疑問だらけのわたしの毎日-疑問を持つということ-
昨日の帰り道、ふと見上げると空に白いお月様がありました。
「なんで昼間のお月様は白く見えるんだろう?」
この手の疑問はふと湧いてくることが多いです。
家に帰ってネットで調べてみると
黄色光と青色光は補色関係にあるとのこと。
つまり
月は常々黄色く光っているように地球からは見える
昼間に月が出ている場合、空の青色と月の黄色が補色関係にあるため
白色の光として見えるということらしい。
LEDもこの現象と同じく黄色光と青色光を使って白色光を作っているそうです。
なぜなに坊や
全くエジソンの足元にも及ばないかも知れませんが
わたしは自分のことを「なぜなに坊や」(坊やではないけど)だと思っています。
昔から生活をする中で色々なことに対する様々な疑問を感じないことがない。
疑問を感じると言ってもネガティブなものではなく、好奇心。
しかしながら、子供であっても大人になってからも「なぜ?なに?」とたくさん質問をすると一定割合の大人はとても迷惑そうな顔をしました。
わたしはこの疑問を持つということはとても大切なことだと思っていて
なぜ?なに?と質問をぶつけてくる人は嫌いではありません。
いろんな物事に興味を示していること自体がとても頼もしく思えます。
そして知ろうとしていることがとても嬉しい!
迷惑そうな顔をする大人は
答えを持っていない。
もしくは答えを持っていないと知られたくない。
多くは上記のいずれかに該当するのではないか?とわたしは思います。
大人だって知らないことはたくさんある。
知らないならそのタイミングで知ればいい。
でも、きっとこの疑問を投げかけられるのはその物事に関わっている人が多いのではないでしょうか?
そして、“答えを持っていないことを自分でも認めたくない“
そう思っている人は少なくないのではないでしょうか?
疑問を持つということは
その人がそこに関心を示しているということです。
疑問を投げかけられることで迷惑そうな顔をされると質問者は
その回数が増すごとに質問をすること自体をNGだと認識することでしょう。
さもすれば、疑問を持つこと自体諦めてしまうこともあるかもしれません。
迷惑そうな顔をした大人の責任は重大です。
疑問=可能性
その可能性に蓋をすることにもなりかねないのです。
現在では小さな子供でも検索をすることを知っています。
“自分で調べる“ことに誘導できれば、それも疑問解消への道となります。
それさえも怠る大人は少なくない。
それは非常に無責任なことであり、由々しき問題だと考えます。
疑問=発見
疑問は可能性意外に発見と隣り合わせです。
疑問を解消するとき、そこには発見があります。
発見は新しい扉を開けると同じ、未知への切符です。
わたしの体感ですが、興味を持って疑問を持つ。
その疑問が転じて発見となり、その発見は新たな可能性への一歩となる。
この流れが繰り返されて物事が発展、発達していく。
小さくではありますが、
自分の中で常にこの流れが起こっていて今のわたしがあります。
そして今でもわたしは“なぜなに坊や“です。
その“なぜ?“はわたしの人生を豊かにし、発展させてくれています。
疑問があるから
課題が見つかり、その先へ進めることができる。
わたしの疑問はいろんな場所に散りばめられています。
自分の背負っているミッションの中、日々の生活の中、趣味の中など。
わたしにとって“疑問=人生の糧“という式があり得るのかも!?
そして“疑問=楽しみ“という式もあり得るかも!?
そう思うとノンストップ疑問の自分は恵まれている気がするのです。
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