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【日記】 秋田その2〜コカイン中毒だった民族学者の逸話、異形の来訪神「なまはげ」による人間の抜き打ちチェック〜

24年3月、秋田にフィールドワークに来ていました。滞在は10日ほど。「芸術人類学」の切り口でのリサーチ旅の様子です。

9日目の移動ルート: 小松クラフトスペース(Note投稿)→男鹿半島(今ここ)


最初に寄った小松クラフトスペースはなんとも濃いスペースだった。出てくる人、出てくる人の濃さが印象的。布という切り口から世界の文化を探索してきた人たちが即興的に発する力、すごかったなぁ。

小松クラフトスペースを感じ、理解することは今後のお楽しみ。次の場所に移りました。目的地は男鹿半島。行くきっかけはパートナーの紗都子さんだった。

2人で秋田の地図を見ていたのですが、「ここ、絶対何かあるところだよね。ここだけ地形が違うもん」という言葉を受けて、「行くか」となった。

日本海側に出っぱっているあり方。異質ですね。

幸いに、秋田1日目〜8日目は地形・地学的な視点から秋田に理解を深めていた。というのも、図書館や郷土資料館に行くと「ジオ(大地)」関連の本が特集されていることが多かったからだ。

2 0 1 1 年( 平 成 2 3 年 )9 月 、秋 田 県 で 初 め て「 男 鹿 半 島 ・ 大 潟 ジ オ パ ー ク( 男 鹿 市 ・ 大 潟 村 )」が 日 本 ジ オ パ ー ク に 認 定 さ れ ま し た 。翌 年 9 月 に は「 八 峰 白 神 ジ オ パ ー ク( 八 峰 町 )」と「 ゆ ざ わ ジ オ パ ー ク( 湯 沢 市 )」が 認 定 さ れ 、秋 田 県 に 3 つ の 日 本 ジ オ パ ー ク が 誕 生 し ま し た 。国 内 で ジ オ パークが3カ所以上ある都道府県は、北海道と秋田県だけ。まさに秋 田県はジオパークの宝庫です。

秋田みどころブック

どこの施策なのか深掘りしてはいないがジオパークの周知を進め、保全・観光・教育を促す組織群があるのだなぁと思いながら、パラパラと秋田の地形を学んでいった。秋田で深掘りしてみたいと思ったのは、男鹿半島と鳥海山周辺。

男鹿半島のメモ。

過去5000万年間の大地の変化を知ることができる地層群。

過去40万年間の大規模気候変動と大地の挙動を知ることができる地域。

活発な火山活動による噴出物由来のグリーンタフ(緑色凝灰岩)発祥の地。

男鹿半島の先端と根元は「火山体」と呼ばれ、中央部分は泥岩など海底で堆積した比較的柔らかい岩石から構成されているらしい。

先端部にある「火山体」は,新生代古第三紀始新世(約4千万年頃)に活動した古い火山で,主に「デイサイト」や「玄武岩」で出来ている。

男鹿半島が特異な地形であるらしい。活発な火山活動が起こり、大昔に大きな水蒸気爆発が起こって、湖が生まれた。スケール感が大きく、人間や動植物がダイナミックな地の動きを受けて成立していることを思い出す。秋田4日目には24年の1月に起こった能登半島の地震のことを聞いたが、自然とそれがリンクした。こんなことが起こったら、人間は無力に等しい。火山活動があるからこそ、私は秋田でも温泉の恵みを享受し、「自然っていいですね」などと色眼鏡でそれを見てしまう時もあるのだけど、私が自然をどう見ようかはさておき、地力のダイナミックさは常に人間の生活環境の外から働きかけてくるものだと思った。

海の景色を見ながら男鹿半島を進む。左手の方に海の景色が広がっている様子を見ながら、他愛もない話をしつつ移動した。今回の主な目的は「なまはげ」についての理解を深めることだったのだけど、道を聞こうと「土と風」という場所に立ち寄った。

こちらの風貌が少しばかり変わっていたからか、カウンターの中にいらっしゃった歳上の女性が話しかけてきた。その方と話していると、さらりと「なまはげの仮面の髪の部分をつくっています」と教えて下さった。なまはげの仮面は地域・集落ごとに異なるらしい。その地域の仮面は石川家の石川さん達が作っているらしく、この女性のお父さんが今は2代目としてお面を作り続けているらしい。

この流れもいつまで続くかわからない。昔から続いてきたことを成り立たせていくためには、それが工芸であっても、芸能であっても、道具をつくる人たちや道具の素材をつくる人たちが欠かせない。カジュアルに道を尋ねるという場面で、なまはげの大事な道具をつくっている方に会うとはなんとも面白いものだ。

ちなみに、男鹿半島の人口は2万3000人ほど。ただ、満遍なく人が住むことができる平野ではないので、それぞれの集落に分かれ、人がポロポロと集っているのだろう。これくらいの人口だと、主要な場所に行くと、誰かしらに出会うのかもしれない。なかなかに濃い土地だろうから、閉鎖的なところもあるだろうし、私のように外部から訪ねてくるから一部開いているのだろうと今回の石川さんとのやりとりで感じた。

この後、近くのSANABURI FACTORYへ。

ここで働いている方に話しかけてみると、男鹿半島のことを色々と教えてくれた。この方は秋田の別の場所出身で東京で働いた後、秋田に舞い戻ってきたらしい。そして男鹿半島に移住したそうだ。「個人的に男鹿半島の好きな場所や人を教えてください」と聞くと、その人が移住した理由を言い換えるようにさまざなことを教えてくれた。

私たち「稲とアガベ」は秋田県男鹿市で2021年の秋に創業したクラフトサケ醸造所です。クラフトサケブリュワリー協会の定義する「クラフトサケ」とは、日本酒の製造技術をベースとしたお酒、または、そこに副原料を入れることで新しい味わいを目指した新ジャンルのお酒です。いま、日本では有望な造り手が次々とこのジャンルで事業を起こし、発展しています。私たち、稲とアガベもその一員です。

 現在の日本では、日本酒を造るための免許の新規発行が原則認められていません。私たちのような新しい醸造所は、日本酒を造ることができないということです。しかし、2020年4月の法律改正により、海外輸出向けという条件付きで、免許が発行されるようになりました。稲とアガベはこの新しい免許を活用し、輸出用の日本酒を造ることで、世界の方々に日本酒の魅力を知っていただくことを目指しています。

稲とアガベ

若い人がやってくる流れが生まれているのはなんとも頼もしい。それぞれの地域に行くと特に周りを感化するキーパーソンがいるが、この地域にもそのような人がいるのだな〜ということを想像した。

私はというと移住をしに来たという感じでもないが、常に"ホーム"は開いているので、招いてくれる家が見つかると、移住者のような顔をしてこの地域にくることもあるかもしれない。世間からすると「旅人」というメタファーを介して理解されることが多いが、私が気になるのは旅人と創作者や研究者の”あいのこ”のような存在だ。現地で過ごしているうちに民俗学者の折口信夫が男鹿半島にやってきていたという話と澤木家というこの土地の山林地主として知られた家にお世話になっていたということを小耳に挟んだ。折口信夫は「まれびと」の概念を提唱した人物として知られるが、行く先々めぐっていると、時々その存在の逸話と痕跡にぶつかることがある。折口信夫も各地をめぐりながら、各地の知り合いのところに泊まりつつ、旅と研究の境目のない人生を歩んでいたのだろうか。そういうことにもついつい想いを馳せてしまう。ちなみに、折口信夫はコカイン中毒だったらしい。つまり、ヤク中だ。人にはいろんな側面があるんだね。

ちなみに、男鹿半島では素敵なカフェがあった。

TOMOSU CAFEは秋田県の男鹿半島にあるカフェです。

わたしたちが目指しているのは、くらしに溶け込む「地元のカフェ」。気張らず自然体でいられて、地域の人も外からの人たちも混ざり合いくつろげる場所。そんな「町にとろける」場所となれるように、一歩一歩、日々の営みを楽しんでいけたらと思っています。

TOMOSU CAFEのHPより

こちらは精肉店「グルメストアフクシマ」を営む福島智哉さん、「こおひい工房 珈音かのん」を営む佐藤毅さん、服飾ブランド「Own GArment products(オウンガーメントプロダクツ)」を営む船木一人かずとさんの3人が始めたカフェなのだそうです。それぞれ自分たちの活動を持ちつつも、あえて共同経営でカフェを立ち上げていることに「おっ」と思った。

まちおこし・まちづくり、地域活性化などについて興味がある人は TOMOSU CAFEの運営に関わってらっしゃる方々の座談会の記事を見つけたので、こちらに貼っておきます。

TOMOSU CAFE を後にして、車で移動し、「なまはげ館」と「男鹿真山伝承館」へ。二つの施設は隣接して建っている。

なまはげ館の近くにあったモニュメント

なまはげ館に着いた。少しばかり山の中にやってきて、明らかに周りが雪深くなった。「寒いね」といいながら首をすぼめつつ、なまはげ館の入り口に小走りで向かった。

入り口でチケットを購入すると、「よかったらなまはげの実演もいかがですか?」と受付の方に呼びかけられた。しかもすぐ実演があるらしい。予約も何もしていなかったのだけど、とっても良き流れでせっかくなら実演を見たいと思ったので、一緒に行った3人でそれを体験することにした。

男鹿真山伝承館

建物の中はとても古い印象だった。囲炉裏が私たちを迎えた。

天井は黒く、煤がついていた。
まっくろくろすけがいるに違いない😌

なまはげは通例年末年始にやってくるみたいなのだけど、今回は本当のなまはげがやってくる日の体験ではない。なまはげの実演というパフォーマンスで、私たちは観客としてなまはげの動きを眺める。実演においては、なまはげが観客のフィールドにやってくることもあり、「なまはげが通りやすいように人と人の間にスマホなどを置かず、道を開けておいてもらえると嬉しいです」というアナウンスがなされた。私は観光客というマインドセットでもなかったが、観客の多くは中国人の方々で、観客部屋はたくさんの人でいっぱいになった。ツアー客はなんと38名。これだけ大所帯になれば、「悪い子」もいるかもしれない。コカインに精通した(?)折口信夫もなまはげと対面したならばクスリを理由に「悪い子」認定を受けたのだろうか。

なまはげは人ではない。山から降りてくる異形の神様だ。秋田県立博物館のホームページにはこう紹介されている。

ナマハゲは、小正月もしくは大晦日の夜に、家々に来訪する異形の神様です。ナマハゲの語源については様々な説があります。その一つに囲炉裏に長くあたっていると、手足に火形ができます。それをナモミ、アマミと呼び、これを剥ぎに来る行為である「ナモミハギ」の音が変化して「ナマハゲ」になったとの説があります。それは、新年に向けて怠け者を懲らしめたり、注意を促したりというような、訓戒の意味も含んでいます。

怠けている存在を戒めにくるらしい。これはやばい。私自身、働いているのか、働いていないのか、カモフラージュしながら生きている人間なのだが、ナマハゲさんに怠け心を剥がされてしまうかもしれない!

口を開けば、「何もしない豊かさってあるよね」とか、そういう言葉を言ってしまいそうになる。これには、なまはげ氏はカンカンに起こるかもしれない。しかし、私には固定の家がない。行く先々で家を構える方々にお世話になる人間だ。だからなまはげもやっていこないだろうと思いながらも、なんだか家を構えてやってきてほしい気もする。ただ自分はどうしても人間でしかないから、到底なまはげにはなれないだろう。なまはげの振る舞いを真似し続けたら、私も異形の存在になるのだろうか。つい放っておくと頭の中は旅に出てしまう。目の前のまさに何かが起ころうとしている空間に意識を戻した。

ヒヤヒヤとしながら、場を固唾を飲んで見守っていると、部屋の後方の方から突如、けたたましい音が聞こえてきた。

ガタガタガタガタ!!!(障子が強く揺れる音)

まさかの後方からやってきた!と不意打ちを食らう。頭の中は恐れで一杯で、一瞬の出来事がひどく長い時間に感じた。

バン!!

後方に意識を持っていかれたのも束の間、前方からなまはげが来襲した。

「なまげものはいねが〜!!」
「悪い子はいねが〜!!」

さぁ実演の始まりだ。あたりをドスドスと歩くなまはげ。青と赤の仮面をかぶった人間…いや、失礼。異形の来訪人がまさにそこまで迫っていた。なまはげはアナウンスの通り、観客のフィールドにずかずかと足を踏み入れ、丁寧に(?)悪い子、怠け者を自主的に出てきてもらうように呼びかける。

動きが早く、カメラもなまはげを捉えきれない。
なんて素早さなんだ!!

さりげなく後ろの人(家主さんという設定)も心なしかブレている。なまはげを前にして恐れ慄いてしまい、高速で振動してしまっているのかもしれない。

私が9日目の1本目の投稿で「秋田、おそるべし!」と書いた理由の一つはこれだ。秋田の男鹿半島は地形、地層が異形であり、研究においても重要な場所であることは間違いないが、それだけでなく、文化・芸能という点でも恐るべき存在を受け入れているのだ。

なまはげは山からやってくる来訪神だ。人間から見たところの来訪神は山からやってくるのだが、その存在の始まりは誰もわからない。私たちがいつのまにか作ってしまっている生活圏の膜を突き破って、荒々しい振る舞いを見せてくる。そして、特に子供に厳しい。後ほどなまはげを紹介する動画を見ていた時に、なまはげの本気っぷりに若干引いてしまった。なまはげは隠れている子供たちを見つけると一斉に襲いかかり、中には子供の一部は連れ去られてしまう(笑)(そして後に帰ってくる)子供にとってはなまはげがトラウマになるのかもしれない。それくらいの本気っぷりを垣間見た。

今回の場においても、あくまで実演で本当のなまはげ襲来ではないので子供が連れ去られることはないが、1人、赤ちゃんが最前列に鎮座しており、「これはもしや…(ザワザワ)」という不穏な空気が漂っている。

こ、これはまずい。

わるいごは!!

来訪神がそこまで口にした時、予期していたことがついに起こってしまった。

赤ちゃんは「びぇぇぇ!!!」と大声で鳴き声を上げ始める。

山の道を歩いてきた者と、産道をくぐってきた者のバトルの勃発だ。共に外からやってきた者であるという意味でなんとも熱いタイトルマッチだ。

それを見て、周りの大人たちは笑い声を上げる。赤ちゃんが泣けば泣くほど、笑う大人。緊張の中に和やかな時間が流れた。

なまはげも自身の行いを反省したのだろうか。赤ちゃんに「(ごめんね)」と言うかのようなそぶりを見せ、悪い子認定を押し付け続けることはなかった。これが本当のなまはげ襲来であったならば、この赤ん坊は山に連れていかれていったかもしれない。そして、いつか異形の神様に、その赤ん坊がなり、誰かを連れて行ってしまうのかも、しれない。(あくまで妄想だ)

なまはげはひとしきり暴れると家主と対面し、畳の上に座り、ドンと構えた。

少しばかりの静寂が訪れた。

家主となまはげが同時に頭を下げる。

「おめでどうございます」

いろいろと情報量が多く頭がついていかないが、年末年始という設定からか、意外と良識のある言葉からその会話はスタートした。

そして、なまはげ先生が取り出したのは、見開くことができる冊子「なまはげ台帳」だ。ここから観察眼のあるなまはげ先生による、怒涛の"ツッコミ"が始まっていくのだった。

そのツッコミは家主の家族に及ぶものだったが、広く人間という種にも働きかけるものだったに違いない。

さまざまな道を通ってやってきた者たちの饗宴はまだ始まったばかりである。

(書くのに疲れたので、次の投稿につづきます。怠け者はおれか〜〜!👹👹👹)

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