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ちいさい頃のわたしが大切にしていたもの

今日は私のちいさい頃について書いていこう。しばらくコテコテの関西弁を使ってないから、文字で伝わるかどうかわからへんけど、関西弁で書いてみよかな。ここは、私が自由に発信する場所であるのがいい。

生まれたときから自己主張が少なくておとなしく、殆ど泣かない赤ちゃんだったと親から言われてた。ほんまなんやろか。そんな赤ん坊時代が嘘かのように、小学校では自己主張の塊のような生活をしていた記憶しかない。

幼稚園まではどうやら自己主張がなかったみたいやけど、小学校に上がるととにかく身体を動かすことが大好きで、10分休憩やお昼休憩の間も、遊び相手はいつも男の子たちやった。身体が女の子の中でも人一倍小さかったのに、ずっと校庭で男子と一緒にドッヂボールしてた。男の子たちと遊ぶのが楽しくて、楽しいけど自分は女の子で。自分が男に生まれたら良かったのに。って何回も思ってたなぁ。。。でも不思議なことに、ずっと長い間そう思い続けていたのに、女の子を好きになったことは一度もなかった。自分が男だったらいいのにって心の中で思いながらも、男の子を好きになり、子どもを産みたいと願い、ウエディングドレスを着てお嫁さんになる日を夢見てた。そんなことある?男の子に生まれたら良かったのに。は、きっと性別の壁のせいで仲間だと思ってても同じようにはできないことの寂しさを感じたときにだけ、男に生まれたかったと感じていたような気がする。そう考えると、私は根っからの男好きなんか?笑 勿論小学生だから性的な意味でではなくやけど。きっと、根っからの淋しがりやだったのかもしれない。

かと思ったら女の子の友達もなんだかんだいて、放課後は女の子のおうちにいっておままごとで遊んだりする日々。それも全然楽しかった。まぁ結局、男も女も関係なく、「友達」のことが好きだった。それだけやな。

ちょっとおませさんな年頃になってくると、女子の間ではスキキライというものが発生しはじめて「だれだれと仲良くしないで」と言ってくる友達もいて、そういうしがらみのようなものが酷くわずらわしかった。派閥が出来た時も、私はどちらにも所属せず、傍観したりして。
班長とか立候補して、班の仲間と一緒にお弁当食べたり掃除したり、しがらみのない世界でみんなで一緒に何かをやるのはめっちゃ好きやった。
でもそんな生意気な女の子やったからけんか相手も大体男の子。男の子と喧嘩をすると、後ろから背中に向かって飛び蹴りを食らったりして、後ろから何人もの男の子たちの笑い声。めっちゃ恥ずかしいし、すごく悔しい想いもしたなぁ。かわいそうやけど、私が蹴りたくなるようなムカつく相手やったんやろな。笑
まぁ社会人になった今も生意気だと思われているのか、一部の男性社員からは後ろから奇襲をかけられるような出来事もあるけど、大人になっても子供になっても社会って似たようなもんやなと振り返るとわかる。相変わらず私の性格は変わってないらしい。

でも、私は苦手な人のことも、いつかは分かり会える存在だという気持ちはどこかにある。だって、私は会社の働く人のために必要だと思うことをやっているという自負があるから。モラハラになりかねないこの発想だけど、マウント取ってこようとする人にしか刀は振りかざさない主義。
そんな人とは大喧嘩するけど、何かの拍子に認められ、「この人は正義の人なだけなんだ」とわかってもらえると、話が一気に通じやすくなる。
どうしても、主張が相手への悪意だと受け取られることが多いようで、コミュニケーションが下手な私の最大の課題だ。

でも、私は小さい頃から磨いてきた、わたしの正義を信じている。そして、どんなに私を敵視する人でもいつかわかりあえるということも信じている。
多様性の場において、柔軟に受け入れて考えを変えて行く必要がある側面も受け止めつつ、私の根底にある正義は、人を傷つけるためではなく、誰かを守る刀としてこれからも磨いていこうと思う。

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