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「物を手に入れるには買わないといけない」という信念がゆるやかに溶けていく

最近、宿を経営している吉野山の山伏女将にお世話になることが増え、山伏の話を聞くことが増えた。同時に山に入ることが増え、さらに歩き巡ることが増えている。山を歩いているうちに気持ちは満たされ、必要以上の消費をしようとするとき、それ自体を自覚しやすくなってきた。

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今、京都を歩いている。山を歩くのとは違い、よく広告、商品と出会う。道はコンクリートに包まれて、山とは違う景色だ。

自分の場合は都市にずっといるのではなく、山に近い日を増やした方が身体の調子が圧倒的に良いということがわかってきたけれど、都市は都市で面白いところだと感じている。

都市の広告、商品網の隙間を歩きながら、自分の消費行動を抑えてみている。強く我慢する、となると心を壊してしまうけれど。都市修行とでも言いながら、そもそも物を買わないということにチャレンジ中だ。(ただしカラアゲを作るお金は別)

自販機やコンビニ、うどん屋やおばんざいのお店。さまざまな光景を見ると食べ物のイメージが湧いて、食べなくてはいけない気がしてくるけど、もしかすると、それは自分の必要以上にそのイメージが引き起こされているのかもしれないと思っている。

とはいえ食べなくては死んでしまう。それに対して、私は手持ちの物を贈ること、カラアゲを揚げて配ることをしながら、時々、物を頂いて、ここ数週間生きている。お金を使う量がそもそも減り、自分のためのお金の量が減った。生かして頂いている方々に心から感謝したい🥲

物を手に入れるためには買うしかない。ただそれが全てではないらしいということを学びつつある今日この頃だ。

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今日も空は綺麗だ。

京都より投稿でした。

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