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第十七章「行動」 小説『サークルアンドエコー』

 そこからの展開は、私自身でも自分が行動したとはにわかに信じがたい、冒険譚と呼んでも許されるくらいに壮大なものだった。SFチックで、おとぎ話のようにゆるやかで、夢でも見てるみたいに不完全で幻想的だった。
 空き缶を持ってエリーの家に帰ると、エリーは安堵の表情を浮かべて駆け寄り、ハグをしてくれた。それで十分。心の隅の隅にもしかしたら残っていたかもしれない微かな後悔すら綺麗さっぱりと消え去った。
 夕方あたりで私たち二人は荷物を持って家の外に出て、家に火をつけた。轟々と燃える家を背にしながら、私たちは軽い足取りで歩いた。エリーの家だけではなく、同じ姿形をしたお隣さんの家もまとめて全て燃えてしまっていたらいいと思う。
 バスに乗り、バスを降り、飛行機に乗った。生まれて初めての飛行機だったが、感動は特になかった。地上から飛んでいる飛行機を眺めた時の方がまだ感動した。
 飛行機から降りると、太陽の初々しい光が私たちを歓迎した。それからまたバスに乗ってニ十分くらいすると、広大な敷地を持つ白色の施設に入っていき、その中心部には巨大な宇宙船が静かに佇んでいた。
「懐かしいわ」
 エリーがそう呟いた。
 バスを降りると、宇宙船はもう目と鼻の先にあった。首を見上げても頂点が見えないくらいに大きい。
 私たちの他にも三百人以上の人が宇宙船の周りに集まっていた。一目ロケットを見てやろうと考えた野次馬もいれば、「火星移住反対」「地球を見捨てるな」「金持ちの特権を許すな」といったプラカードや電子板を掲げて熱心に抗議活動をしているデモ団体もいた。さらには、宇宙船に乗せてくれ、と立ち入り禁止エリアを警備しているロボットに頼み込んでいる人もいた。ロボット相手に土下座したり、ロボット相手に賄賂を握らせようとヤッケになっていたり。私たちは馬鹿にして笑った。
 マスコミのカメラがずらり。
自分が撮った写真を朝刊の表紙に使ってもらうことを生涯の目標にでもしているのだろうか。一秒に一回カメラの位置を修正する人。何か他社の記者の弱みでも握っているのだろうか。後からやってきたのに場所を譲られる太ったカメラマン。しょうもない。私たちの笑いは止まらなかった。
やっぱりそこにいる人々は皆真っ白な服を着ていて、エリーの肩と足が露出した真っ赤なドレスや、私のデニムオンデニムは異様に場違いだった。さすがにこの格好では人目を引いてしまう。私たちは鞄の中から真っ白な布を取り出した。二人と荷物がすっぽりと包めるくらいに大きな布だ。私たちは布を被り、立ち入り禁止のエリアに堂々と入っていった。
「こっちかな」
 右に進みかけた私をエリーが左に制した。
「こっちだよ。こっちは制御室」
「詳しいね」
「まぁね」
 誰も気がつかない。これだけ大勢の人がいるのに、これだけのカメラが立ち並んでいるのに、ロボット一台ですら私たち二人の不穏な動きに気づかない。まるで私たちが「透明マント」を着ているよう。けれど私たちが被っているのは白という名前のついた色の市販の布であり、透明でも何でもない。普通に視界に入ってきたら気づかない方が難しい。
建物が白いから? ロケットが白いから? 
入口にはさすがにロックがかかっていたが、私たちの存在に気がつかない関係者が入口に入る時についていけば余裕で中に入ることができた。
私たちは遠足気分で白すぎる廊下をスキップしながら進んだ。
「火星いきの宇宙船はどっちですか?」
布に入ったまま尋ねた。尋ねられた研究員は、自分の持つ電子端末から少しも目を離さず、「あっちですよ」と方向を示してくれた。無能すぎて呆れた。これがいい大学を出た頭のいい人たちなのよ、とエリーは冷たく言っていた。
さてはともあれ、私たちは火星いきの宇宙船に搭乗予定の人々と同じ待合室に入り込むことに成功した。
驚いた。その中にいた、初の火星人になる予定の人たちの服もまた全身白で統一されていたのだ。靴も、パンツも、シャツも、帽子も、髪も! 破滅寸前の地球から人類を代表して飛び立つ人々が、地球上の誰よりも地球人らしい服装でいる。こんなに馬鹿馬鹿しいことがあるだろうか。火星移住計画反対のデモ活動をしていた彼らに伝えてやりたい。もし伝えたら、あまりの愚かさに逆にデモの意欲がなくなるかもしれない。
彼らは分厚いステーキを頬張っていた。
「火星で牛が育つには少し時間がかかるからね。今のうちに地球でたらふく食べておかないと」
「ママ、おかわり頂戴」
「どうぞ坊や。満腹になるまで食べなさい」
 彼らはワインも飲んでいたし、新鮮な野菜や果物に生のままかじりついていた。
「んん、たまらない。この新鮮さこそ食べ物というものだ」
「お父さん、この野菜に虫がついてるよ!」
「ん? どれどれ本当だ。小さな幼虫だね。お父さんが取ってあげよう」
 その子のお父さんは、野菜から虫を剥がすと、地面に叩きつけて靴の裏で躊躇いもなく踏み潰した。
「よし、これで食べられるよ」
「ありがとう!」
「彼らが火星にいく目的は、第二の地球を作ることでもなければ、新しい地球を作ることでもない」
 エリーが声を低めて言った。
「今と全く同じ地球。つまり、この地球のコピーを火星に作ることが目的なのよ」
 アルコールに酔った彼らは、今にも踊り出さんばかりの能天気ぶりだった。投資やら起業やら、大人たちは自分がいかにして火星への切符を手にしたかを自慢げに語っていた。子どもたちは、そんな親の手柄をさも自分のことのように胸を張って復唱していた。
「大人たちを全滅させれば何とかなる、と思ったこともあった」
 とエリーは続ける。
「でも見てよ、この子どもたち。成長したらどんな顔立ちになるかなんて見なくてもわかる。それでは同じ。大人だけが全滅するよりも、まだ大人と子どもの両方が全滅した方がいい。要するに人類の滅亡ね。けれど、人類が滅亡したところでリセットボタンが押されてふりだしに戻るだけ。それに、人類が全て滅びるのだとしたら、私と環ちゃんも滅びてしまうってことよ。そんなの御免だわ。私は環ちゃんと二人の世界でもっと暮らしたい」
「わかってるよ、エリー」
 エリーは私がまだ迷っていると思って声をかけてくれたのだろうが、私の心は既に決まっていた。
 搭乗口が開いた。
「皆さん入ってください」
 と係員が言った。賑やかなムードで人々が宇宙船の中に吸い込まれていく。私たちもついていった。
「私たちが、生き残るのにふさわしい人間ね」

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