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人間は月のように。誰かの月夜を受け取り、誰かに月夜をとどける

今日は人間関係のあり方についてのお話です。

最近、月待講という「悩み・葛藤・喜怒哀楽を集った人同士で分かち合う集まり」を行っています。

初回が12月8日で、上弦・下弦に実施していく活動です。その時、「月夜を受け取る / 月夜を届ける」という言葉を使って、人間関係のあり方について話しました。

身の回りに、ホッとするようなやさしい関係性を育んでいきたい時に、「月夜」を想像するのはおすすめです。

月夜を受け取ること。

どんな人でも一人で生きているわけではなく、周りの人たちとの関係性の中で生きています。「私は自立してる!」「頼らずに生きてるわ!!」という人でも、まったく人との関わりがない人はいないかと思います。(ただし、山とかで本当に人と関わることがない場合は覗く。)

関わりの中で、時には他の人の言葉でいらっとすることもあるだろうし、お節介だと思うこともあると思います。そういう時に思い出したいのは、自分の方から見たら嫌なものであっても、実はやさしさに満ちているものかもしれないということです。

やさしさに気づくまなざしを培うことができれば、それに感謝することもできます。それを伝えることで、さらに相手との関係が良好になるかもしれません。

月夜をとどけること。

これは逆に照らす側の視点です。自分自身が月だとしたら、他の人たちに月夜をとどけることができます。ただ、月はそれ自体が光源として光っているのではなく、あくまで太陽の光を反射する存在です。

月夜をとどけることは、周りのやさしさを我が身で受け止め、次の方へと送っていくこと。相手が受け取ることができるように、ふんわりと、澄んだ光を手渡す。

人間関係の中でしがらみがちな時に、あらためて「月夜」のようなイメージを大事にしたいと思い、忘備録として書いてみました✨

ちなみに、今回の投稿の着想は、初回の月待講の直前に参加した「神社仏閣ONLINE」を主宰する僧侶の河村えいしょうさんが開いた場の「お坊さんが語る、上手な人との付き合い方(仏教を生活に:心-cocoro-)」で、話題提供をしてくださった僧侶・渡辺光順さんが話していた法然さん(浄土宗・開祖)の月の光にまつわる話から得ました。

読んだ皆さんも、仏教にまつわることに触れたい時に、選択肢の一つにしてみくださいね ^ ^ 

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