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甘い夢を見れない男の悲劇

先日、経営者ならニコニコ機嫌良く過ごすことが組織運営には非常に重要である。との記事を書きました。笑う門には福来ると昔から言われます。それは、起業した当初の私がいつもしかめっ面をして怒っていた頃の反省を込めて書いたのですが、実は私がそんなダメ経営者だったのには理由があります。今日はその続きを以下に書いてみます。
先日の記事はこちら、

世界は幻想で出来ている

人間社会は仮想や幻想を共有するところから始めっていると言われます。法律や貨幣制度も実は幻想であり、本来は金額を書き込んだ紙切れに何の価値もありません。その真実を声だかに叫ぶ人が現れて、多くの人が裸の王様の寓話のように、紙幣に価値があると信じ込んでいる人が多くいるだけで、それは本当の価値ではないと気づいた時点で、貨幣制度もしくは法律自体も吹き飛んで意味をなさなくなってしまいます。なぜ人はそんな幻想を抱いてしまうのか?その答えは人がみな、生まれてから延々と教育を受けるからだと思うのです。そして教育とは親や学校で教わる事だけではなく、影響力のある様々な人や事象からも受け取り、人は知らない事に触れるとつい、それらを信奉してしまうものです。世界平和の実現に為に戦争を起こし、多くの人を殺害するなんて狂気の沙汰ですが、機関銃を打ちまくる人はそれを正しいと思ってしまう教育を受けただけなのです。

甘い夢を見始めた男はそれで終わり

私自身、社会に出てからも数多くの先達に師事したり、学びや気付きを得られる場に繰り返し足を運んだりして来ました。生き方が大きく変わる程の変化だった怒るのをやめるキッカケを貰ったコーチングと出会って自分自身の内面に向き合うようになったのもそんな数多くの自ら教育される為に行動した中の一つです。
実は、毎日ニコニコとご機嫌に暮らす事が出来なかったのは頭の中に焼き付いて取れないトラウマの様な思い込み、考え方が染み付いてしまっていたのが大きな原因の一つです。それは、中学生の頃から崇拝していたと言っても過言でない、浜田省吾さんの歌のフレーズが忘れられなくて、ずっと引きずり続けていたからです。そのフレーズとは「甘い夢を見始めた男はそれで終わり」との歌詞で、今もこれが真実ではないかと思ってしまっています。今改めて聴くと、そんなに衝撃的な歌詞でもないのに不思議です。

楽観主義の裏に埋め込まれた悲観主義

私は本来、楽観主義と言ってもいいほどに嫌なことは直ぐに忘れて前向きに物事を進めようとするたちで、未来に対しても希望的観測を持ちやすい方だと自分でも感じています。受験を控えた中学生の頃も全く将来のことなど考えず、なるようになると受験勉強など全くせずに遊びまくっていました。
ただ、17歳の多感な時期にのめり込んで聴いていた浜田省吾さんのメッセージ色の強い楽曲では儚く虚しいこの世に対する厳しい視点が数多くあり、彼にのめり込んでいた当時の私の世界観と言うかパラダイムは悲観的なレジスタンス的な思考に染まっており、それは深層心理の深くまで浸透しておりどうやら今も完全に拭いきれていないようです。その代表格が上述の甘い夢を見る事の戒めです。ちなみに、私が浜田省吾さんにのめり込む様になったきっかけの楽曲は「東京」で、初めてラジオから流れるこの曲を耳にした時、全身に電流が流れるように痺れたのを今も覚えています。多感な中学生にはあまりにも刺激が強く衝撃的でした。

楽曲による洗脳

若い時に浜田省吾の歌を聴きすぎたせいで、甘い夢を見ない生き方に完全に洗脳されてしまった私は、男たる者、のんびりと安穏にゆったり暮らすなど、あり得ないし、あってはならないと思い続けて来ました。それが一気に発現したのが未来に対して何の計画もビジョンも持たずに押し出される様に起業したタイミングでした。将来への不安と自分に対する自信の無さから必要以上にリスクに敏感になり、大工メンバーに対して米櫃の端をつつく様に細かいチェックをしては小さなミスをあげつらい毎日怒鳴り散らしていました。先行きに対して常に厳しく辛い視点を持たないと終わってしまうと信じ切っていたのです。完全に洗脳されている状態だったのだと思います。

戒めをトラウマに

初めて浜田省吾の「東京」を聴いてから40年以上が経ちました。にも関わらず未だにその歌のフレーズが頭をよぎるとは、音楽が持つ影響力は本当に凄いと思います。冒頭にいつもしかめっ面して怒っていたダメ経営者だった理由の一つに浜田省吾の歌のフレーズがトラウマになっていると書きましたが、今振り返ると、しかし、その影響は悪いことばかりでは無かったと思えます。元々、楽観主義のお気楽な若者が先行きを考える事なくいきあたりばったりで行動し続けるとロクな結末を迎え無いことは明らかです。楽観主義者の私にはリスクに向き合う姿勢が必要で、自分でもそれに薄々気づいていたからこそ、甘い夢を見ない様に戒めていたのかも知れません。その意味では浜田省吾さんに私の人生は随分と救われたのかも知れないと思うのです。物事には良いも悪いも無いと言われますが、まさにすべからず表裏一体だと思うのです。

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