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第十二章「限界」 小説『サークルアンドエコー』

 当然、授業後にエリーと空き教室で会話をしていたら部活に遅れるわけで、私は最初の挨拶やウォーミングアップを欠席するようになっていた。最初の方はいちいち理由をつけて自分の正当性を保っていたが、いつからかそれをやめ、単純に遅刻する最低なキャプテンに成り下がっていた。もちろんその後の練習はちゃんとやったし、キャプテンとして振舞った。私の実力と立場があったことは事実だから、後輩はもちろん雨ちゃんを始めとする同級生や監督ですら、最初の十分ニ十分だけ遅れる私を強く糾弾することはできなかった。せいぜい冬音が文句を言うくらいだ。けれど冬音でも、面と向かった真剣な話をして私を注意することはできない。変に歯向かえば喧嘩になり、決勝戦を間近にチームが分解する恐れがある。それに、友達だ。
皆のこの対応が、私がこれまで培ってきた人生をよく表していた。いざ体験してみて、社会のほとんどがこういう仕組みになっているのかな、と思ったり。
「ただいまぁ」
 古着が詰まった紙袋を抱えながらドアと格闘していると、内側からお母さんがドアを開けてくれた。
「お帰り……何それ」
「服」
「服?」
 お母さんの声を聞きつけてお父さんまでもがやってきて、紙袋の中を覗きこむ。
「随分古そうな服ね」
「古着だからね」
「服ならあるじゃない」
「ただ着るための服は嫌なの」
「何かゴミも入ってるけど」
 と凹んだ空き缶を拾い上げたお父さん。
「ゴミじゃないよ!」
 私は空き缶を奪い取った。
 我が家は綺麗すぎる。というか、最近の家はどれもが綺麗すぎる。リビングも寝室もバスルームもほとんどが白。模様も指し柄もなく、雪よりも白。机や椅子、布団も無機的な白のせいで温もりが全く感じられない。
掃除、洗濯、洗い物などは全部一台の小さなロボットがやってくれて、家が汚い瞬間などほぼない。しかもそのロボットは家を買ったら大体付属されてくる。本も映画も音楽も絵画も全てがタブレット一台に集約された。手元に残る物を買う必要性がない。
最も、エリーと出会うまでは私もそれに何の気味悪さも感じなかった。これが現代のトレンドなのだ。むしろ、我が家は最先端を取り入れていて誇らしい、という気持ちすらあった。
この前いったある古着屋には、何十年も前の家の写真がいくつも貼ってあり、それらの写真に写っていた家の中というものはどれも酷く汚かった。本は散らばっているし、壁にはバンドや映画のポスターが乱暴に貼ってある。部屋の角にはふっくらとしたゴミ袋が何個も積もっていて、ペットボトルや酒の缶が地面をのさばっている。写真の説明をしてくれた店員曰く、この部屋は当時のダメ人間の部屋だということだったが――時代の流れって不思議――私の目には我が家の何倍もおしゃれな空間に映った。
今日の晩ご飯は、ロボットが作ってくれたコオロギの佃煮だった。嫌いじゃない。真っ白な机の上に真っ白な皿が浮き出てきて、そこに黒々としたコオロギが何十匹も煙を上げながらフライパンからなだれ込む。
「いただきます」
 コオロギの手足と羽のパリパリとした食感が好きだ。噛めば噛むほど味が出るところもいい。
 白くて丸いテレビでは、再来週に再び火星に向けて有人ロケットを打ち上げる予定だというニュースが流れていた。
「依然、二か月前の爆破が誰の犯行によるものかは判明しませんが、より一層厳重に警備を行い、入念に繰り返しシステムを点検し、何としてでも今回のプロジェクトで火星に永住する新人類を派遣します。つきまして、搭乗するメンバーは三十名。キャプテン他、操縦士一名、医者一名、技術者一名、科学者一名……」
「環菜、決勝戦はいつだ?」
 お父さんがご飯をかき込みながら尋ねた。両親は多分ソフトボール、というより部活自体をよく思っていない。私の意見を尊重してくれる教育方針だから直接的に言われることはないけれど、話の随所からその意思を感じる。確かに、高校生は部活だけに夢中になっていてもいい、みたいな楽な時代は終わっている。宇宙、ましてや火星に飛び立つには相当なお金とコネが必要になる。高校生よりずっと前から宇宙行きを目指して死ぬほど勉強している人だって多い。両親だって、できるなら私に地球から出てもらいたいだろう。
「決勝戦は、来週の日曜……」
「じゃあ」
 お母さんが食い気味に話しに入り込んできた。
「それが終わったら勉強に集中できるわね」
「そう……だね」
 お母さんは慌ててつけ足した。
「もちろん環菜が部活を一生懸命やってきたことは知ってるわ。頑張って欲しい。必ず勝てる」
 私は苦笑するしかなかった。
 お父さんが下手くそな助け舟を出した。
「それに、部活の功績も少なからず将来に役立つからな。お父さんの会社でもそうなんだけど、最近の若者は勉強しかしてこなかった奴らばっかりで、根本的な体力と打たれ強さがないんだ。結局仕事の重圧に負けて最初のやる気をすぐに失ってしまう」
「環菜、悪く思わないでね。私たちはただ、環菜にいい人生を――」
「うんうん、わかってるって」
 私は会話を終わらせた。
 いい人生。親が思う子どものいい人生と、子どもが思う自分のいい人生が一致することなどあり得るのだろうか。……あり得ているよね。親の示す方角に頑張って努力して進めば生活の水準は上がる気がするし、両親も私も笑顔で暮らせるんじゃないかと思う。
「でも、どうせ死ぬんだよ」
 今まで考えたことなかった。目の前に練習があったから。とりあえず部活を頑張らなきゃ、と思っていたから。でもその部活も終わる。
部活が終わったら、私は大学受験のために勉強するの? 
そもそも、部活ってそんなに大事? 
もしかしたら、私が本当にしたいことって……。
 頭がグルグルとしてきた。コオロギの乗った皿が凄い勢いで横向きに回転している。白い家の中がより一層白くなってきた。白くなかったフライパンや親の顔までが吹雪が襲ってきたように荒々しく白を塗りつけられていく。この部屋にはデジタル時計しかないはずなのに、またアナログ時計の針の音。コオロギ料理の皿の横に、大きなアナログ時計が登場し、私を侮蔑するように数字の中を同じ方向に疾走する。
 次の瞬間、時計の針がねじ曲がり、留め金が外れて私に向かって飛んできた。私は間一髪でそれを避けた。さらに、白しかない家の中に突如としてインクがぶちまけられた。赤のインクが血液のように派手に床に広がる。稲妻のような黄色のインクが、壁に亀裂を入れたがっているかのように鋭く放たれる。色と色が混ざり合い、最早何色とも言えない混合体が随所に花咲き、両親の顔にもそれは飛んできた。猛烈な速度で回転していたコオロギの皿には大きなひび割れが発生、しまいには分裂してしまった。驚くことに、分裂した破片はまたそこで小さな皿に変貌を遂げ、同じように回転を続けた。
 頭のグルグルは収まっていた。
 相変わらず家の中は白く、皿は割れずに回転もしていない。










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