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趣味:読書

プロフィールでの「趣味」の中で、「読書」に関して書いていなかったことに気付きました。書いておきましょう。

写真はここ最近で読んだ本です。「現代アートを楽しむ」は読み終わったばかり。原田マハの美術解説本は判り易いですね。「ゴッホのあしあと」「いちまいの絵」などを読んでいます。「ジヴェルニーの食卓」や「暗幕のゲルニカ」「楽園のカンヴァス」等アーティストものも。ただ最近「たゆたえども~」や「サロメ」など、イマイチと感じる作品も多く、今読んでいる「アノニム」はかなり期待外れの予感。作品の出来不出来とは別に、私の好み・期待する傾向からは離れつつあるようです。

「ジヴェルニーの食卓」以来、原田マハに嵌っているのですが、「暗幕のゲルニカ」頃から、この先の”マハ離れ”の予感もしていました。私は読書にあまりエンターテイメント性を求めません。時に気分転換でクィーンやクリスティを読むことはありますが、基本は”純文学”系、以前は直木賞作品でも避ける傾向があったくらいです。ハリウッドエンタメアクション大作映画に拒否感を感じるのと同様、「面白いだけ」のエンタメ系・ラノベ系小説は避けてしまいます。ですので「映画化決定!」「ドラマ化」「本屋大賞」等の帯は、私には逆効果になります。その場限りの刹那的な刺激や娯楽感、嘘っぽい出来過ぎた物語が嫌いです。本を読むなら、自身の血肉になる、これからの生き方や考え方に何らかの影響を与え残してくれる、そんな本を求めています。

小学生高学年ではルパンやホームズに嵌っていました。中高生では明治以降の大家、夏目漱石や芥川龍之介、森鴎外、太宰治など。特に太宰の「人間失格」との出会いは大きかったと思います。「自分だけではなかった」自分でも「生きていていいんだ」と、大袈裟に聞こえるかも知れませんが、思いました。若者の自殺「何故?」と思われる方も多いと思いますが、それほど深刻な絶望では無くても、タイミングさえ合えば私でも、簡単に自死を選んでしまった場面もあったかも知れません。その可能性を減らしてくれた作品でした。

高校生になって、柴田翔や庄司薫、同時代の作品も読むようになりましたが、相変わらず主流は過去の定番、海外に枠を広げてカミュやスタインベック、ヘミングウェイ、など。浪人時代に読んだモームやジョイス、ディケンズはその後の生きる糧になったと思います。

最初の写真の通り、最近では今現在の作品を読む機会が増えています。日々出版される本の膨大さには絶望感すら感じます。生涯出逢えない本の方が圧倒的に多い。定番名作でも読んでいない本は多く、中々手が回らないのですが、そういった読み損なっている名作もやはり読んでみたいと思います。自身の余命が何年残されているのかは判りませんが。


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