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「天使のいない世界で」第1章 あたたかな場所には、とどまれなくて(1)

「メイちゃーん! 次はこれ、頼むよ!」

 日差しが差し込む丸太造りの小さな家に、野太い声が響き渡る。

「はあい、店長」

 明るく返事をして、パタパタと駆けて行った先。
 毛深い腕で調理場の作業台に並べられたのは、湯気の立ったスープと、色鮮やかな野菜がたくさん挟まったサンドウィッチのセットだ。

 メイの仕事は、人間たちを災いから守ることではない。この食堂を切り盛りする店長が心を込めて作った料理を、配膳することである。

「お待たせしました」

 そう言って微笑むと、木製の丸テーブルを挟んで座っていた中年男性二人がそろって顔を上げた。痩せぎすのケビンと太り気味のトム。どちらも顔なじみの客だ。

「お。ありがとう。メイちゃん」
「うんうん、今日も美味そうだ。野菜が瑞々しい」
「そうでしょう、そうでしょう? 今朝、庭の畑で収穫したばかりなんです」

 額に汗をかいて土いじりをする店長の姿を思い出して、思わず声が弾む。
 メイは収穫と毎日の水やりくらいしか手伝えていないが、彼が丹精込めて育てたものが褒められると嬉しくなる。

「ほお、それはいい。こんな田舎町までわざわざ出向いたかいがあるってもんだ」
「なあに言ってやがる! あんたたちは、メイちゃん目当てだろうが」

 調理場から店長の大きな声が飛んでくる。日に焼けた肌に濃い髭、そして筋骨隆々の肉体がトレードマークである彼のニヤニヤ顔が、すぐ目に浮かんだ。

「まあ、正直それはあるよなあ。一生懸命働いてる姿を見てると、癒されるんだ。娘みたいで可愛いし」
「おやっさん、メイちゃんに感謝しろよ~? この子が働き始めてから、リピーター増えたんだろう?」

 急に褒められて、思わず頬が熱くなる。

「もう、やめてくださいっ! そんなに褒めても何も出てきませんよ?」

  慌てて声をあげたメイを、常連客二人は微笑ましい目で見上げている。

「本当のことさ。メイちゃん、常連客の間じゃ『ネリネ村の天使』なんて呼ばれてるんだから」

 ケビンの言葉に、心臓が大きく跳ねた。

「て、天使……ですか?」

 メイはなんとか何食わぬ声を出した。笑顔を崩さないように気をつけながら聞き返したつもりだったが、ケビンが「あ」と表情を曇らせる。

「ごめん。天使なんて言われたって、嬉しくないよなあ? ……ほら、ちょっと前までは天使は人間を悪魔から守ってくれる、心の拠り所だっただろ? つまり、メイちゃんは俺たちにとって、癒しそのものってことさ」
「そうそう。特上の誉め言葉だよ」

 あはは、とトムが笑う。
 うまく微笑むことができずにいるメイの肩に、毛深い手が置かれた。

「おいおい、めったなこと言うなよ。メイちゃんが天使だなんて疑われたら、どう責任を取るつもりだ」

 振り返ると、いつの間にか調理場から出てきていた店長が不機嫌そうに眉を寄せている。

「『人間界に存在する天使は、勇者の名のもとに処刑する』。奴が出した宣言を忘れたのか? あれは、なにも二年前だけの話じゃねえ。今だって、天使が人間界で見つかれば、同じ処分が下されるはずだ」

(……あの日から、もうすぐ二年……)

 いくら時が経とうと、家族の変わり果てた姿を忘れることはない。
 無残に踏み荒らされた庭の景色も、まとわりつくような血の臭いも、今でもはっきりと覚えている。

 あの日。天界の『白百合の扉』に飛び込んだメイを待っていたのは、混じり合う色彩の渦だった。いくら足を進めても出口が見えない。人間界に降り立ったときとはまるで違う状況から、天使狩りを受けて、創造主が『扉』を作り替えているのではないかとなんとなく推測できた。

 自分の存在まで飲み込まれ消えてしまうようで恐ろしかったが、メイは強運の持ち主らしい。視界が開けた瞬間に見えない力に押し出されたどり着いたのは、雪が吹き荒れる山の頂上だった。
 そこに『扉』はなく、待ち伏せしている人間の姿もない。遭難しようと食料なしで生きていけるため餓死する心配もなく、人間ほど寒さに弱いわけでもない。
 下山には苦労したが、人の目のない環境でゆっくり思考を重ねられたため、近隣の町に向かうときには、これから危険な場所で生きていくのだという心づもりがしっかりできていた。

 身勝手に飛び出していった蕾の子を探すために、自らや仲間を危険にさらすような決断を天使長は決してしない。だから、これから先は一人で生きていくしかない。
 まず第一に、人間界に戻った目的をしっかり果たさなければ――。
 そう毎日自分に言い聞かせながら、メイは今日まで生きてきた。

(それなのに……ステラちゃん、ごめんね。わたし、まだブレスレットを渡せてない……)

 危険を冒して人間界に戻ったのは、彼女の願いを果たすためだ。
 そして何より、勇者に真意を問いたかった。
 これまでの日々で天使狩りを首謀した彼の持論について知ったし、筋金入りの天使嫌いなのだという噂も聞いたが、そんなことはどうだっていい。

(……「天使は、人間の信仰心を食い物にしている」「我々は利用されているに過ぎない。今こそ、自由を手に入れよう」。……あなたがそんな声をあげたせいで、たくさんの天使や人間が命を落とした。魔王を倒してせっかく手に入れた平和なのに、どうして壊すの?)

 英雄である彼を崇拝する者たちや、天使の『癒やしの力』のせいで仕事が減った医療関係者たち、争いを好む荒くれ者たちが賛同して、あの惨劇は起こったという。天使長と守護天使制度にまつわる盟約を結び、天使を受け入れた張本人であるはずの王も静観していたというのだから、何を信じたらいいのかわからなくなる。

(天使がいない世界をつくるのは、娘の命よりも優先するようなことだったの? ……わたしには、理解できない)

 妻を愛していたはずなのに天使を嫌いになった経緯について知りたい気持ちもある。しかし、たとえどんな理由があったとしても、娘を犠牲にする決断をした事実は揺るがない。到底、許されるはずがない。

 だから勇者に会って、「家族はいつでも繋がっている」というステラの思いを伝えると同時に真意を問いただすのだ。
 彼が『勇者城』と呼ばれる居城に住んでいることは知っているし、謁見が許されずとも、正体を明かしたのなら会えるだろう。透明な翼しか持たないメイを天使だと判断し処分を言い渡すのは、きっと勇者本人だからだ。

(そうしたら、少しだけだとしても話をすることができる。……その代わり、わたしは間違いなく殺されるだろうけど)

 不思議と、恐怖は感じなかった。
 メイは決して勇敢なわけではない。幼なじみたちのなかでも最も臆病な泣き虫で、幼いころはいつも誰かの後ろについて歩いていたくらいなのだから。
 それでも死の覚悟ができているのは、この二年で強くなったからなのだろうか。
 自分でもわからないが、この調子ならば、きっと臆せず勇者に会いに行くことができるだろう。

 しかし、まだ城を訪れるわけにはいかない。
 なぜなら、ステラの弟が見つかっていないからだ。彼にブレスレットを渡す前に殺されに行くような真似は、絶対にできない。

(一体、どこにいるんだろう……)

 人間界に降り立ったメイは、真っ先にルニカ教会へと向かった。
 遠く離れた土地からの旅だったためたどり着くまでにひと月あまりかかってしまったが、とにかく急いで向かったのだ。

 もしかしたらステラの弟――ジュジュという名前らしい――がいるかもしれないと思ったし、みなの亡骸がどうなったのか知りたかった。天使狩りのあと、勇者の指示で各地の教会が順次燃やされたということは把握していたため、亡骸ももしかしたらそのときに……と気がかりでならなかったのだ。

 結果、更地になった教会の敷地には、手作りの墓標が六つ並んでいた。それには安心したが、誰がつくってくれたのかはわからずじまいだった。 

(わたしはジュジュさんじゃないかって、勝手に思ってるけど……)

 周辺住民に聞き込みをしたものの、みな関わり合いになりたくないのか固く口を閉ざしたままだった。中には当時教会によく来ていた者もいたというのに……身勝手かもしれないが、薄情だと感じて胸が痛んだ。
 ただ、みなメイが「あのときの見習い天使」だとは気付かなかったことは幸いだったといえる。

 その後、わずかな情報を元に、様々な場所を点々としながら彼を探してきた。
 しかし、ジュジュという名前のステラとよく似た顔立ちの青年には、どこに行っても会うことができない。それらしい人物を見たという噂さえ、耳に入ってこないのだ。

(やっぱり、もう亡くなってるんじゃ……)

 何度となく抱いた予感を慌ててかき消すと、メイはきりきり痛み始めた胸を押さえるようにして、ぎゅっとトレイを抱いた。
 そのタイミングで、店長が深く息を吐きだす。

「……ひでぇ話だよ。散々守ってもらいながら、悪魔の脅威がなくなったからって手のひら返しだもんな。俺は、天使よりも人間の方がよっぽど汚い種族だと思うね」

 トムが慌てて「おやっさん!」と声を上げた。そのあと、すぐに声を潜める。

「その発言はまずいって。天使信仰者だなんて疑われたら、それこそ勇者城に連行されちまう。噂じゃあ、天使の翼を連想するような装飾品を身に着けてるってだけで、尋問されるらしいからな。下手な真似はしないほうがいい」

 そうだよ、とケビンも続く。

「そもそも、メイちゃんには天使っぽい要素なんてこれっぽっちもないじゃないか。髪色だって普通だし、よく怪我して包帯巻いてるし、疑われっこないって」



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