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暗がりほど明るい(シックス・フィート・アンダー)

「詩は全て死者の視点で書かれたもの」

アーティストにとっては、死んでいる時間が生きた時間。
生きれば生きるほど、死ぬ時間が長くなっていく。

ホロスコープが頭から離れなくて
ホロスコープに依存していることを知る

自分を自分で縛っているけど
縛らなかったら

どうやって頭を使うの?

私が信じてきたものは何だったのか
付いて行ったのは単に
他人の頭の中が正しくて
私の頭がぼーっとしていることに気づいたから

挑発されたから

目を覚ませと

「目を覚まして」
「私の夢を見ろ、一緒に」と。

そこで得たものがあったかというと

もちろんあった。

生きることに収穫が伴わないなんていうことはない。

全ての経典は暇つぶしだ。

今で言うとサブスクだ。

ほんの少しの寄付で、(生きている限り)永遠に救われる。

生まれてきて
角が少しだけ他人の体温に触れて
また冷えるだけのことなのに
求めて

角だけが温もりを思い出す。

母体で全身を温めなんかしたからだ。

誰かのために人生を設計したら
いずれ崩壊するのは分かっているのに
そういう時ほど真っ当な理由がいくらでも見つかる。

誰もが納得するような理由が。

私がいる流れは生でも死でもなくて
豊でも貧でもなくて
ただひたすら孤なだけ。

だから今の気分に合った空気が欲しい。

息をするだけでいいし

空港で寝泊りする人生でもいい。

仕事を中心に人生設計するのも
それ自体が真っ当な理由であって

もちろんそれも崩壊する。

この頼りない自分の意思を
人生の土台にしたら

それは崩壊しないで生きていけるのだろうか?

それともやっぱり何かに依って生きるなら
崩壊してしまうのだろうか?

何か答えが欲しい。

それがもしも自分が答えだったとしたら
絶望以外のなにものでもない。

水中の糸のように

目には見えないほど小さな突起に引っかかって

人ひとりの人生が始まって終わるまでの時間ぐらいは

軽くひっかかり続けるだろう。

書くことで何かできるのか、それとも何にもならないのかわからないで続けてきたけど、きっとこれからも書き続けます。もしよかったらサポートよろしくお願いいたします。