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小説感想『亀と観覧車』


ネタバレ気にせず

全てが繋がる感覚って、気持ちいいですよね。

全てが繋がる感覚というのは、例えばミステリー。犯人がわかった瞬間に、だからこいつはこの時こういう行動をとっていたんだ、と一気に一本の道ができてすっきりします。

この小説はミステリーではありません。むしろ全く逆の、僕の感覚では純文学寄りです。

ですが、最後まで読んだ時。正確には最後から数ページ前に差し掛かった時、僕は全てが繋がる感覚を経てすっきりしたと同時に、涙が滲みました。

それは、言葉で説明できる類の繋がりではありません。何故なら、ミステリーのような明らかに起こった出来事の繋がりではなく、感情の連なりが引き起こさせた類の繋がりだからです。

人殺しが善行をしたらおかしいと思います。せいぜい考えられるのは、改心したのかな、とか、殺された人に相当な恨みがあって本当は優しい人なのかな、程度です。例えその人殺しがどんな人生を送ってきたにしろ、僕たちの想像力はそこで止まります。
あくまで例ですが、この小説は、人殺しが善行をするに至った感情の動きが、理屈ではなく感覚でわかる小説なのです。

理屈で追ってはなりません。理屈だけで追うと、両親共に全く働かない、生活保護を受ける少女が、老人と恋に落ちて、母親を殺し、沖縄に移住するという、脈絡のない破天荒な話になります。まぁそれもそれで面白い読み方だとは思いますが、僕はやっぱり主人公の涼子の感情の流れが最後になって初めて繋がって、激情の渦に飲み込まれた体験が至福でした。

やっぱり涼子の感情を改めて言葉で述べることは難しいです。限りなく無理に近いです。そして共感なんてできません。
ですが繋がった気がします。そうでなければ、涙が出なかったはずですから。
言葉でなく心で理解した、なんて言えばくさい言葉ですが、絶対に理屈や言葉では理解できない「なんとなく」の世界が僕たちの感情にはあるはずです。

その「なんとなく」に触れられるのが小説のいいところですし、とりわけこの小説は、「なんとなく」が、よくわかる。

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