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海賊、ハッカー、魔女など。不適合者が創り上げてきた経済世界を考察した『Misfit Economy』

こんばんは。 

最近読んでいる(読もうとしている)本をご紹介。


「海賊、ハッカー、ギャングスター、その他の非公式起業家からの創造性の教訓」という副題がついた『MISFIT ECONOMY』という本です。なんとも香ばしい香りがする本ですね... 不適合者の経済とも言いましょうか。社会不適合者のクリエイティビティがどのように世の中を席巻したのか(というよりも席巻してしまったのか)についての洞察が得られるのではと興味を持って、少しずつ読んでいるところです。

そもそもどこで知ったのかというと、現在ベルリンで活動していらっしゃる「武邑光裕」さんとお会いしたのがきっかけでした。お会いする前にWiredの記事を拝読したのですが、そこにこのように書かれていました。ベルリンの創造的なエコシステムの成り立ちについての話です。

スタートアップ・エコシステムでは、さまざまな個人や複数の企業が多様性を維持しながら創造性を発揮できる場づくりが重視されます。スタートアップ・エコシステムやイノヴェーション・エコシステムに参入するアクターは、コミュニティやイノヴェーションに決定的な役割を演じます。ここベルリンに集合する多様で創造的な人材は、この都市の歩んだ宿命的な歴史と深い関係を持ちます。ベルリンの壁崩壊後、すぐにやってきたのはアーティストとハッカーでした。その後DJが来て、次にデジタル・ボヘミアン、マーベリック、コピーキャット、メーカー、ネオ・ヒッピーといった次代の起業家たちが続々と集結します。彼らこそ、いまのベルリンのスタートアップ・エコシステムを構成する主要な配役なのです。
 
2016年5月4日、ベルリンを代表するデジタル文化に関するエキサイティングな会議であるre:publicaに、アレクサ・クレイが登壇しました。彼女は『ザ・ミスフィッツ・エコノミー:海賊、ハッカー、ギャングスター、その他の非公式起業家からの創造性の教訓』の著者で、この本と彼女の講演活動は、世界中に大きな衝撃を与えました。海賊、ギャング、ハッカー、魔女などによる「不適合な経済」活動の可能性を、彼女はベルリンの聴衆に語りました。第1回「Factoryとスタートアップ・エコシステム」:武邑光裕のベルリン見聞録

オフィシャルに扱われる領域だけで経済が回っているというのは正しくありません。ギャングの経済(日本ではヤクザの経済)やアート周りの経済など、どう回っとんねんとツッコミたくなるようなお金の循環が起きている世界はたくさんあるのでしょう。資本主義に単純にすべてを回収されるだけではない、アートの作品のお金との絡め方を考えていかないといけないと思っているところでしたので、この本を見た時にビビッときました。

武邑さんとお話ししている中で、イノベーション・スタートアップ・ハブである「Factory」のことを話が飛んだ際、武邑さんから飛び出たのは「ここでシリコンバレーについて話してる人なんて1人もいませんよ。」という言葉でした。自分も一時期スタンフォード大学と提携したプログラムのコーディネーターを短期間行った時にシリコンバレーの雰囲気は感じたことがあります。それはある意味カルト的であり、共通の価値観を共有するからこその話の速さが存在している街でした。スタンフォードやバークレー、そして名だたる研究所があり、そこにハッカーを始め、魅力的な人たちが集まって強力な起業エコシステムが形成されていきました。ただ、そこに住んでいた人たちの話を聞くと、土地の価格はどんどん高騰していると聞きます。そうなると、アーティストは逃げるだろうし、また新しい隙間へとたびに出る。ベルリン都市の成り立ち方はすごくおもしろいなと感じています。

もう一度、武邑さんの記事を引用すると、ベルリンのベルリン崩壊後の都市はこのように立ち上がってきたのだといいます。

ベルリンの壁崩壊後、すぐにやってきたのはアーティストとハッカーでした。その後DJが来て、次にデジタル・ボヘミアン、マーベリック、コピーキャット、メーカー、ネオ・ヒッピーといった次代の起業家たちが続々と集結します。彼らこそ、いまのベルリンのスタートアップ・エコシステムを構成する主要な配役なのです。

実際にベルリンのクラブに行ってみたり、Factoryに行ってみたりして、有機的に自由な感覚を持った人が集まっているベルリンの環境は純粋に面白く感じました。

おそらくなんですが、日本で社会不適合者でも、ベルリンだと面白い人として受け取られる場合も多いと思うのです。抑制・制限・自重。そのようなものが大好きな人がこの国にはすごく多い。そこから外れた時の不安や恐れがあるのはわかります。ただ、それを他の人たちに押し付けて、創造性を押し殺すほうに物事を進めるのはどうなんでしょうか?単なる印象論に止めておきますが、日本で生活することは、息苦しいです。個人的にはね。

でも、ベルリンに行って一つの兆しを感じることができました。ベルリンの今の段階は、上に書いたようなカルチャーを作り出してきた人たちにスタートアップの起業家が合流し、さらに大企業の人たちもそこにオフィスを構えるようになってきているのだとか。新しいアイデアを求めているのでしょう。

そういった大企業の姿が、お寺という謎に大きく、硬直化してしまったシステムの末端に生まれてしまった自分には、大企業とお寺という二つが重なりました。硬直化したものを流動的に本質的に移り変わるように働きかけていくのは大変骨が折れることだと思います。ですが、ベルリンの状況を見ていると、そんなことも可能性がないわけではないと、ほんの少しばかりの希望を持つことができたのです。

社会のシステムに乗って、ただルールに従えばいいのかもしれません。その方が圧倒的に生きることが効率化し、楽になると思います。考えなくてもいい。でも小学校の時に不登校になったことを始めとして、あまりにも多いコンプレックスをかかえてしまい、変えることができない自分の無力感を象徴するものであるお寺を継がなければならないのかという思いにまみれていた自分にとっては、ベルリンで見たような小さな世界や不適合者が作り出す価値が大きな世界を変容させるきっかけを作り出すことができるという状況は決して切り捨ててはならないなと思います。

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