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SHOKUNIN プロフィール
人はどうして生きているのだろう・・・
そう感じたことはないだろうか?
悩まない人はいないだろう。
何も悩まずに生きていける人生、それは羨ましいようでつまらなくも感じる。
もし、そんな人生をおくることができるとしても、自分は望まないだろう。
人は悩むからこそ、人なのだ。
人生は簡単ではないが、その難しさこそが私たちをより良い人間に変える
人生は簡単ではないからこそ、生き甲斐がある。そして成長させるのだ。
そして、自らの思考を持って伝えていかなければならない。
そう、人のために尽くせる職人として。
プロフィール
私は理学療法士である、とともに養成校教員でもある。
紆余曲折の後に今の状況に辿りついた。
何か信念があったのか、そうとは言い切れない。
人は信念を持って行動する生き物なのだろうか?
私はその信念を貫くことができなかったし、その能力がなかった。
若くして、信念を貫き大成する人を見ると、本当に素晴らしいことだと思う。
ただ、それができないのが私であって、その結果今の行動を行なっているのも私だ。
私の信念は時々によって変わるようである。
しかし、一つだけ変わらない信念がある。それが、
「理学療法士という職人であれ」ということ。
そして、誰かのために患者のために尽くす人であれということだ。
くどくどと文章を綴ってしまっているが、ここでプロフィールを挟みたい。
性別:男性
年齢:40代中盤(今は)
所在地:山口県
現職:理学療法士養成校教員
理学療法士経験:20年以上
急性期から回復期、療養型まで幅広い病期を経験
整形外科や神経内科から難病、重症心身障害児者まで多くの診療科を担当
といったように医療保険の分野はほぼ経験
介護分野の経験がないことは欠点
PhD 博士号(保健学)
認定理学療法士(運動器・脳血管・呼吸)
専門理学療法士(運動器・スポーツ)
好きなもの:汁なし担々麺(広島の名物;個人的にはお好み焼きより名物と思っている)
習慣:定期的に自分を律するが、その度に落ち込む
こんな構成要素で成り立っている。
一様、やってきたこととしてよければこちらもご参照ください。
と、まあざっくりとこんな人間。
信念があるようで固まりきらない人生。
そんな人生の中で、このnoteを通じて自分を考えを表現してみたいと思っている。
そして、職人として患者さんに貢献してもらえる人材を増やしていきたい。
職人でありたい
職人というと手仕事や工芸品、建築など物を作り出すプロを想像するだろう。
では、物を作り出すわけではなく、人に対して技術を提供する理学療法士は職人であるのか。
職人は、
「特定の技術や職業に対する高度なスキルと専門知識を持っている」
と定義される
「特定の技術」「専門知識」「高度なスキル」
このどれをとっても、理学療法士が持つべき資質に当てはまる。
これであれば須く理学療法士も職人としての認識を持つべきである。
そして、職人は誇りを持ち、自分の仕事に誠実で責任感を持つ必要がある。
患者さん、利用者さん、そして近年では予防目的の健常者まで、
それぞれの対象者を良い方向へ導くこと。
それが、物を作るわけではない、理学療法士としての職人の仕事ではないか。
私は理学療法士という職人であり続けたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1707058206697-b3hRV1SI9z.png?width=1200)
人生として
人生は成長の機会である。成長の機会を逃す者は、人生を逃すことになる。
職人としては、常に高いポテンシャルを発揮し、対象者を良い方向へ導く必要がある
そのためには、成長が必要である。
アインシュタインの言葉にあるように、人生そのものが成長することでなりたる。
成長をしないということは、人生の歩みを進めることができないということになる。
自分が一日でも成長していないなら、その日は無駄だったと言える。
日々成長をすることで人生を歩んでいける。
職人としては尚更であり、その一日一日が成長であり、職人の質を高めることにつながる。
つまり、職人である以上、人生全てとリンクしてくる。
ということは常に学び続けなければならない存在だ。
自分の人生
理学療法士として職人として、学び続けてきたつもりではある。
しかし、冒頭で述べたように、私は信念が弱い。
その時々によって変わる。職人であるということ以外は。
以前は職人であるということは、自分が見合う力を持っていればいいという考え、信念であった。
とにかく自分を昇華する。
それが成長であり、対象者に貢献するものであると考えていた。
マリー・キュリーは、
「知識は力であり、教育はその力を解き放つ手段です」
と残している。
自分の力だけでは、限られた人にしか技術を提供できない。
しかし、教育という力を使って、知識を解き放つ。
その先に、大きな学びがあるのではないかと思った。
だから、私の今の信念は、
「いかにスキルを伝承するか」
ということにある。
養成校教員ということを通じて、それを具現化していくことが、これからの課題であり、私の成長であり、人生である。
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このnoteで
「私は弱い」
この歳になるまでは、40代になるまでは、私は強いと思っていた。
私は努力していると思っていた。
そして、現在 俯瞰的に見て気づいた
「私は弱い」 と
もっと努力している人はいる。
もっと才能のある人はいる。
もっと患者さんに貢献している人はいる。
もっと、もっと、もっと・・・
その中で自分にもできることがある。
そこにも気がついた。
自分というちっぽけな存在、弱い存在でも、
こうやって伝えることができる。
教育に携わることができる。
これを喜びに感じ、次の世代へ紡いでいく一ピースになれば本望である。
もう遅いかもしれない。
でもこれからを見ると、今が一番若い。
できることを提供したい。
もう一度、初心にかえってみようと思う。
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