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第十五章「至福」 小説『サークルアンドエコー』

 ずぶ濡れになって帰ってきた私を見て両親は驚きのあまり飛び跳ね、心から私を心配して接してくれたけれど、私にはそれを跳ね返すだけの覚悟があった。
 風呂に入り、晩ご飯を食べ、次の朝。風はまだ強烈だったが、雨が止んだタイミングを見計らって、私は荷物を持って家を出た。
 学校にいくわけではない。学校の前ではエリーが笑顔で待っていて、二人は並んで学校からも私の家からも遠ざかった。
 エリーの家は、六丁目の同じようなこじんまりとした一軒家が立ち並ぶエリアの中の、こじんまりとした家の一つだった。見事なまでにエリーには不釣り合いな場所だと感じ、私は口をあんぐりと開けていた。同士がいてくれて嬉しい、とでもいうようにエリーは微笑を浮かべたまま頷いた。
 エリーは一人暮らしだった。家族がいた形跡はあったが、少なくとも今は一人で暮らしていた。それ以上でもそれ以下でもない。私はエリーの家族について詮索しようとは微塵にも思わなかった。どうでもよいことだ。
 実家にも戻らない。学校にもいかない。部活にすらいかず、私はエリーの家に住み込んで、気の行くまで彼女と語り合い、作戦を練った。楽しくて仕方がなかった。決断が誇らしくてたまらなかった。罪の意識はなかった。家族のことも、部活の仲間のことも気にならなかったのは……間違いなく罪であるというのに。
 エリーの家は白色じゃなかった。いや、もう白色じゃなかった、と表現した方がいい。かつて私が自分の家で想像した「破壊」が、エリーの家の中では実践されていた。元白色の壁には、無数のペンキが塗りたくられていた。規則性はなく、ベタベタ、ギトギト、ブツブツ、グチャグチャ、ボタボタと汚らしく数多の色が混ざり合い、戦い合い、罵り合っていた。どこで買ってきたのか、床にはペルシャ風の絨毯が引かれており、頭上のLEDから放たれる白色の光線はカラーテープで赤や緑に色が変えられていた。
 エリーは右手に持っていたギターを私に手渡した。左手には、家事をこなそうと動き回っていたロボットの足が握られていた。
「私、ギター弾けないよ」
「違うわ」
 エリーはリビングを指さした。端正な白色の机と椅子。私の家にあったやつとそっくりだ。      
――いや、そっくりだった。
 エリーはロボットで、私はギターでその机と椅子を何度も叩いた。ソフトボールをやっていた成果がここにでた。バットを振る感覚でギターを振ると、素晴らしい音を立ててギターと椅子がぶつかり合う。ギターは六本の弦を振るわせて絶叫し、椅子は痛そうに呻いた。エリーは机の上にロボットの顔面を何度も叩きつけ、頭部のパーツが割れて配線が剥き出しになると、私たちは腹を抱えて笑った。
 二人暮らしは、自由とアイデアに溢れた大胆で楽しい時間だった。私たちは羽目を忘れて時間すらも忘れていた。
 二人で一緒に風呂に入り、大声でそれぞれが違う歌をブンブンブンと歌った。ロボットを壊してしまったので自分たちで料理をしなくてはならず、食材を八回連続で焦がした(料理なんて自分たちでやったことなどないもの)。壁にインクで字を書いてみた。キーボードではないとこんなに下手くそな字になってしまうのかと驚愕し、互いの字を見て笑いながら馬鹿にし合った。古い洗濯機を遠いガラクタ置き場から二人で担いで運んできて、汚れた服がグルグルと回転するのを嬉々として見つめた。洗濯物が洗濯されている様子を見られるだなんて画期的にもほどがある。服が綺麗になった後も三回くらい連続で洗濯機を回し、興奮してきた私たちはその間にメリーゴーランドのように、踊る洗濯物と一緒に回り巡った。服はすっかりやつれてヨレヨレになっていた。二人並んで歯を磨くだけでも幸せを感じていたし、寝る前に枕投げをしている瞬間は、生まれて初めて腹の底から笑い声が出た。
とにかく、楽しかった。

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