【日本昔ばなし食農編】イナゴ相手にわざわざ訴訟を起こした村の顛末 :-)
イナゴを召喚す
400年とすこし前。
織田信長が生きていた時代の終わりごろ。
九州に、キリスト教の村がありました。
フランシスコ・ザビエル率いるイエズス会の宣教師たちが、布教に成功していたのです。
ある年のこと。
イナゴの大群が発生し、稲を食いつくしそうになっていました。
怒った村人たちは、宣教師に相談しました。
宣教師は言いました。
「イナゴを裁判にかけましょう」
「は?」
「イナゴを裁判にかけ、神の裁きを受けさせるのです。ヨーロッパでは時々やっていますよ」
「イナゴの裁判ですかい?」
「イナゴもそうだし、バッタやネズミも裁判にかけます」
宣教師は「召喚状」を書き、村長に手渡しました。
「これを、イナゴに渡してきてください」
「は?」
「裁判に出頭するようにという、イエズス会からの召喚状です」
「はあ…。しかし、どのイナゴに渡してきたらいいんですかい?」
「主犯格のイナゴに渡してきてください」
「は?」
「どんな犯罪でも、主犯格はいるものです」
「いや、あの、主犯格といわれても…」
「そうですか。ではこうしましょう。イナゴが群れになっているところに出向き、召喚状を読みあげなさい。あとは彼らのほうで代表者を選ぶでしょう」
「はあ…。そんなものでしょうか…」
宣教師がマジメに淡々と話すので、村長は反論できずに召喚状を受け取ってしまいました。
そして、まだイナゴがうろうろしている田んぼの前で、召喚状を読みあげたのです。
よく聞け。神の意にそぐわぬ行動をするイナゴたちよ!
貴君らの裁判が行われる。
明日の夕刻、村の広場で行われる臨時法廷に出頭せよ。
裁判はじまる
翌日の夕刻、村の広場で臨時法廷が開かれました。
開始10分前の臨時法廷の様子は、こうなっていました。
臨時法廷の周囲(傍聴席)には村人が集まっています。
宣教師が裁判長の席に座っています。
村長が原告席にいます。
被告席は空席です。
被告席の隣には、もう1人、若い宣教師が座っていました。
「あのお若い宣教師のお方は、なぜあそこにいるんですかい?」
村長の問いに、裁判長の宣教師が答えました。
「彼は被告の弁護をするのです」
「は?」
「裁判は公正に行われなければなりません。イナゴにも弁護人がつくのです」
10分がたちました。
「裁判を始めます」
裁判長が言いました。
「では村長、訴状を読みあげてください」
「は?」
「昨日、訴状を書きなさいと言ったでしょ。書かなかったのですか」
「あ、はい。書きました。これのことですかい。では、えへん、読みます。
わたしらはイナゴを訴えます。
イナゴどもは許可なく村の田んぼに入り込み、稲を食い荒らしました。
このままでは村に餓死者が出るかもしれません。
許せんです。
神の裁きをお願いいたします。
「次は被告人」
と裁判長。
「おとなしく神の裁きを受けますか? いいわけがあるなら申し立てなさい」
しーんと静まりかえっています。
「被告人のイナゴは欠席ですか?」
当然ですが、返事がありません。
すると、弁護人の若い宣教師が立ちあがりました。
混迷する主犯さがし
弁護人が言いました。
「裁判長。イナゴは欠席です。それには理由があります」
「なんですか、その理由というのは」
「どうやらその、ここに来る道が分からなかったようで」
「村の広場に来るように伝えたはずですが?」
「ですが彼らは、別の村から飛んできたものですから、この村の地理には詳しくないのです」
「なるほど。それはそうですね」
なるほどじゃないでしょ、と思ったあなた。
16世紀には、そんなツッコミをする村人はいませんでした。
「ではしかたがない」
裁判長は言いました。
「誰か、迎えに行ってイナゴをここに連れてきなさい。それまでしばし休廷します」
村長の指示で、村人の1人が田んぼからイナゴを1匹、取ってきました。
イナゴを布袋に入れて逃げないようにし、その布袋を被告席に置きます。
イナゴが袋の中で暴れ、ゴソゴソ音がしています。
こうして、法廷は再開されました。
裁判長がおごそかな口調で言いました。
「ではイナゴよ。おとなしく神の裁きを受けますか? いいわけがあるなら申し立てなさい」
布袋がゴソゴソしている以外は、しーんと静まりかえっています。
「被告人。黙秘権というわけですか?」
すると、弁護人の若い宣教師が立ちあがりました。
「このイナゴは主犯格ではありません、裁判長。ですので、答えられないのです」
「では主犯格はどこにいるのですか?」
「分かりません。このイナゴにも、主犯格が誰なのか分からないと思います」
「しかたがありませんね」
裁判長は言いました。
「ということは、欠席裁判ということにならざるを得ませんが…」
「やむを得ません」
と弁護人。
「慈悲深いお裁きを、お願いいたします」
いよいよ判決、下る
慈悲深いお裁きを、ということでしたが…。
結局、判決は
イナゴよ、神聖なる裁判を欠席したからには神妙に聞け。
村人が心をこめて作った米を勝手に食べた罪により、汝(なんじ)らを破門に処す。
というものになりました。
村のあちこちに立札が立てられ、イナゴが破門になったことが伝えられました。
破門? そもそもイナゴは信者だったの? と思ったあなた。
16世紀には、そんなツッコミをする村人はいませんでした。
イナゴに神罰が下ることが決まり、喜ぶ村人たち。
しかし同時に、「破門」という言葉に、あらためて恐れを感じました。
イエズス会の信者にとって、破門とは、
「神様に破門される」
ということです。
お茶や生け花の師匠に破門されるといった話ではありません。
ほかでもない、神様に破門されるのです。
これは、
「もはや救いはなく、地獄に行くしかない」
ということを意味しています。
生きとし生けるものにとって最悪な処罰です。
死刑のほうが、まだましなのかもしれません。
現代に生きる筆者の私だって、イエズス会の信者ではないけれど、神様や仏様に破門されたくはありません。
それほど恐ろしい判決が、イナゴに対して下されたわけです。
判決が下りて数日後。
稲を食べつくしたイナゴは、一部はもはや食べるものを失って餓死し、残りは次の田んぼを求めて別の村に去っていってしまいました。
いずれにせよ、この村からイナゴは消えました。
村人は
「破門のせいでイナゴが消えた」
と考えました。
イエズス会の宣教師たちも、本気でそう思いました。
こうして、イナゴ裁判は終結し、刑は執行されたのでした。
「でもなあ…」
宣教師たちのいないところで、村長はつぶやきました。
「結局、村の稲がぜんぶ食べられてしまったことに、変わりはないんだけど」
おわりに
以上でフィクションは終わりです。
しかしこの話は、根も葉もないものではありません。
じつを言いますと、害虫を裁判にかけるということが、中世のヨーロッパでは普通に行われていました。
有罪になった害虫が、破門されていたというのも事実。
裁判のときには弁護人がちゃんとついていたというのも本当です。
驚いたことに、有能な弁護人のおかげで害虫が「無罪」を勝ち取るケースも実際にあったようです。
~おしまい~
以前、下の記事を書きまして、今回はこれを、フィクション風にやってみたものです。
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