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小説感想『沈黙のパレード』

映画版と小説版両方のネタバレありです。

胸糞の物語です。
映画を観て、小説を短くしたからこんなに胸糞なのかと思ったら、小説もしっかり胸糞でした。
蓮沼という、凶悪犯罪者であることはほぼ確実なのに、沈黙を貫き罪には問われない男がいます。そいつを、彼の被害者たちが団結して殺すのですが、そこにガリレオが現れて、被害者たちの罪を暴く、そういうストーリーでしたね。

この構造が既に胸糞を確定させているのです。蓮沼という男は本当に底辺を極めたような男で、読んでいれば自然と被害者が気の毒になり、蓮沼を憎む気持ちになります。そんな男が罪にも問えないのだから、そりゃ被害者たちは自分らで蓮沼を懲らしめようと思うでしょう。当然です。そして、もちろん小説の世界だからですけど、僕は被害者たちに同情しているので、応援しました。
ですが、彼らのトリックは湯川先生によって暴かれ、結局蓮沼は苦しむことなくただ死んだだけです。そこが不満です。死んだからよかった、と被害者の気持ちが変わるとは思えません。散々覚悟して蓮沼を追い詰めることを選択したのに、いざ警察に追い詰められると、日常生活を守りたいという気持ちになるのは意味不明です
湯川先生に言っても仕方がないですが、解決するべきは、蓮沼が起こしたとされる二つの事件で、蓮沼が犯人だと断定することです。

読者は贅沢なことに二つの事件とも蓮沼がやったことを知っています。ですがその世界にいる当事者たちは、蓮沼に違いないとは思っているが、客観的事実はない状態です。不完全燃焼ですこんなの。蓮沼は法で裁かれることもなく、おまけにコロッと死んでいます。当事者たちが前を向いて作品を終わらせようとしていても、僕は全く納得できず、いやむしろ事件前よりも激しい胸の痛みを感じています。

この作品自体が、警察や法を批判しているようにも感じてしまいました。娘を殺した人は逮捕できないくせに、それを忘れているかのように、自分たちのことは捕まえて、罪を吐かせる。.......警察嫌いです。

警察は嫌いになったけれども、それでも湯川先生が嫌いにならないのは、今回の湯川先生は動く動機は、草薙という友人の力になりたい、という気持ちでした。草薙は23年前に蓮沼を罪に問えなかった後悔を抱えているのです。この2人の関係性は熱いですよね。湯川先生が年相応になってきているのも感動ですし、何しろ彼自身が友人を失った後悔を持ち続けている点が、大いに人間味があって好きでした。

(その点を踏まえると、映画版はより草薙の後悔と、反省、それを助けようとする湯川先生が強調されていて、小説読んだことで、映画が自分の中で再評価されました。)

もしかしたら、草薙と湯川先生の友情の側面から見ると、殊の外楽しめるかもしれません、ただやはり、小説単体では、2人の友情も草薙の葛藤も控えめですから、総じて胸糞が勝ってしまいます。

ガリレオは決してハッピーエンドが売りではばく、むしろ心にツンと残る嫌な気持ちが素晴らしいと思うのですが、今回はその塩梅が悪かったと思います、僕には。苦しすぎました。怒りすぎました。
でも湯川先生は好きです。年を経てさらに魅力が増しています。彼が食事を純粋に楽しみ、人との会話を楽しみ、生活を楽しんでいる描写はたまらんのです。そして実は誰かのために動いているのは。
彼の更なる活躍を期待しています。

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