親の介護と自分のケアの記録 その7 2021年5月

親に由来すると思われる生きづらさを抱え、3月からカウンセリングに通い始めました。これから介護などの必要が生じて親と向き合わなければならなくなる前に自分の問題を棚卸ししたい。そうカウンセラーに伝えた矢先、母が脳梗塞で入院することに。自分を支えるために、その経過を記録していきます。
が、母はまだ入院中なので、ほぼ単なる実家片づけ記と読書メモになっています…

月に2~3回くらいは書いていくつもりだったのに、ついまるまる1カ月ため込んでしまった。5月にあったことを、記憶をたどってざっくりとメモ。


5月から6月初旬にかけて、プロの方(片づけアドバイザーさん)に来てもらって集中的に実家を片づける日を3日つくった。


1回目は5月2週目。Nさんに来てもらい、まずはキッチン。

既に食品は相当数捨てていたが、まだまだ捨てるものが出てくる。

これを捨てたら母が怒るだろうか、悲しむだろうかという気持ちがよぎったりもするが、そこで迷いだすときりがなくなるので、ばっさばっさと捨てに捨てる。これを一人でやっていたら手が止まりまくっていたと思うが、隣にNさんがいたことで気持ちをぶらさずに作業できた。

可燃ごみ、不燃ごみ、それぞれ45リットルのごみ袋で10袋ずつは出しただろうか。当たり前だが、皿類を入れたごみ袋はずっしりと重い。スペースの小さい不燃ごみ置き場は、わが家のごみでほぼ専有されてしまう。管理人さん、すいません、すいません、と思いながら出した。

部屋とごみ置き場を往復していたとき、同じ階のMさんとばったり会い、思わず声をかけた。向こうは「え、誰?」という反応。20年以上ぶりなので無理もない。「同じ階のSの娘です」と言うと、「あらー!」と驚かれる。「実は、母はいま入院中でして…」としばし立ち話。Mさんはだんなさんを亡くし、いまは一人暮らしだという。もう90だと言われ、こちらもびっくり。とてもきれいな枯れ方をされていて、少しみとれてしまう。

予定の時間になりNさんが帰ったあとも一人で作業。多すぎる手作りジャムや梅酒のたぐいの瓶のふたを開け、中身を出し、瓶を洗う作業をひたすらやる。古くてふたが開かない瓶が多く、途中で泣きそうになる。瓶のふたを開ける動作をやりすぎて、親指のつけ根のあたりが痛くなってきた。

キッチンとリビングを進めるつもりが、この日はキッチンだけで終了。キッチンも80%といったところだが、とにかく物が減り、圧倒的に身動きしやすくなった。「なんで片づけなきゃいけないんだ」と言っていた父も、「すっきりしたなあ」とまんざらでもなさそう。

一気にがらんとしたキッチンを眺めて達成感は感じたが、大人2人が専念して取り組んでも1日1カ所しか終わらないことがわかり、改めてこれからの大変さを思う。


5月第3週。今度はMさんに来てもらい、父の寝床である和室に取りかかった。和室といっても畳はぼろぼろで、その上にござを敷いてごまかしているというお粗末な部屋。K関連の本、カセットテープ、ビデオテープが棚を占領しており、それらは全く使われていない。一方、いま読んでいる本などは床に積み上げられ、床が見えないような状態。

Mさんは来るなり、あいさつもそこそこに、すぐに作業モードに入った。勢いのある人で、こちらもその勢いに乗って思わずきびきびと動く。

Mさんが押し入れの天袋をチェックすると、ホットカーペットが入っていた段ボールなど、かなりどうでもいいものが専有していた。ほか、恐らく母が上京した際に持ってきたのであろう行李、浮世絵の版画?などが出てくる。段ボールを処分すると、かなりのスペースが確保できた。

押し入れも、無駄に何個もあるクッション、布団袋などを処分すると、かなりの空間が空いた。

棚から出したK関連の本やらビデオテープやらをどんどん段ボールに詰め、天袋と押し入れの空いた空間に入れていく。

K以外の本は、リビングで絵を描いている父の前にどんどん積み上げていき、要不要を判断してもらう。父は思いのほか判断が速く、90%くらいは不要となった。そこからさらに、古本として少しは値がつきそうなものは段ボールに詰め、素人目に見てもこれは売れないでしょうというものは縛って古紙回収に回す。これで100~150冊くらいは処分できただろうか。

午後には、数日前に段ボールにまとめてあった父と母の不要本2箱分を古本屋に送るべく配送業者に持っていってもらった。

がらんと空いた棚に、床置きされていた本やら、父の絵の道具やらを配置していく。今まで乱雑に床に置かれていた父の本たちは、ざっくりとジャンル別に整然と並べられ、床が見える。床が見えると、気持ちがいい。

作業しながらMさんと、「実家に数時間いるとだんだん耐えられなくなってくる」という話で盛り上がる。Mさんもご両親との間に葛藤を抱えていて、そのことをご著書の中で書いていた。それもあり、事前に一度会って両親との間の葛藤やKのことを伝えたうえで片づけサポートに来てもらった。

Mさんに頼めてよかった、助かった…と心から思う。

親指のつけ根はまだ痛む…


5月の終わりごろに病院から電話があり、6月初旬に面談をすることに。母からも電話で「退院は7月になりそう」と知らされる。

母は、「医者からは施設に入ったほうがいいんじゃないかと言われたけど、断固として抵抗した。家に帰りたい一心でリハビリに励んでいる。施設に行けと言われたら、リハビリへの意欲が一気に削がれてしまう。そう医者に伝えたら、それならば、やはり家に戻る方向で考えていきましょうと言ってくれた」と言っていた。

まあ、母としてはそういう反応になるだろうなと思いつつ、ずんと胸に重いものがきた。右足には重いマヒがあり、左足は左足でもともと弱い。足のリハビリは難航しているのだろう。


6月からカウンセリングを再開することにした。3月上旬に初回で行ったきりだから、3カ月空いた。生理前のイライラが以前よりひどくなっていたりして、ここ最近のストレスを自覚している。

介護職員初任者研修は淡々と進んでいる。5月後半からは実際に体を動かす講習が多くなってきて楽しい。「半身まひの被介護者を想定してやってみましょう」というのが多いので、真剣になる。実際にやってみたら、きっとまた全然違うのだろうけれど。衣類の着脱や、ベッドからの起き上がり。今まで当たり前のものとして気にも留めずにやってきた行為をパーツごとに分解してみるのが新鮮。


読書メモ。

『全員悪人』 村井理子

友人が貸してくれた。認知症になった老女のモノローグという体裁。認知症を患った著者の義母との対話から生まれた作品のよう。

ふと妄想が頭をよぎる。それは誰にでもあることだと思う。例えば、夫が誰か女性と話していて、あの2人、できてるんじゃないだろうか、みたいな。そんな小学生レベルの妄想を、人はいくつになっても抱くことがある、と思う。だけど、次の瞬間、「いやいや、あたしばかじゃないの?」とか、自分にツッコミを入れて流し、日々を平穏にすごす。

だけど、この老女は、ある妄想が頭に映像として浮かんだとき、それをはっきりと見たと思い、見たのだから真実だ、と短絡してしまう。ひとりツッコミが入る余地がない。一瞬妄想を抱いてしまうところまでは自分と一緒だから、自分と地続きのものとしても感じられ、かなしく、怖かった。

この老女には夫と息子がいる。夫と息子にとっては、この妻/母の状況は相当にしんどいだろう。もちろん義理の娘に当たる著者の苦労も相当なものだ。こうやって書きでもしなければやってらんないよ、みたいな側面もあったかもしれない。が、夫と息子に比べると精神的ダメージは少ないだろう。

何を思ったかというと、「家族」ということになってはいるけれど、老女との間に精神的には距離がある著者の立ち位置に一種の希望?を感じたのだ。血縁や配偶者だと、変わってしまった当事者にどうしても心を乱されるが、ヨメという立場は、血縁者や配偶者が受けるような精神的な傷は恐らくほぼ受けないように思う。そうやって冷静でいられる人が「家族」の中に一人いることは結構強いだろう。今まで、ヨメの立場の人に介護負担が集中しがちなことはけしからん、みたいな視点でしか捉えられていなかったけれど、少しそれとは違う視点を持てたというか。その気づきが自分の中ではちょっと新鮮だった。

 家族が忙しく働いていると、私も何かやらなければという気持ちになってくる。特に、家に知らない女性が入ってきて、私のお気に入りのキッチンや、私の大事な洗濯機を使って家事をしはじめると、いてもたってもいられない気持ちになってくる。
 家族の役に立たなければ、私はこの家にいる資格がない。お父さんが女性を家に入れるようになったのは、遠回しに「お前は役立たず」と私に伝えたいからなのだ。(P138)

 夫の実家に、あと数年で100歳になろうという夫の祖母がいる。少し認知症がある。彼女のベッドからはキッチンがよく見える。彼女がぼんやりとキッチンのほうを見ていることがよくあり、その光景を思い出しながら読んだ。


『静かなる変革者たち』 横山恵子 蔭山正子 こどもぴあ

サブタイトルは「精神障がいのある親に育てられ、成長して支援職に就いた子どもの語り」で、まさにそのままの内容。4人の方のそれぞれの語りと、4人+研究者の座談会録なども収められている。

何かでたまたま知って少し気になり図書館で借りてみたが、読み出したら止まらず、一気に読んだ。お母さんが精神障害を発症、お父さんは仕事が忙しくてほぼ家にいない、そのうちお姉さんも発症、みたいな大変過酷な状況を生き延びた方もいて、読みながら、「ああ、大変、大変…。ほんとうに大変だったねえ…」と親戚のおばちゃん?のような心境で読んだ。

読みながら、自分のことも振り返った。母は若いころから不安神経症的なところがあり、父はうつ病になった。が、2人とも仕事はどうにかやってこられ、経済的に大変な状況にはならなかった。が、私はずっとどこか苦しさを抱えている部分がある。Kのこともかなり大きいと思う。そういえば、大学進学のとき、芸術系か福祉系かで迷い、結局芸術系の学部を選んだが、その後も福祉とか障害者の分野にはぼんやりとした関心を持ち続けている。

 こうした偏見は社会にだけあるように思いますが、それ以上に精神医療や福祉に関わる支援者、家族やご本人の中にも存在します。これは、社会の偏見を自分の中に受け入れた状態であり、セルフスティグマ(内なる偏見)と言われ、その人の行動に大きな影響を与えます。
 ある精神科医が、私に教えてくれたことがあります。
「精神障がいについての偏見は、一般の人よりも、医療者の方が強い。医療者よりも強いのが家族。一番強いのが、当事者だよ」
 その話を聞いた当初は、とても意外でしたが、私自身も最近、そのことを強く感じるようになりました。このセルフスティグマは、支援者の中にもありますが、それ以上に家族や本人の抱えるセルフスティグマは強く、それが自らを苦しめるとともに、他者への相談や受診の遅れにつながります。外界との関係を閉ざし、回復への一歩を踏み出す大きな障害となっているように思います。家族はもっと支援者とつながりましょう。家族だからできることもありますが、支援者の方ができることが、たくさんあり、うまくいく場合が多いのです。ぜひ、支援者を頼ってほしいと思います。(横山恵子 P244-245)

同じ編著者で、『精神障がいのある親に育てられた子どもの語り――困難の理解とリカバリーへの支援』という本も出ているようで、こちらもぜひ読んでみたい。


『悲しみとともにどう生きるか』 柳田邦夫 若松英輔 星野智幸 東畑開人 平野啓一郎 島薗進/入江杏 編著

編著者の入江杏さんは、世田谷一家殺人事件のご遺族の方。グリーフケアの活動を続けておられ、その集会での講演録などをまとめたもの。

 そういう時に、専門的職業人である裁判官や医療者などが持つべき視点として「二・五人称」というキーワードをつくりました。自分も二人称の立場になって寄り添うとなると、あまりにも過剰に寄り添い過ぎて、感情を同一化してバーンアウトしてしまう。かわいそうと思うあまり公平性や客観性を失って、支える側も倒れてしまう。(中略)
 二人称では感情が入り過ぎる。かといって、三人称では冷たくなる。(柳田邦夫 P36-37) 
 ある日、その病院に行ったら、本当に体の小さな、寝たきりのおばあさんがいたんです。もう自分で体を動かすこともできない、精神も弱ってしまった小さなおばあさんです。
 その時、私はその人の姿を見て、「ふっ」と笑ってしまったんです。もちろん、げらげらなんて笑わないですけど、「ふっ」って笑った。理由はわかりませんでした。
 しかし、今になって思うと、精神がある限界に来ていたのだと思います。あまりに深刻な現実に耐えきれない私は、「ふっ」と笑うことで我に返ろうとした、ということを心理学的に説明できることも、今はわかります。
 でも、当時の私はそんなことはわからない。「どうして、おまえは、あの時、あんな光景を見て笑ったんだ」と自分に問いかけ続けた。笑った自分が許せなくて、私は介護という現場に入ってみようと思ったのです。今みたいに介護士という資格のない時でしたから、とりあえず介護に関わる物を売る仕事から始めたというわけです。
 私の人生に影響を与えてくれた人は何人もいます。しかし、この寝たきりの女性を凌駕する経験はそう多くありません。彼女は、社会的にはおそらくほとんど「非生産的」だと思われる、寝たきりの老人です。しかし、それは外面的な意味に過ぎない。彼女の存在は、少なくとも一人の若者の命を救ったのです。計り知れない意味の重みを持って存在していたのです。
 自分が他者に何を与えられるかを人はほとんど知らないのだと思います。また、逆に何かを与えていると思っている時は、相手にとってはいらないものだということが多いかもしれません。与えるつもりなんかなくて、朝、明るい声で「おはよう」と声をかけただけでも、声をかけられた人は幸せな気持ちになって、そのことをずっと忘れない、ということもある。人間が人間を幸せにするというのは、本当に些細なことが影響しているのではないでしょうか。(若松英輔 P77-78)
 津久井やまゆり園事件の植松容疑者(当時)が障害者の殺人を「生産性」というロジックで正当化していました。彼が考えているのはコストパフォーマンスの思想です。あの事件がものすごく大きな衝撃を与えたのは、事件の被害者の数の多さだけではなくて、犯人が言っていることが、僕らが普段考えていることと深く重なっていたからです。コストパフォーマンスをよくしましょうとか、効率性を上げましょうとか、説明責任を果たしなさいとか、僕らが普段考えているのと同じ発想を行き着くところまで展開させると、やまゆり園の事件になってしまう。
 説明責任のことをアカウンタビリティーといいますが、アカウントはもともと会計という意味です。そういうことを書いたのが、グレーバーという人の『官僚制のユートピア』という本です。これ、めっちゃおもしろいです。(中略)
 そうやって説明責任やコストパフォーマンスや効率性を求めて、誰がやったんだ、誰がどれぐらいやったんだ、と責任の所在を明確にしていくとアサイラム化していく。「これ、誰がやったんですか!?」と言っていた学級会と一緒ですね。僕らは本来民主主義を学ぶはずの学級会で、なぜかアサイラムのつくり方を学んでいるといってもいい。(東畑開人 P135-136)
 震災の時にもう一つ思ったのが、「当事者」と「非当事者」という分け方を当たり前のようにしているけど、実際は「当事者」と「準当事者」と考えるのが正確なのではないかということです。というのは、「当事者」という存在が概念として成り立つのは、「当事者ではない人」との相関関係においてです。ということは、もう少し俯瞰した視点から見ると、当事者の周辺にいる人も「当事者ではない」というあり方でその問題に関与している。つまり、「当事者」と「準当事者」というかたちで問題を捉え直すべきではないか。社会の中には、「当事者」がいて、その同じ社会に住んでいる以上、「非当事者」というのはいなくて、それ以外は「準当事者」がいると考えるべきなのではないかと思ったのです。(中略)
 そう考えると、僕たちが例えば被災地の問題をうまく書けるかどうかと感じているのは、実は「非当事者」だから書けないのではなく、「準当事者」という微妙な関わり方だからこそ余計に心理的にうまく関与できないのではないかと思うわけです。
 これについては、犯罪の問題を考える時にも同じようなことが言えるでしょう。「犯罪があって、被害者がいて、加害者がいて、周りの人は『当事者』ではありません」と、僕たちはつい考えがちです。けれども同じ社会の中にいて、一つの事件が起きて、その犯罪を起こしてしまったのがこの社会だと考える時、また、「被害者」「加害者」という「当事者」が、それ以外の人との相関関係の中で、そのようにカテゴライズされ、生きていくことになるのならば、僕たちは「準当事者」としてその問題を受け止めることが重要なのではないでしょうか。(平野啓一郎 P164-165)

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