独立するって何だろう?と考えることがあります。

大学生の頃、私は独立して活動していきたいと思っていました。交換留学で滞在したカナダから帰ってきてから、大学四年生になった時、周りの人たちは黒スーツに黒髪、綺麗な髪形というフォーマットに成り代わり、就職活動の果てに次々に就職していきました。私はその就職活動という構造に乗るのがとっても嫌で、1回だけ受けてみた面接の後に、そこに乗るのを辞めました。

かといって、どう働いていけばよいのかわかりませんでした。独立したいという漠然とした気持ちが生まれているだけで、お金を得る術を持っているわけではありませんでした。独立するというと、ビジネスを立ち上げるというイメージがとっても強く、それをできるようにならなければいけないんだと思い込んでいたように思います。その時の「働く」ということは、お金を得るということを意味していました。

その後、たまたま縁が生まれた会社にかかわることになりました。1年間アルバイト、半年間契約社員として働きました。そこで鬱になって、やめることになりました。「こんど面談をしよう」と持ち掛けられ、自分からも辞めますと伝えようと思っていた場で、相手からも辞めることを促されました。そうして、いわゆるお金を得る術がなくなりました。

それからというもの、その会社でほんの少しだけ学ぶに至ったイベントデザインのスキルを通して、フリーランスとして働きました。企業さんと一緒にイベントをつくる仕事です。ただ、一緒につくるといっても、こちら側の思いがすべて反映されるわけではありません。あくまでも企業さんからのイベントとして表現されるので、イベントの方向性も企業さんの在り方や事業の方向性の影響を多分に受けます。フリーランスとしてやっていくことに違和感があったので、結局そこからも離れていきました。

開業届を出しました。形ばかりは個人事業主ということになります。あくまで税制上の話です。実態はよく鬱になりながら、時々、命をつなぐように求められてもいないイベントを実施するというあり方になっていました。別に求められてもいないけれど、やりたいと思うものを作るということを意識的にやり始めたのはこのあたりからです。

今も「開業」状態ではありますが、コロナ禍になって、さらに求められていないことをやるようになりました。たとえば詩を書いたり、空揚げを揚げて配ったり、お布施の実験を始めたりしました。これまでの「働き」はお金を得るためのアクションを意味していましたが、詩を書き始めたあたりから、「働き」は表現をすることを意味するようになってきました。

さて、そんな働き方の変遷を振り返りながら、自分が求めていた「独立する」って何だろう?と振り返っています。

いかなる所属、働き方においても、私は自分ひとりで生きていたことはありませんでした。

会社に所属していた時には会社の人たちやその会社と仕事をしていた人たちのおかげで生きてきましたし、フリーランスになってからは、案件担当の人たちやその背後で働いている方々のおかげで生きてきました。

私の今の在り方は、表現や実験を軸にしながら、お金になるならないにかかわらず自分がやってみたいことをやっています。一方で、生活においては、山、川、海で一人で食べ物を収穫(収獲)して食べ物を食べるというものではありませんので、命を成り立たせる上では常に(食べ物として命を分け与えてくださっている生き物を含む)他者が介在しています。

そういう意味では、大学生の頃から、10年経った今まで、一回も独立していなかったのだと思います。

結局私が求めていたのは、自分の時間やお金を使うということを自分で決めやすい状態になることで、そのことを「独立する」と呼んでいたのでした。

独立は周りの方々に適切に頼っていくこと無しでは成り立ちません。独りでありながら、独りでない。いいバランス感覚を養っていくことだと思います。

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