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私の生い立ち

青春時代(陽の部分)

超未熟児で産まれた私
確かに幼少期は病弱だったけれど
母の心配をよそに
本当、五体満足
発達障害もなく
母と通った
こども病院も
最後までパスできたんだよね

病弱だった私を
母は小学校の水泳少年団へ
あっという間に
平泳ぎが得意になり
チビだけれど
誰よりも誰よりも
前へ進むカエルの様で
2年生時には
市の25m平泳ぎの記録保持に

そして
時代はスラムダンク全盛期
私も先輩に誘われ
4年生からミニバスへ
伸長は伸びなかったけれど
大好きだった
ただただ
バスケしたかった
(スラムダンクの一節のようですね(笑))

小学6年生でも140㎝くらいで
当然ガード
それでも
チームのキャプテンを務めさせてもらったおかげで
市の選抜チームに選出された
自分のチームと選抜チームの
二足の草鞋

360日バスケしてた
私が活躍すると
客席の母が笑顔で手を振って
大きな声援と歓声をあげてくれた
ーお母さんのために。
 うまくなりたい。
 活躍したい。

たくさんのケガも骨折もあったけれど
お母さんのために
自分のために
チームメンバーのために
朝練もシュート練も

でも
やっぱり
近視がひどくなり、シュート率が下がる
チビでは中学ではかなわない

それでも中3の夏
中体連の市の決勝戦
残り2分、12点差
みんなが負けだとおもっていた

でも
絶対に追い越せると信じて
後輩が3ポイントを決め
私も2点と重ねていく
残り2,1秒・・
同点ゴール
ブザービート
ついに追いついた

心が震えた、奮い立った
こんなにも充実した気持ちは
このチームでしかないよね
延長の末、負けてしまったけれど
2位で中部大会へ。
結果は中部大会敗退だったが
負けたチームが県3位になり
大いに互角に戦い負けたので
悔しいけれど
最後はちゃんと終われた気がする
バスケ人生

さあ
新しい気持ちで
高校時代へ

続きは後程

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