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昨晩は、実家の箱根の友達と会おうとなって、仕事が終わって箱根へ。

山の中の道を、もう暗いから、猪や鹿が飛び出してくるのに気をつけながら走った。

弟の同級生がやっている居酒屋へ。行ってみると、地元に住む男子メンバーが仕事おわりに作業服で一杯やってる延長という感じ。

「オンナノコは?」と聞くと、「もう50じゃねえか。コじゃねえだろ。〇〇が家の夕飯作ったらくるよ。」とツッコミが入りながらも、
そうそう、お母さんって忙しいのよ。私は早くにお母さん行終えちゃったな。と思った。

改まってみると、集まったメンバーは、バラエティ豊か。
消防士さん、ゴルフ場の偉い人、現場監督、設備屋さん、酒屋の息子。
今は結果として、皆、なるようになっていっているのだけど、あの頃は箱根山のカルデラの中で外の世界があるなんて夢にも思わずに過ごしていた。
同級生は 60人。保育園から中学まで一緒。窮屈で、本当に特殊な人間環境で思春期には拗れることもあった。
でも。
夕日と流れる雲をいつまでも眺めたり、自転車で爆走し野犬に追われたり、ザリガニを釣ったり、頭に浮かぶ思い出の絵面が全てキラキラしている。
旅館をやってる友達の家の布団部屋で焼き芋を食べた。それまでキラキラしているんだから、これは感傷なのか?

実際に全てが自然の気が充満してしている中での風景だから、本当にキラキラしていたんだと、思うのだけど。

私は感受性の豊な子だったので、とってもめんどくさい奴だった。
今、おばちゃんになって俯瞰してみると全く恥ずかしいのだが、それが役立って、思い込みの激しさで漫画を描いているんですよ。自分の中のめんどくささの性の使い道が解って本当によかった。この一点で、よく頑張ったぞ自分と、思っている。

まあ、そう。こんな私と子供時代を過ごしてくれたみんな、ありがとう。

酒屋の息子がつくった地ビールを飲んだ。知っているビールよりも苦くて重い。
「あまりキンキンに冷やさないんだよ。ビールの味がよくわかるから。」
と子どもの頃は本当にヤンチャだった彼が言った。

なんだか、大人になったなあ、と思った。
いや、というよりも、みんな、よりその人になった。
味が詰まって密度が濃くなった。冷やして誤魔化したりしないで、人間の体温がある。

たくさんの思い出話をした。
保育園の時に椅子に敷いていた防災頭巾。今やゴルフ場の偉い人になった彼の、その後ろの紐を私がちぎってしまった話になった。本当に心から謝罪した。45年前のことをお互いにリアルに語り合いながら「これはなんだ。」と思った。不思議な感覚。
それからも全員で、あの時ああだった、こうだったという 40年前のエピソードが山のように出てきて不思議な感覚は続いた。

同じ体験を持っているお山の子どもたち。ああそうだな、我々は、童話の「やかまし村の子供たち」だった?ダサすぎることが満載で、今までは見たくなかったあの頃だけど、
まるで、今のわたしたちから、あの頃のわたしたちを覗き込んでエールを贈った、そんな不思議な夜だった。



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