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発信にとらわれない

noteって何かを発信する場所、ってイメージが強かったんです。
自分の中にある知識だったり、気持ちだったりを共有して、
誰かにとってためになるものであれば良いなっていう。

だけど、自分の中になんて、さほどのものはないし、
発信や読み手がいることを意識すればするほど、
自分の正直な気持ちからは離れていく、みたいなところもありました。
無意識に取り繕っているというか。

私はたまに手書きの日記を書くんですが、
それを書くときって、手が止まることはないんですね。
次から次に言葉が出てきて、むしろ書くよりも先に忘れてしまわないか心配で、手が頭に追いつこうと必死で追いかけている感覚なんです。
それでいえば、パソコンの方が手書きよりも早く書けるんですが、やっぱり読み手を意識すると言葉に詰まってしまったり、後から見返したときに、その時の感情を明確に思い出せなかったりします。

そういう面で言うと、手書きの力ってすごいですよね。
なんでもかんでもデジタルが便利な時代ではありますが、アナログにはアナログにしかない良さがたくさんあるわけで。
それぞれを使い分けて生きていくのがいいんだと思います。

私は、noteマガジンに1日1歩日記と名付けたものを2023年の年明け頃から始めたんですが、だんだん頻度が下がってきました。
それはありがたいことに、ライターの仕事をいただけるようになったから時間がないってのもありますし、精神的に安定しているからこそ、感情が高ぶるままに書くことがなくなったってことでもあります。書くほど心が動いていないのかもしれません。
あとは、書くことに対して、「しっかりとした文で書こう」って気持ちが根付いてきたこともあって、いざ書こうとすると自分の言葉が出てこないことがたくさんあります。
どうにかして話をまとめようとしちゃうんですよね。
別にまとまるとこまで考えているわけじゃないし、考えるの面倒くさいなぁくらいに思っていることもあるのに。
だから最後までたどり着けなくて、あぁ、今日やっぱ投稿するのやめよって思ったりしちゃいます。

そんな感じで、最近はnoteが書けないでいたんですが、今後はそういう「こうであるべき」思考を取っ払うために、勢いで書く練習のようにnoteを使っていきたいなと思っています。
noteは読み手を意識しないで、自己中に自己満に書けるようになりたいです。自分を見失わないように。
意味なんて特にないんですけど、日にちと気持ちのメモ程度のイメージで…

あと1日1歩カウントやっぱりやめようかなって思ったり笑
そこは今後の気分で変えようかなぁ。

そんな走り書きのnoteでした。

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