No.9/世界を学ぶ
19歳の冬。ヨーロッパへの挑戦を決めた。
当時は堂安選手がオランダへの挑戦をしていた。
本田選手は若い時、名古屋からすぐにオランダへそして世界へと羽ばたいた。
僕の中でオランダへ行くことは1つの目標だった。
そんな僕の思いがつまったオランダへの挑戦を決めた。
もちろん1人で行ったしオランダでの主なコミュニケーションはオランダ語だった。
最初は挨拶代わりの単語しかわからない中の生活。
ホテルを借りて1人でスーパーに行く毎日。
しかし自分の中で初めて『俺、チャレンジしてるな…』と思えた。
もちろん高校に上がる時、高校でドイツにいった時、ザスパに入団した時など…
たくさんのチャレンジがあった。
しかしオランダはまったく違ったものだった。
もちろん日本人もいないし、英語もあまり通じない。
正直、自分がどうやって来年のチームを見つければいいのかも分からない。
そんな中でまずはホテル近くのチームに練習参加をした。
今は名古屋でプレーしている千葉選手も所属していたチームだったので日本人の扱いは悪くなかった。
オランダリーグ自体が若手の有望な選手がたくさんいる。
トレーニングはもちろんだが試合を見に行った時も上手いなと思った選手の年齢を聞くと19歳から23歳くらいが多くて驚いた。
当時の僕は19歳だったので同年代で活躍している選手が多くいたオランダリーグは良い刺激の連続だった。
オランダでの生活を支えてくれた人物がいる。
それはこないだまで本田選手も所属していてサッカーをしている人なら知っているビッククラブのフィテッセというチームのの育成部をしているレオさんだ。
レオさんは僕をフィテッセの試合はもちろん練習やクラブハウスでの食事も連れってくれた。
驚いたのは急にフィテッセU6のセレクションで1人選んでくれと言われた時もあった。そのくらい信頼してもらっていたし僕も信頼している人だ。
選手としての現実は厳しかった。
練習参加をしていたクラブからはオファーをもらったが下部リーグだったため断っていた。
しかしオランダリーグはシーズン中だったため、なかなか他のチームへの練習参加も出来ない日々が続いた。
試合がしたい、もっとアピールをしたい、この時が1番苦しかった。
なぜかというとビザ関係での一時帰国の日が近づいていたからだ。
約3ヶ月の中で僕はチームを決めて帰国する予定だった。
しかし現実はチームどころか練習参加もできない状態だった。
そんな時、急に練習参加していたチームの練習試合に呼ばれた。
レオさんがその試合にたくさんのスカウト陣を誘ってくれた。
こんなチャンスはないと思った僕はできる事を精一杯ピッチで出した。
練習試合が終わってすぐレオさんに呼ばれた。
そこで次の練習参加チームと元フィテッセのコーチの家へのホームステイが決まった。
展開が急すぎて頭がついていかなかった。
海外ドラマを見ている気分だった。
しかし現実は帰国の時間が残り1週間くらいに迫っていたため練習参加は1度だけ。
このチャンスを掴めるかは自分次第。人生を賭けた。
そして練習参加の日。
チーム事情により帰国の前日も練習参加だった。
もう後はない…
練習が始まった、3部のチームだったためレベルも高く素晴らしいチームだった。集中力も身体つきもプロだった。
基礎練習ではアピールできたが、最後のミニゲームでは僕への信頼がまだないためパスが来なかった。
しかもチームのコーチに練習中に日本に帰った方がいいと言われた。
そして練習が終わり監督が来て『君が契約していたらクビだ』と言われたのが最後のオランダでのサッカーをした日になったのだ。
家に帰って悔しさよりも情けなさが大きかった。泣いた…
寝る前にレオさんから連絡がきた。
意外にも僕は気持ちを切り替えていた。
これだけ高いレベルで出来たこと、そして自分にはまだまだ伸び代があり課題が明確に見えたからだ。
僕はレオさんに励ましの言葉なんていらないから今後の僕の成長のためにアドバイスを聞こうと思っていた。
しかしレオさんに言われた言葉で僕はオランダに戻ってくると決めた。
そのチームの監督からまた来てほしいという話をもらった。
信じられなかったが日本に帰ることは決まっていたし、通用しなかった事も全ての現実を僕は受け止め日本に帰国した。
何も知らない僕のことを親切にしてくれたレオさんやフィテッセのスタッフも、そして僕はオランダという国が大好きになった。
そして帰国した僕はオランダに行くのか、
それとも違うチームへ行くのか…
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