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答えのない数学#1 【津田塾大学 学芸学部 数学科 原隆先生 ロングインタビュー】

2024年7月某日,津田塾大学小平キャンパスを訪れた.歴史ある建物,芝生の刈り込まれた西洋庭園,豊かな緑.美しいキャンパスである.ここに立つと,筆者はケネディ大統領の1963年の演説を思い出す.今日は数学者・原隆先生にインタビューする日である.

「この地上にあるもので大学よりも美しいものは,ごくわずかしかない」とジョン・メイスフィールドはイギリスの大学を賞賛した文章に書いています.メイスフィールド氏の言葉は,この大学にも当てはまります.彼は,とがった屋根を持つ建物や塔,緑あふれるキャンパス,ツタの生い茂る壁を讃えたのではありません.彼が大学の美しさを賞賛したのは,大学が「無知を憎む人々が知識を得ようと努力し,真理を知る人々が他者の目を開かせようと努力する場所」だからです.

AMERICAN UNIVERSITY COMMENCEMENT ADDRESS - JAPANESE
ジョン・F・ケネディ大統領
場所:Washington, D.C.
日付:1963年6月10日
小平キャンパスの本館,通称《ハーツホーン・ホール》.この名称は大学創立者・津田梅子の盟友といわれるアナ・ハーツホーン(Anna Hartshorne, 1860年1月8日-1957年10月2日)を記念したものという.アナは『代数幾何学1-3』(丸善出版)(高橋宣能、松下大介 訳)で知られる数学者ロビン・ハーツホーン(Robin Hartshorne, 1938年3月15日 - )と親戚関係にあるという説も.

『手を動かしてまなぶ 群論』誕生秘話

編集者:この度は手を動かしてまなぶ 群論を出版させていただく運びとなり,大変ありがとうございました.まずはじめに,どうしてこの本のご執筆をお引き受けくださったのか,原稿を依頼された当時の心境など,もしよろしければ,お話を伺えればと思います.

数学者・原隆先生.《ハーツホーン・ホール》の1階玄関にて.

原先生:群論の本をぜひということでお話をいただいて,正直ちょっとどうしようかなと思ったところはあるんですけれども,ちょうど津田塾で群論の授業を担当することになりまして.それ以前には加群の話やジョルダン標準形の授業などを担当していたりしました.

原隆先生による『手を動かしてまなぶ 群論』.
「手を動かしてまなぶ」シリーズ8作目にあたる.

原先生:津田塾では授業の参考書という形で松坂和夫先生の代数系入門』(岩波書店)を例年使っていました.ところが,いざこの本を参考書に指定して授業を行ってみると,やはり結構「行間」が広いというか,学生さんからたびたび質問があったりもして.

原先生:私が学生だったときの群・環・体の教科書を見ても――あの頃,私なんかは森田康夫先生の代数概論』(裳華房)で勉強していたんですけれど――ささっと群の定義が登場して,例を2~3個挙げて,部分群の話をして,5ページか6ページくらいすると剰余群が出てきて,10ページくらい進むと準同型定理がもう登場するという感じでした.

奥付を確認すると,初版発行は1987年11月20日.隠れたロングセラーである.

編集者:『代数概論』は小社の「数学選書」というシリーズですね.

原先生:ええ,『代数概論』はそうですね.おそらく他の本も方向性は似たり寄ったりのものが多くて,私が学生だった当時は雪江先生の本なんかもまだ出ていないときだったんですね.で,やっぱり準同型定理というか,一番の難点は「商」の概念ですよね.剰余群とか quotient の話なんですけれども,やはりそういうところ――今年の線形代数の授業でもそうだったんですけれども――,抽象的で理解するまでにかなり時間が必要なところではあるんですが,一度分かってしまうと自然とその考えに馴染んでいくと思うんです.それこそ,自転車に乗れるようになるとか,一輪車に乗れるようになるとか,そういう感じだと思うんですね.

編集者:なるほど.

原先生:一回コツをつかんじゃえば大したことないんだけど,そこにいくまでって「何が間違っているのか分からない」「どうして上手くいかないか分からない」というのは結構あると思います.群で出てくる剰余群とか,作用 action とか,そのあたりってどうしてもそういうところがあるんです.一般的なテキストでは定義が出てささっと数ページで済ませてしまうから,そこの「行間」というのはやっぱり大きいなぁという気持ちはずっとあったんですね.
 群論の授業の準備をしているときに,いろいろな教科書をよく見るんですけれど――昔に比べると丁寧に書かれているものは確かに多いのですが――,それでもやはり,そこに至るまでのステップは大きいんじゃないかなと感じていました.そのあたりを補うために,群論の授業では具体例をかなり出したりとか,それこそ今回の手を動かしてまなぶ 群論にも入れたんですけど,準同型とか写像をやる前に演算表を入れたりとか,なんでこんな概念を考えるのかという点がクリアに見えるような形で書いてみたかったというのはあるんです.

『手を動かしてまなぶ 群論』の内容見本より.

原先生:ちょうどそういうときに久米さんから執筆のお話をいただいて.たしか当時見せていただきましたよね,シリーズで藤岡敦先生が書いておられる手を動かしてまなぶ 微分積分とか手を動かしてまなぶ 集合と位相とか.

編集者:依頼のときにお手紙と一緒に「手を動かしてまなぶ」シリーズの既刊本をすべて献本させていただき,実際にご覧いただきました.

ブックファースト新宿店さんのXでのポストより.
『手を動かしてまなぶ 群論』は他の書店でも発売後すぐに完売になったところも.

原先生:あと「こういう試みもやってます」という感じで,例えば裳華房さんのウェブページで提供されている別冊「行間を埋めるために」演習問題の詳解とかいろいろと拝見して.シリーズの実物を見たときに「ここまでやるのか!?」と(笑).「これはかなり大変そうだぞ」となって(笑).

編集者:先生方には補助教材の作成など,なにかと大変な作業をお願いしてしまい恐縮です(滝汗).

原先生:ご依頼いただいた当時は雑誌『数学セミナー』(日本評論社)の連載の話もありました.専門である整数論の話を連載で書かせていただけることに魅力を感じたのと,編集長の飯野さんの熱意もあって.ちょっと話が脱線しちゃいますけどいいですか?

編集者:大丈夫です.「数の世界の千一夜」の連載ですね.私も読ませていただきました.

雑誌『数学セミナー』(日本評論社)での好評連載「数の世界の千一夜」.
連載期間は2022年4月~2023年3月.

原先生:そうです.あのときは『数学セミナー』の飯野さんから月刊連載の依頼があったときでした.原稿の分量コントロールがなかなか大変で,書いては削って,書いては削って・・・というのを毎月やっていて.これを1年間できるのかという気持ちもありつつ,今回の手を動かしてまなぶ 群論は書籍の依頼だから分量も丸々一冊分で果たして大丈夫かなと.

編集者:雑誌連載は毎月〆切が来ますから,大変だと思います(汗).

「群」という統一的な視座から

原先生:一方,ご依頼いただいた群論のことを改めてよく考えてみると,いろいろな学生さんを見ていて,例をそのまま丸暗記しちゃうんですね.授業で提示した例――例えば,$${(\mathbb{Z}/n \mathbb{Z})^{\times}}$$ のある元の位数を求めなさいという問題――はできるんだけど,他の群にしちゃうとできなくなる.やっぱり学修の初期段階だと概念が上手く繋がっていないのかなぁという危惧があって.この群だとできるけど,違う群にしちゃうとできなくなる,そういう状況をなんとかしたいなという気持ちがありました.

数学者・渡邉究先生(中央大学理工学部数学科准教授)がXでつぶやいてくださったポスト.

原先生:でも,問題が多く載っている本というのはあんまりなかったんですよね.いわゆる計算問題のようなもので「この群でやってみよう,別の群でもやってみよう」みたいな感じで問題がたくさん載っている本が.

編集者:執筆依頼後のお打ち合わせの中で私の方からドリル的な要素を含めてほしいという感じのお願いもしましたが,そのような背景事情もあって,今回の手を動かしてまなぶ 群論ではこれほどまで多くの問題を入れてくださったのですね.

原先生:ええ.理論寄りの本だと「位数とはこういうものである」という説明はしっかり書いてあるんですけど,じゃあ実際に元の位数を計算してみましょうという本があんまりなくて.でも,授業でそういう問題を学生さんにやってもらうと,授業でやった例はきちんとできるけど,そこから少しでも外れた例になると手が止まってしまうということがあるんですよ.

編集者:(自身の経験上)私も身に覚えがあります(汗).

原先生:やっぱりこれって,群に触れてなさすぎるということだと思うんです.とにかく「群だったらこうすればいいんだ」,「この群でも他の群と同じようにやってみればいいんだ」というのが群論の醍醐味だと思うんですけれど,(学生さんを見ていて)それがどうも弱いんですね.ふと考えてみれば,カリキュラムでも――微分積分とか線形代数なんかですが――微分積分だと三角関数はこう,指数関数はこうみたいな感じで大体やり方が決まっていますし,線形代数でも大体は数ベクトル空間 $${\mathbb{R}^n}$$ でやってるんでほぼ $${\mathbb{R}^n}$$ しか出てこないですよね.

《ハーツホーン・ホール》の廊下に敷かれた赤絨毯.柔らかな光が差し込む.

原先生:結構,なんだかんだいってパターン化しがちな感じなんですけど,群論では 整数全体の集合 $${\mathbb{Z}}$$ でもそうだし,実数全体の集合 $${\mathbb{R}}$$ でもそうだし,正則行列全体の集合 $${\mathrm{GL}_n}$$ でもそうだし,いろんなものを「群」という統一的な視座から見れるっていうのが群論の大事なところだと思うんですけれど,そういう視点を持たないまま進んでしまって,群がよくわからなくなってしまう学生さんが多いのかなという印象はありました.

編集者:なるほどです.

原先生:そうすると「手を動かしてまなぶ」というコンセプトというのは非常に魅力的だなと.「群」が出てきたら,まず手を動かして確認してみる.この写像が準同型写像かどうかなんていうのも,手を動かして数行書いてみると自然となにをやればいいのかが分かるようになってきます.だから,「手を動かしてまなぶ」シリーズの中で抽象的な「群論」を取り上げるというのはまさにうってつけではないかと思いました.

編集者:ありがとうございます.

原先生:まぁ,逆に考える方もいるかもしれないですけどね.「群論というのは非常に抽象的なものなので,手を動かして学ぶものではないんじゃないの?」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれないですけれども.おそらく群論ってそういう視点ですかね,代数学の抽象化というか,これも群だしあれも群だし,全部,群という形で統一して見ましょうという視点が数学の世界では多いですし,そういう抽象的な思考と「手を動かしてまなぶ」ことは相反することではないか,というご意見も一理あるとは思います.

《ハーツホーン・ホール》の傍に佇む木.何の木だろう.
長年ここでいろいろなものを見守ってくれているように感じた.

原先生:でも,カリキュラムを見ていると,例えば線形代数だと線形空間かな――抽象線形空間では多項式全体の空間とか,そこらへんでしっかりと身についていてくれればいいんでしょうけれども,現状そうはならないというか.結局 $${\mathbb{R}^n}$$で.しかも,線形代数のよくないところ(笑)って,基底を取ったら $${\mathbb{R}^n}$$ と同型になっちゃうんで,結局それは $${\mathbb{R}^n}$$ でいいよねということになります.多項式でも基底を取ったら$${\mathbb{R}^n}$$ っていう結論に持って行っちゃいますし.そういう感じだと,統一的な視点はなかなか身につかないだろうなと思ったのもあって.とにかく,いろいろな群で同じような手法を使ってできるということを具体化するっていう本があってもいいのかなと考えまして,そういうときにお声がけいただいたのは非常にありがたいというか,光栄なことでしたので,お引き受けしたということですかね.

【津田塾大学 学芸学部 数学科 原隆先生 ロングインタビュー】
答えのない数学#7                 答えのない数学#2

(文責: 裳華房 企画・編集部 久米大郎)


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