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「天使のいない世界で」第1章 あたたかな場所には、とどまれなくて(3)

 難しい顔で覗きこんだのは、飾りとして壁にかけられた小さな鏡だ。
 幼く見られがちな、どんぐりみたいにまん丸な茶色い瞳。染髪を繰り返しているせいで傷んできた金色のふわふわとした髪。肌は白いけれど、鼻も低いし唇はぽってりしている。それに、もちろん男性を虜にするようなプロポーションをしているわけでもない。

(……やっぱり美人には程遠い)

 若干虚しい気持ちになりながら、メイはありのままの気持ちを口にした。

「エルさんには、もっとお似合いの方がいますよ」
「なに言ってんだ。あいつの外見を見て、そんなこと言うのはメイちゃんだけだよ。普通は気味悪がりそうなもんだろ?」
「? そんなことないと思いますけど」

 風変わりだとは思っても、それは否定的な意味ではない。むしろ個性があっていいと思うし、羨ましいくらいだ。
 メイは人と大きく異なった服装をしたことはないし、興味があってもきっとできない。
 自己主張が苦手であるため、なるべく目立ちたくないのだ。ほどよく暖かい日陰で、のんびり質素に過ごしていたい。

 それに、もしも自分が大火傷を顔に負ったとしたら、彼のように周囲の人々に明るく笑いかけることができるだろうか。
 きっと無理だ。外見を気にしてうまく笑えないに違いない。

(だけどエルさんは、周りの人みんなを笑顔にすることができる。なんて素敵なんだろう)

 決して口には出せないが、エルのいいところなら十は挙げることができるだろう。それくらいには、彼に愛着と親近感を抱いている。

「またまた。たしかにあいつは話してみれば面白い奴だけどさ、最初はやっぱりびびったよ」
「たしかになあ。俺だったら、あんな怪しい風貌の奴が森で倒れてたら、見て見ぬふりするね。メイちゃん、よく助ける気になったもんだって感心したんだから」

 エルとの出会いは、ひと月前。村の外れにある森の中で、倒れている彼を発見したときに遡る。
 慌てて店長を呼びに行ってこの家まで運び、その後近くの町から呼び寄せた医者に診せたところ、特に外傷はなく精神的なものではないかという診断結果だったのだ。

(正直に言うと、少しだけ怖かったけど……。あの人みたいに、わたしも困っている人を助けようって決めてたから動けたんだ)

 迷子のメイに手を差し伸べてくれた少年の存在は、今も強く胸にある。再会が叶うとは思っていないが、彼に恥じない自分でいたいと思うのだ。

「意識を取り戻すまで、つきっきりで看病してやったんだってな。おやっさんが『仕事に集中してくれなくて困る』ってぼやいてたっけ」
「え! ……そうですよね。ごめんなさい。わたし、一つのことしかできなくって……」

 思い返すまでもなく、エルを村に運び込んだ日から目を覚ますまでの間、メイは夜通し彼の傍にいた。だから、日中はつい眠くなってしまって、ミスが多かったのだ。
 天使は人間と同じように睡眠を必要とするし、なかでもメイは眠るのが大好きで寝起きがとんでもなく悪い。

 すぐさま店長に謝りにいこうとしたメイを、常連客二人が腰を浮かせて慌てて止めた。

「ごめんごめん、冗談だよ! むしろ赤の他人にそこまで献身的になれるのがすごいって、みんなで話してたくらいなんだからさ。もちろん、おやっさんも一緒にね」
「よかったあ……」

 ほっと胸を撫でおろすと、トムが笑った。

「だけど、災難だったなあ。看病してやって目覚めたかと思えば、『命の恩人だ』とか『一目惚れだ』とか大騒ぎだもんな。ようやく宿に移ったからいいものの、最初は隣の部屋に寝泊まりしてたんだろ? ……その、色々大丈夫だったかい?」
「色々?」
「え、ああ、まあ……大丈夫そうならいいんだ」
「おい! おっさんたち、いつまでメイちゃんを独占するつもりなんや! さっさと帰れ!」

 遠くからエルの声が飛んできたため、二人は顔を見合わせて苦笑した。

「それじゃあな、メイちゃん」
「また村に遊びに来てくれよ。絶対だぞ?」
「はい! 本当に……本当に、お世話になりました!」

 メイは玄関先に出て、二人を見送った。楽しい思い出をたくさんくれたことに対する感謝を、心の中で何度も伝える。
 秋晴れの空の下、二人の姿が見えなくなるまで見送っていると、いつの間にか隣にエルが立っていた。

「メイちゃん。なんや今日は、いつもに増して丁寧やなあ」

 彼はメイが今日でこの店を辞めることを知らない。
 うまく切り出せなかったし、店長や常連客たちも「追って行きかねないから黙っておくよ」なんて気を遣ってくれたからだ。

(お別れの挨拶もしないなんて。本当に、最後まで申し訳ないな)

 珍しく静かなエルをこっそり盗み見ると、黒髪が日光を纏ってきらきらと輝いていた。

(とっても綺麗……)

 重い前髪に隠された瞳を覗いてみたくなる。
 きっと澄んだ色をしてるんだろうと感じた瞬間、胸がぎゅっと熱くなった。

(……やっぱり、このままいなくなるなんてだめだ。エルさんにもお世話になったんだから、ちゃんとお別れを言わないと!)

「あの、エルさん! わたし――」
「おいこら! エル坊!」

 怒声が飛んできた。二人そろって顔を向けると、砂埃を舞いあげながらこちらに突進してくる人物が……。

「宿屋の女将さん?」
「うげっ!」
「今日こそ宿代払ってもらうよ! モーニングする金があるんなら、払えるだろう!?」
「や、やばいやばい! メイちゃん、ほなまた!」
「え!?」

 引き留める間もなく、エルは一目散に駆けだした。そのあとを、恰幅のいい中年女性がものすごいスピードで追っていく。

(……エルさん、宿代払ってなかったんだ)

 代わりに払ってあげられたらいいが、少し……いや、かなり難しい。次に向かう予定の場所は海を越えた向こうで距離があるため、思っていた以上に船代がかかるのだ。

(それに、羽根を集めるためにお金がかかるもの)

 人間界には天使狩りで命を落とした同胞たちの羽根がいくつも残っており、メイは旅のかたわらそれらを集めている。
 天使は死したのちに聖なる炎によって火葬され、翼のみ天界にある海に沈められる。海は生命の源であり、やがて雨水となって大地に注がれ、蕾を花開かせると考えられているからだ。亡くなった天使たちが新たな天使を育て産み落とす――そんな命の輪が天界には存在している。
 天使にとって、翼は命そのものなのだ。

 一方。人間界において、天使の羽根は元々幸運のお守りとして広く知られていた。
 天寿を全うした守護天使からお守りとして羽根を託された人間が、厄災から守られたという言い伝えがあるからだ。実際、守護天使の任を終えたときに親しい人間に羽根を差し出す天使は多く、受け取った者たちがそれに感謝し大切にすると誓う光景は、ほんの二年前まで何ら珍しいものではなかった。
 それが、天使が消えた今では、「幸運を招くラッキーアイテム」として高値で売買されている。

 メイはその事実がたまらなく嫌だった。商品として扱われるよりも、「彼女」たちをせめて人間界の美しい海に運びたい――その一心で資金を稼いでいる。

 しかし、これまでの日々で集めることができた羽根は多いとは言えず、手のひらに収まる大きさの小瓶に入れてもまだ余裕があるくらいだ。勇者に羽根を献上すれば量に応じた報奨金がもらえるということで、それを目当てに探している者も多く存在するためである。

 天使狩りの際、勇者は天使の翼を城に運ぶよう指示を出していた。そして収集した翼で純白の旗を作り、人間界に幸運がもたらされるようにとの願いを込めて勇者城の尖塔に掲げているのだという。
 また、勇者城の兵士たちは万が一悪魔が復活した場合の特攻隊としての役割を王から仰せつかっているが、彼らの防具にも天使の羽根が織り込まれているという話も有名だ。
 勇者が現在でも羽根を集めている理由は明確にされていないが、噂は独り歩きするもので。一部では、羽根を一カ所に集めることによって、莫大な利益を得ている収集家たちを取り締まるためではないかと手放しで賞賛されているような状態なのだ。

(人間たちにとって、勇者は英雄。だから、彼のすることは多くの人から支持される……)

 たしかに彼は魔王を打ち滅ぼし、多くの人を救った。しかし、守護天使たちを皆殺しにした殺戮者でもあるはずだ。
 それなのに何の処罰も受けず城で悠々自適に暮らしているなんて、おかしいことではないのか。

(……創造主は、一体何をお考えなんだろう) 

 勇者と守護天使であった妻を巡り合わせ、子を授け、魔王を打ち滅ぼす力を与えた。――いずれ天使を皆殺しにするような人間に、だ。
 そして、現在人間界に残っている『白百合の扉』は一つだけ。しかも、勇者城がそびえたつ島に位置しているというのは皮肉なものだと思う。

 全て、創造主の戯れなのだろうか。しかし恨んでみたところで、どうすることもできない。
 ただ、この現実を精一杯生きていくほかないのだ。
 それはわかっているのに、ふとした瞬間に泣き虫な自分が顔を出してしまいそうになる。

(……よし、最後の一日頑張ろう!)

 気持ちを切り替えるようにして大きく伸びをすると、メイは店内に戻っていった。



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