【書評】若い世代へ響け「長崎の鐘」 評者:北方美穂
長崎に原爆が落とされたのは、昭和20(1945)年8月9日。平成30(2018)年は73年目、そして74年目の夏は次の新しい年号の元年となる。人類史上初めて核兵器が実戦に使用され、日本がその唯一の被爆国となった昭和はどんどん遠くなろうとしている。
激動の時代に、自ら被爆しながらもその命が燃え尽きる最期まで平和を願った医学者がいた。医学者として原子爆弾の真相を詳細に書き遺すことと、二度と戦争を起こさないようにと声を上げることに、悲鳴を上げている肉体に残る全ての力を振り絞るように専心する永井隆。その姿に、周囲の人は聖者を見る気持ちになり、多くの被爆者は励まされた。
『永井隆』の著者である小川内清孝氏は長崎市に生まれ、長崎を拠点に執筆活動を続けている。これまで周知である「聖人」としての永井隆ではなく、人間・永井の実像全てを、今こそ若い世代へ伝えたいと彼は言う。島根時代の生い立ち、そしてバスケットボール、絵、演劇、酒を愛した学生時代の永井、豪放磊落(ごうほうらいらく)で機知に富んだ人間らしい魅力が、筆者の筆に勢いを与える。遺されたエピソードの数々は、私たちに永井という人を手の届かない聖人としてではなく、苦しみ悩み怒り、幸せを求めるからこそ平和を願う血の通った生身の人間としてイメージさせてくれる。
永井博士は、放射線医学の研究と治療に従事した長崎医科大学附属医院(現、長崎大学病院)で被爆する。最愛の妻を亡くし、2人の子どもを抱えるその身は被爆以前に慢性骨髄性白血病を発症し、余命3年の宣告を受けてもいた。戦時下に結核が流行し、人々の検査に立ち会う回数が増え、過度のX線を浴びた事が原因らしい。その身に、原爆の放射能を浴びたというわけだ。
投下されたものが原子爆弾とわかった時、放射線医学の研究者としての永井は、被爆者として我が身が実験台に乗せられながらも、一方でこの状況を冷静に観察する。「原爆症」の症状をガスや爆風の影響ではないと認識し、ガンマ線の作用だと判断していた。そして研究者と日本人被爆者との狭間で、できる限り多くの被爆者救護と長崎の復興に尽力する。
誰よりも平和を願い、病床にありながらも多くの著作を遺した。その姿は「聖人」と呼ばれるにふさわしいが、永井はそれを嫌った。本書には、没後の「永井批判」も含めて人間・永井がつぶさに描かれる。もし、現代社会に永井のような志の人がいたら、どうにかして取材してみたいと私には思えた。永井の人間味あふれる43年の生涯を通して、我々に進むべき未来を考えさせる一冊だ。
発行日 2018年8月9日
著者 小川内清孝
発行所 株式会社長崎文献社
ISBN 978-4-88851-299-2
価格 : 1,728円 (税込)
判型・体裁 四六判並製(カバー・帯つき)242ページ
評者:・北方美穂【会員番号462】
金沢市出身、横浜市在住。大学卒業後、故郷に帰り石川テレビ(フジテレビ系列)に就職。編成部勤務でコピーの仕事に関心を持ち、その影響で退社後はフリーランスで編集とライターの仕事に就く。現在は子ども関連の雑誌や絵本、書籍等の取材と執筆、講演を中心に活動。フィンランドへの取材活動を継続し、現在は大学で非常勤の講義を持っている。今後も子どもの権利に根ざした育ちの環境改善のために学び続けたいと考えている。
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