体は細身ながら、全身に薄い筋肉をしっかりと纏っているようで、肩から二の腕にかけてのラインが彫刻のように美しかった。
顔はブロンドのキアヌ・リーブス(ピーク時)という感じ。
聞けば、8分の1だけアジア人の血が流れているという。

多数決をとったなら100:0で彼の方が「Beautiful!」であるに決まっている。
そんな彼に褒められて、僕は周りが気になった。
もしも、僕がこの現場に居合わせた傍観者であったなら、クスクス笑いが止まらないに違いない。

「Are you a model?(モデルなの?)」

僕は話を変えようとして、馬鹿の極みみたいな質問をしてしまった。
彼はとんでもないと言うように「No!」と何度も首を振った。

「I can't be a model(モデルなんかできないよ)」
「Yes!You can. Never been a model?(できるよ。やったことないの?)」
「I did once, my friend asked me when I was in college, but I' m not that type of person…(学生の頃に友達に頼まれて一度だけあるけど、僕はそういうタイプの人間では…)」

彼はロンドンの小さなオフィスでシステム・エンジニアをしていた。

モデルのように見た目がいいのに、性格は真面目で実直。

僕は彼のことが一気に好きになった。

彼のアパートでセックスをした時、僕がフェラチオを始めると、彼は雪国でやっと温泉に浸かれた人みたいに長い溜息をついた後、僕に尋ねた。

「Do you have a diploma of suking?(君はフェラの学位でも持っているの?)」

日本語に訳すと笑ってしまいそうなセリフだけど、これを端正なルックスの心優しいイタリア人に、まるで心からそう思っているかのように溜息混じりで言われたら、舌根の筋肉にもより一層力が入った。
僕が持っているすべてのテクニックを、今、この1本に!と言う情熱も湧いてきた。

特別なことのないシンプルなセックスだった。
だけど、彼の『褒め言葉攻め』とも言えるような世にも甘い攻撃に、僕はいつも体が上空に3センチくらい浮いているような、心地よくて夢のようなセックスを味わった。

セックスが終わると、彼はエスプレッソを淹れてくれた。

全裸でキッチンに立つ彼の姿を後ろ姿が大好きだった。

金色のそばかすが散らばった真っ白な背中。
綺麗な林檎を並べたようなお尻。
生まれ変わったら小さな小さなハツカネズミになって、一生、あの間に挟まって暮らしてみるのも良い気がする。
そして太ももは雄鹿のようにしっかりと筋肉が張っているのに、膝から下はすっと長く細い。
その全貌を、窓から入り込んだ光が斜めに照れしている。

羽根をつけたらまんま天使じゃん、と思う。

甘党の僕はエスプレッソにスプーン2杯のブラウンシュガーを溶かす。
エスプレッソに口をつけると、すぐに彼がキスをしてくる。
エスプレッソを飲んだ後の真文の唇がいちばん美味しい、と彼はいう。

たった3週間という期限付きだったけど、そんな逢瀬を何度か重ねた。

ロンドンを離れる前日にも彼の部屋を訪れた。
セックスをして、エスプレッソを飲んで、キスをした。
彼が「手紙を書くよ」というから住所の交換をした(メールはなかったんだな、あの頃、まだ…)

さよならのキスをしてアパートを出ると、2階の窓から彼が「Mafumi!」と叫んだ。

「Wait there(そこで待ってて)」

忘れ物でもしたかと彼を待った。

彼はジーンズのホックを止めながら外へ出てきて、僕のもとへ走り寄った。

「Could I say what I didn't say but I wanted to say(言いたかったのに言わなかったことをやっぱり言ってもいいかな?)」
「OK」
「Don't go. Stay with me(行かないで。僕のそばにいて)」

僕は少し俯いて、困ったように眉間にしわを寄せながら微笑んだ。
彼がじっと見つめられているせいか、額が熱い。
彼の顔を見上げてしまったら魔法にかかってしまうかもしれない。
本当に「Stay with me」してしまうかもしれない。
いや、それならそれもありなのかもしれない。
…なんて頭の中をぐるぐるさせていたら、彼が言った。

「So, please do not forget there is a man wishing like this somewhere in London(というわけで、ロンドンのどこかにこんな風に願っている男がいるっていうことを忘れないで)」

僕たちは小さなキスをした。
そして、本当にさよならをした。

もしも、Olivierと出会う前に彼と出会っていたら。
そんな思いを巡らせながら、Olivierが待っている家路についた。






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