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【人間観4】右脳と左脳が切り離されると人間はどうなるのか

 一人の人間の中には「二人の人」がいる。「わかっちゃいるけど、やめられない」傾向がある。

 「二人の人」がいる事実を明確に示す実験がある。分離脳患者を対象とした実験である。
 その実験を詳しく見てみよう。
 分離脳手術を受けた患者がいる。難治性てんかんの大規模な発作を抑えるために右脳と左脳の間を繋ぐ脳梁を切断したのである。切断することによって、一つの半球で起こった発作がもう一つの半球に広がることを防ごうとしたのである。その結果、右脳と左脳が分離した状態になる。
 右脳と左脳が切り離されると人間はどうなるのか。

 ……〔略〕……J・Wに彼が受けた手術の性質を手短に説明する。つまり彼の右脳は左脳から切り離されており、左手は実際右脳からの指令によって動いているので、左脳では正しく説明できないようなことを時々はしてしまうことがあるのだ、ということである。すると彼はこんな風に答える。「ああ、わかりました。僕は次の土曜の晩に彼女に会ったら僕の左手の行動についてこんなふうに説明するつもりですよ。『ねえ、残念だけど、ほらね僕には右脳と左脳があってね、そして……』」我々はみな大笑いし、そして検査を続行する。
 (M・S・ガザニガ『社会的脳』青土社、190ページ)

 J・Wの左手が彼女のお尻を急に触ったとしても、左脳には責任はない。左脳はその行動に全く関与していないのだ。
 左手は右脳の指令によって動いている。そして、右脳の指令を左脳は知らない。右脳と左脳が分離しているため、右脳の情報が左脳に伝わらない。
 そして、言語を司る優位な半球は左脳なのである。私達が「自分」だと思っているのは左脳なのである。

 分離脳患者の日常生活を想像してみてほしい。優位な側の左脳がその世界をとりしきり、疑問をさばき、行動を企図し、体の調子を気づかい……といったことをしている。そこへ突然右脳が患者に対し散歩を要求する。そうしたら左脳はどうするだろうか。どんなことを考えるだろうか。さらに一般的に右脳から始まった行動から左脳は何を作り出すのだろうか。
 (同、96ページ)

 突然、分離脳患者の右脳が「散歩」を「要求」する状況が発生する。「散歩」するのは右脳が「要求」したからである。しかし、左脳は右脳の「要求」を知らない。右脳と左脳が分離されているからである。
 そのような場合、左脳は「何を作り出す」か。
 散歩を始めた理由を「作り出す」のである。
 
  「なぜ、歩き出したんですか。」
  「缶コーヒーを買いに行こうと思いまして。」

 
 歩き出した理由は右脳の「要求」である。左脳はそれを知らない。しかし、左脳は困らない。「缶コーヒーを買いに行こう」としたことが「分かる」からである。即座に理由をつけることが出来るからである。だが、実際には「缶コーヒーを買いに行こう」としたという理由は事実ではない。
 それでは、ガザニガの実験を詳しく見てみよう。右脳の「要求」によって生じた行動を左脳がどのように扱うかを見てみよう。

 図5・2はルドゥーと私が最初に行った典型的実験を表している。要約すると実験ではそれぞれの半球に単純な概念課題をさせるのである。つまり別々の絵をそれぞれの半球に投射する。この場合では左半球(左脳)は鳥の足を見、同時に右半球(右脳)は雪景色を見ている。患者の前には何は何と関係ありますかという関連質問にうまく対応するようなカードが並べられている。ここでの正答は左脳ではにわとりで右脳ではシャベルというわけである。

 二つの絵をそれぞれの半球に瞬間呈示した後、患者に正解を指してもらう。典型的な反応はP・Sがしたようなもので、彼はにわとりを右手でシャベルを左手で指した。そのあと私が彼に「ポール、どうしてそう答えたんだい。」と聞くと、ポールは私を見上げ一瞬のためらいもなく左脳でこう答えた。「ああ、それは簡単なことですよ。にわとりの足はにわとりに関係があるし、シャベルはにわとり小屋の掃除に必要だからです。」
 かわいそうに左脳はその見た唯一の鳥の足の絵からどうして左手がシャベルの絵をさしたのかを説明しなければならなかったのである。左脳は脳の切断のおかげで右脳が何をみたかについては関知していない。
 (同、98ページ)

 左手が「シャベル」を指したのは、右脳が「雪景色」を見たからである。しかし、左脳はそれを知らない。左脳と右脳の間が切断されているからである。「雪景色」の情報が左脳に流れていないのである。
 言語を司る優位な半球は左脳である。「どうしてそう答えたんだい。」と聞かれた時に答えるのは左脳である。つまり、左脳は知らないことを答えなくてはならなくなった。
 知らないことを答えようとするのだから、左脳は答えに詰まることが予想される。困惑することが予想される。
 しかし、左脳は困らない。左脳が見た「鳥の足」とそれと関係ない「シャベル」を即座に関係づける。 
 
 「ああ、それは簡単なことですよ。にわとりの足はにわとりに関係があるし、シャベルはにわとり小屋の掃除に必要だからです。」
 
 実際には、「シャベル」は右脳が見た「雪景色」と関係があった。しかし、左脳はそれを知らない。事実を知らない。知らなくても左脳は困らない。「シャベルはにわとり小屋の掃除に必要だ」と即座に「分かる」のである。 
 
  左脳は行動に理由をつける。
  事実を知らなくても、即座に理由を作り出す。


 左脳は「知ったかぶり」である。
 左脳は行動を解釈し続ける。理由をつけ続ける。事実を知らなくても、即座に理由を作り出す。
 一人の人間の中には「二人の人」がいる。
 この場合、〈行動をする人〉と〈解釈する人〉が「二人の人」である。 

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