「こんなハズじゃなかった人生」のおよそ3分の1地点で。〜『明け方の若者たち』の読書感想文〜
勉強仲間におすすめしてもらって読み始めた『明け方の若者たち』(カツセマサヒコ著)を読み終わり数分が経ちました。
いてもたってもいられなくなった私は、今日やりたかったことはまだたくさん残っているのに、Amazon prime videoを開いてこの小説の映画を観ようとしています。
壮大なテーマがあるわけでもなく(あったらごめんなさい)、私たちを何かに導こうとしているのでもなかろうこの小説は私の中に「もっとこの人たちを見たい」とだけ思わせてくれました。
過ぎ去っていった私の「若者」時代が、まるで彼らと共に過ごしたように感じていました。
東京に住んだことなんてないし、勝ち組なんかじゃなかったし、大企業にだって勤めてなかったんですけど。
一行一行が詩のような小説でした。
どのシーン、どの言葉もありふれた表現ではなく、実にエモーショナルなそれでいてどこか親近感のある単語で物語が綴られていました。
率直でどこかしら未熟な気持ちはひらがなで表現され、とめどなく溢れる想いは改行されることなくページを埋め尽くしています。
しかしそんな中でも、サイゼリヤ、IKEAなど、彼らと同じ世代を生きていた人はきっと通ってきたであろう場所がたくさん登場するなど、共感を誘う描写もあり、プロだけの文学的表現読者を突き放すような印象は一切ありませんでした。
また、東京の風景が細部まで描かれていたのも印象的でした。筆者は東京が大好きあるいは大嫌いだったのではないでしょうか。そんな印象を受けました。
私は東京で暮らしたことがないのですが、下北沢のサイゼリヤや高円寺の大衆居酒屋がリアルに頭の中で広がりました。
ノンフィクションなフィクションでした。
確かにそこに一人の20代の男性がいる。
そんなことを意識せずに感じられる物語でした。
はじめは彼女との恋物語のように見えたストーリーも後半にさしかかる頃にはしっかり彼の人生の一部の切り取り映像でした。
主人公の彼の名前(彼女も)は最後まで明かされません。というよりは単純に「書かれていません」というほうが合っているかもしれません。
それでも彼は確かに2010年代の東京で人間らしく生きていたんだなぁと、まるで自分の友達(より少し遠い知り合い?)のように思えました。
私自身が主人公と同じ2012年に就活をして、2013年春に社会人になったという事実も物語に飛び込めたひとつの理由でしょうか。
と言っても実際にはこの本を読む前に俳優の北村匠海くんが映画の主人公と聞いてたので、完全に北村匠海くんで脳内再生されてましたけど。笑
さて、この物語の世界で、私はどう生きていたでしょうか。
2012年4月、バイト先の塾に就職が決まっていた私は週に5日ほどそこで個別指導の塾講師をしていました。真面目に頑張ってきたはずなのにまだまだ単位は足りてなく、大学にも週3は行っていたと思います。
バイト先では後輩たちや大学院生の先輩たちとカラオケやボーリングでオールをしたり、「狩の友の会」と称したLINEグループで連日狩りに出かけたり(モンスターハンター)、なんとも普通な大学生をしていた記憶があります。
そんな私もその頃はやってくる未来に淡い期待を抱いていたのでしょうか。それとも迫り来る「何者でもないうち」であるハイパーモラトリアムタイムの終わりに焦りを感じていたのでしょうか。
あれから10年以上が経ち、あの頃に「したこと」は思い出せても、あの頃に「思ったこと」は思い出せません。
私にとって今、「こんなハズじゃなかった人生」なのかどうかはわかりません。辛い時には「人生こんなハズじゃなかった」なんて思ったりしたし、これから先も思うことはあると思います。でもきっとその度に「こんなハズってどんなハズ?」と自分に問いかけることを繰り返すでしょう。
目次なんてつけてこなかった人生だけど、あと3分の2(100歳手前まで生きるつもり)も1章先くらいまでは見えてるといいなという気持ちで過ごしたいです。いろんな「こんなハズ」を見つけてトライアンドエラーをしながらおもしろい人生をつくっていきたい、なんとなくそう思いました。
ちなみにですが、
映画はやはり少し美しく描かれていました。
小説にあった生々しさやリアルな表現は、きっと活字独特のものだったのでしょう。映画ではノスタルジックな淡い青春が小説とはまた少し違った風景を演出していました。
今回読んだ本はこちらです。
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